第100話 貫かれた境界、魔槍の終焉
結界の内側で、音が消えた。
轟音の直後に訪れた静寂は、あまりにも不自然だった。
観客席のざわめきも、司祭たちの詠唱も、すべてが遠ざかる。
世界には、二人しかいない。
剣と槍が、零距離で噛み合ったまま、動かない。
ブリューナクの魔槍は、なおも“世界を貫こう”と圧を放ち続けている。
空間が歪み、槍の延長線上では、結界の向こう側が薄く揺らいで見えた。
一方、ドーレイの剣は――
赤黒いオーラを全身に纏いながら、それを真正面から受け止めている。
筋肉が軋み、骨が悲鳴を上げる。
視界の端が白く染まり、意識が遠のきかける。
(……ここが、限界か)
そう思った瞬間。
赤黒いオーラが、質を変えた。
揺らぎが消え、粘度を増し、まるで“意思を持つ影”のように蠢く。
ドーレイの背後――
影が、異様に濃く、より鮮明に、重なった。
明確に人の形をしている。
だが、決して“人”ではない。
角とも翼ともつかぬ輪郭が、赤黒い靄の奥に浮かび上がる。
影の奥で、黄金色の瞳が、ゆっくりと開いた。
〈……まだ、折れないのね〉
アルマの声だった。
耳ではなく、魂の奥に直接響く。
(……喋るな)
ドーレイは、歯を食いしばる。
(今は――俺が、前だ)
〈ええ〉
その声には、微かな愉悦が混じっていた。
〈だから私は“ここ”にいるだけ〉
赤黒いオーラが、さらに濃くなる。
だが、暴走はしない。
それはまるで――
ドーレイという“器”に、完璧に沿う外套のようだった。
「……ッ!」
ブリューナクの眉が、わずかに動く。
彼の視界にも、見えていた。
ドーレイの背後に、何かが“重なっている”。
(魔力反応ではない……
召喚でも、降臨でもない)
理解できない。
だが、直感が告げていた。
(――魔神を……纏っている、のか)
初めて、ブリューナクの背筋を冷たいものが走る。
「……不死身」
低く、問いかける。
「貴様は……どこへ行こうとしている?」
「さぁな」
ドーレイは、剣を押し返しながら答えた。
「ただ――
“ここ”を、通るだけだ」
その瞬間。
ドーレイは、一歩、踏み込んだ。
剣と槍が噛み合った零距離から、さらに“内側”へ。
常識ならあり得ない距離。
だが、赤黒いオーラが刃の輪郭を拡張し、間合いそのものを書き換えていた。
「――ッ!?」
ブリューナクは反射的に槍を引こうとする。
だが遅い。
ドーレイの剣が、魔槍の“圧縮点”を斬った。
刃を斬ったのではない。
技を成立させていた“理”そのものを、叩き壊した。
魔槍が、悲鳴のような音を立てる。
圧縮されていた空間が解放され、衝撃波が闘技場を叩いた。
「が……っ!」
ブリューナクの身体が後方へ弾き飛ばされる。
砂を転がり、体勢を立て直そうとした瞬間――
左脚が、動かなかった。
筋でも骨でもない。
力の流れそのものが、断ち切られている。
「……なるほど」
ブリューナクは、血を吐きながら笑った。
「魔槍の“届く場所”を……
こちらよりも、深く理解している」
ドーレイは答えない。
ただ、剣を構え直す。
背後で、アルマの影がわずかに揺らぐ。
だが、前に出てくることはない。
〈行きなさい〉
それだけ。
ブリューナクは、魔槍を地面に突き、立ち上がった。
「……いいだろう」
「ならば七星として――
最後まで、付き合う」
純粋な刺突。
技も理も捨て、すべてを一点に集めた最後の一撃。
「来い、不死身」
「……ああ」
ドーレイも踏み込む。
赤黒い斬撃が、一直線に走る。
その背後で、魔神の影が同じ動作をなぞった。
――――――――――
一瞬の、無音。
次の瞬間。
ブリューナクの身体が、縦に裂けた。
血が噴き上がり、槍が弾かれ、砂の上を転がる。
数歩進み――
ブリューナクは、膝をついた。
「……見事、だ」
「貴様は……
七星を、越えた」
そう言い残し、倒れる。
動かない。
背後の影が、ゆっくりと溶けるように消えた。
赤黒いオーラも、静かに引いていく。
〈……選び切ったわね〉
「……ああ」
ドーレイは、剣を下ろしたまま答えた。
ここまで受けていた痛みと、血が全て消えていた。
そして砂の上には、
序列第三位――“魔槍”ブリューナクの亡骸。
――
序列は、また一つ、壊れた。
この日。
ゼルハラは、はっきりと理解する。
“不死身”は、もはや挑戦者ではない。
魔神を背負い、なお主である存在として――
次の段階へ、足を踏み入れたのだと。




