17. 英国紳士
大立ち回りの後始末。
ep.18(第17話)を投下致します。
「苏西究が死んだ…いえ、殺された!?」
病室のベッドで思わず声を上げるマーサ・ハドスン夫人。
傷に響いたのであろう、思わず顔を顰める。
彼の悪女の訃報を伝えたのは面会に訪れたミウラ伯である。
「連中のアジトの一つと思しきスラム街の建物で発見されたのだが、
惨い有様であったそうだ…」
曰く、彼女は建物の一室で椅子に縛り付けられ、全身を膾に斬り裂かれて
死んでいたとの事だ。
状況から、仲間の裏切りにあったのだろう、とも。
「血の涙を流し、それでも下卑た笑みを湛えたまま、こと切れていたそうだよ…」
尤も、彼女はその表情しか出来なかったのだ、無念であったろうな。と。
そして…
「カード?」
死体の左胸、心臓に、彼女が好んで用いた暗器、長針が突き刺され、
カードが一枚留めてあったと言うのだ。
そのカードに、筆跡が辿れぬタイプライターで印字された一文。
『人は時に裏切る。数式は裏切らぬ。 ”M”』
『M』とは何か。
傅満洲の云う『悪徳の後継』、新たな頭目の名の頭文字なのか、
それとも『金龍詭道公司』に変わる組織を指すのか、全く判らぬ。
あまりに情報量が少ない、とマイクロフトもお手上げだった。と伯がぼやく。
「傅満洲も十年二十年の潜伏を示唆していましたし…
『後継者』の後を追うのは困難でしょうね。」
「今はここまでとするよりなかろうな。
危険な人物を正体不明のまま、みすみす野に放つ事になるが…」
それはそうと、と伯が懐から何かしら取り出す。
空の薬瓶、例の緑の小瓶であった。
「丸薬は処方通り飲ませ終えたのでな、傅満洲が君へのトロフィーと
言ったのなら、遺言と思って君の手元に置くのが良かろう。
彼奴の言葉通り、大した逸品だぞ?」
マイクロフトもこれには随分驚いていた。と伯はマーサの傷に障らぬ様、
そっとその手に小瓶を握らせた。
「……」
マーサは暫し緑の小瓶を見つめていたが、目を閉じると沈痛な表情で
一筋の涙を流すのだった。
「!…マーサ、どうした!?」
驚く伯にマーサは静かに応える。
「彼女は泣く事の出来ない、泣き顔を見せられない女性でした。
今は…今だけは、私が代わって泣いてあげたいと思います。」
苏西究、傅満洲。
そして多くの『怪力乱人』達も。
彼らのした事、して来た事が許される訳ではないが、もっと幸せな生き方、
終わり方があっても良かったと思う、それはマーサの偽りない気持ちであった。
「…そうか。」
傅満洲以下、『金龍詭道公司』に関わる者達の死を以て、
ロンドンを揺るがした未曽有の事件は一応の終息を見たのであった。
・・・
数日後、マーサの病室にはホームズ兄弟の姿があった。
シャーロック少年がマーサより一足先に退院するのである。
当面はマイクロフト氏の自宅から道場に通うと云う事だ。
少年は何が嬉しいのか、何時になくはしゃいだ様子だった。
「兄さんが寝ずの看病をしてくれたんですよ。
僕、兄さんにはあまり好かれていないと思っていたから嬉しかったな。」
「シャーロック、あまりその様な事を他言するものではない。」
マイクロフト氏が苦笑しつつ嗜めるが、シャーロック少年は我関せず、
と云った態で言葉を続ける。
「僕の目が覚めた時の兄さんの顔ったらなかったな。
姉弟子様、ご存じですか?
兄さんは、本当に嬉しい時には顔をくしゃくしゃにして笑うんですよ。
まるで赤ん坊が泣いてるみたいに。」
「まったく、兄に恥をかかせおって…」
「まぁ、子供は此れ位の方が可愛げがある、と云うものです。
…それでシャーロック、貴方はどうだったのです?
目を覚ましてお兄様のお顔を見た貴方は?」
訊かれて少年は一転、口を噤み、もじもじし始める。
顔が真っ赤だ。
「どうした、シャーロック?
私にばかり恥をかかせるのは些か騎士道精神に反してはいないかね?」
忍び笑いと共にマイクロフト氏が促す。
観念したのか、少年は腕組みし、そっぽを向いて白状した。
「えぇい、恥を忍んで言いますがね。
僕は兄さんの胸にしがみ付いて、子供みたいにわんわん泣いたんです!
ええ、それこそ子供みたいに、ね!」
マーサとマイクロフト氏は顔を見合わせ、一瞬の間を置いて吹き出した。
「もう、これだから…
やっぱり兄さんには敵わないなぁ。」
病室に明るい笑い声が響き渡るのだった。
程なく、ホームズ兄弟は暇を告げ、病室を後にしかけたのだが、
マーサがマイクロフト氏を呼び止めた。
「この機会に、シャーロックとはよくよく話し合ってみて下さい。
今なら彼も胸襟を開いて打ち明けてくれる事もあるかと…
いずれにしても、後悔だけはなさらぬ様に。
シャーロックの身の振り方については近く、審判を下します。
…私が退院する頃には。」
穏やかだが、淡々と告げられたマーサの言葉にマイクロフト氏の
表情が引き締まった。
廊下から屈託のないシャーロック少年の声が届く。
「兄さん、どうしました?
先に玄関で待ってますよ!」
「…承知した。
良い結果になる事を祈ろう。」
マイクロフト氏は短くマーサに応えると、退室し弟の後を追った。
その表情は硬い。
或いは、これが兄弟睦まじく過ごす最期のひと時となるかも知れないのだ。
・・・
いよいよマーサが退院する日である。
病院にはシャーロック少年が迎えに赴いていた。
正面口に辻馬車を押さえてある。
退院するとは言え、まだ自由の効かぬマーサの身の回りの世話をする為に、
少年はマイクロフト氏の自宅から改めてマーサの家へ移る事になったのだ。
馬車の中で、にこにこ顔のシャーロック少年が言う。
「退院祝いのお料理はホワイトシチューにしましょう!
馬車には途中で市場に寄ってもらわないと。
買い物して行きますよ!」
(成程、それが目的だったか。)
兄との語らいもそこそこに、シチューを選んだのだな、この食いしん坊め、と
マーサは内心で苦笑する。
「作るのは私なのですがね。
とは言え、この有様ではそれも満足に出来るかどうか…」
マーサの身体は、まだあちらこちらに包帯が巻かれている。
「えぇ、えぇ。
姉弟子様が、まだ自由の効かないお身体だと云うのは重々承知してます。
勿論僕がお手伝いしますとも。
何でもお申しつけ下さい!」
「…しょうがない子ですね。」
ぼやきつつも、満更嫌な気はしていないマーサであった。
「頂きます!」
果たして、その日の夕食のメインはホワイトシチューとなった。
いざ手伝うとなると、利発で要領も手際も良い
シャーロック少年の事であるから、日頃マーサが作るのとほぼ遜色ない
出来栄えである。
「あぁ、これですよ、これ。
この味が食べたかった!」
熱に魘される最中にも夢にまで見た、と云うから
本当に気に入っているのだろう。
シャーロック少年は久しぶりのシチューの味に大満足の様子であった。
「そんなに、このシチューが気に入りましたか?」
「当然じゃないですか!
ロンドン中…いえ、イギリス中を探したって、これ程美味しい料理は
そうあるものじゃありませんよ?」
「そこまでですか。」
「そうですよ。
バリツの達人や政府の重要な仕事をする人なんかはそれぞれ立派でしょうけど。
でも、こんな美味しい料理を作れる人の方がずっと凄い。
僕はそう『信仰』してるんです。」
マーサの頬に赤味が差し、口角が僅かに上がる。
「…煽てなくても、好きなだけお替わりしていいのですよ?」
思わず、シチューを口に運ぶシャーロック少年の手が止まった。
(!…姉弟子様、笑う事があるんだ。
あんまり笑う事に慣れてない、ぎこちない笑顔だけど…
そうでないより、ずっと好いな。)
「?…どうしました?」
「いえ…姉弟子様、お替りをお願いします。」
「鶏肉はたっぷり?」
「ええ、たっぷり!」
この食欲であれば、予後の心配もなかろう。
再びシチューに取り掛かる少年の回復振りに目を細めるマーサであった。
「シャーロック、以前、室長…ミウラ伯爵に言われた事、覚えていますか?」
食後の茶を飲みながら、マーサがシャーロック少年に問う。
「…僕が『何になりたいのか』って云う話ですよね?」
少年は探る様な目で、おずおずと応える。
「兄さんとも話したんですが、相変わらず具体的にどう言っていいのか…
明確に『これ』って云う言葉が見つかっていないんですよね。」
「……」
「唯…」
「唯?」
マーサは先を促す。
「国の為や正義の為って云うのは柄じゃないと思うんですけど、
弱い人や無知な人達を陥れて踏み躙るのは
絶対にやっちゃいけない。
優れた知恵や能力は人を苦しめる為のものじゃない。
僕に幾らかでもそんな力があるなら、それは苦しめられる人達の
傍に立って、支えてあげる為に使いたいと思います。
この間酷い目に遭って、そう強く思ったのは本当です。」
「…もし、その様な人達を助けるのに、法を破らねばならないとしたら、
どうしますか?」
「ありますよねぇ、そういう事。
うーん、どうだろう…
そう出来るのなら、ばれない様にしてやっちゃうかも知れません。」
マーサの静かな問いに、シャーロック少年はウインクして応えた。
少年の表情に、マーサは思わずはっとする。
あの傅満洲のチャーミングな笑顔が重なって見えた。
・・・
数日後、ディオゲネスクラブの一室に三人の男女の姿があった。
一人は言わずと知れた部屋の主、マイクロフト・ホームズ氏。
後の二人はミウラ伯爵とマーサである。
テーブルに用意された折角の薫り高い紅茶は少々冷めてしまっている。
今まさに、シャーロック少年の去就を決する最後の審判が
行われようとしているのだ。
マイクロフト氏の表情は昏い。
「シャーロックとは随分と話し合ってみた。
本質は善性だと信じたい…信じたいが、どこかはぐらかされている様で
本心が読み切れなかった。」
所作や表情から情報を抜き取る事には長けていても、
感情や心の機微は読み切れぬ、と自信なさげに語るマイクロフト氏。
「それに…あの子はどこか法や正義と云うものを軽視している節がある。
事を成すのに邪魔であれば、感情のままにか、或いは効率のみを求めてか、
いずれにせよ一足飛びに常識的な軛を超えてしまう様な危うさを感じるのだ。」
「ふむ…私も基本的には善性の少年と見たが、君の言う『危うさ』も解るな。
物腰は柔らかいが、どこかしら孤高で、容易に心の奥底を覗かせぬ、
こう言って良ければ『油断のならぬ少年』と思える。
万一悪の道に進めば大きな社会的脅威となり得る存在、とする君の危惧も
尤もだろう。」
ミウラ伯も渋面でマイクロフト氏の見立てに同意する。
「だが、唯一人の弟なのだ!
一族の誓約とは言え、仮定の脅威だけであの子の将来を奪って良いのか、
私は今になって後悔している…
いや、例え悪人となっても生きていて欲しいとさえ…!」
頭を抱え苦悩するマイクロフト氏の訴えは悲痛であった。
「…マーサ、君はどう見たのだね?」
少年を救わんと、命懸けの闘いに挑んだ彼女の知見に希望を見出したい、
そんな思いが滲むミウラ伯の問いに、マーサは白磁の表情を崩す事無く
応えた。
「一見もの柔らかく善性の少年、ですが本心は容易に覗かせぬ孤高の人物。
必要とあらば、法律や社会正義など意に介さぬ、と云うのもその通りでしょう。
私も試しに『事を成すのに法を破らねばならないとしたら』と問うてみた
のですが、『ばれぬ様にやってしまうかも』と答えましたよ。
その時の彼の表情は、あの傅満洲の笑顔を思い出させました。」
「おぉ…もう…」
マイクロフト氏の悲痛な呻きを無視する様に、マーサは言葉を続ける。
「ですが…今回の事件は、彼の心に強い印象を残した様です。
自分に幾らかでも知恵や能力があるなら、
それは悪人の奸智に苦しむ人々の傍に寄り添い、
護る為に使いたい、そうはっきりと答えてくれました。」
「では…!」
マイクロフト氏とミウラ伯の目に輝きが戻る。
「…彼は、世間で言われる様な正義だの愛だのは追いかけないでしょう。
時には法も常識も意に介さぬ振る舞いをする事もあるかと。
ですが、それは私利私欲の為ではありません。
無辜の人々が悪逆の徒の邪智暴虐に晒される事を決して許さない、
自分は護る側の者だ、と明言したのです。
この様な人が就く職業がどんなものか、何と呼ぶべきなのかは
私にも分かりませんが…」
二人の顔を見つめ、マーサは口角を上げる。
彼女としては精一杯の微笑みと共に伝える。
「シャーロックは、立派な『英国紳士』になれるでしょう。」
「『英国紳士』…『英国紳士』か!
これは好い!!」
一瞬あっけに取られ、直ぐに相好を崩し、手を叩いて叫ぶマイクロフト氏。
ディオゲネスクラブでその主宰が禁を破るとは、前代未聞の出来事であろう。
ミウラ伯は相変わらずの悪鬼の如き笑顔で、だが氏の肩を優しく叩く。
(…成程、シャーロックの言った通り。
まるで泣き出した赤ん坊の様な笑顔だこと。)
自身も笑みと呼ぶには些か強張った表情なのだが、
三者三様、それぞれが笑顔の内に最後の審判は終了した。
シャーロック少年の生命は、今度こそ本当の意味で救われたのである。
・・・
「引退か…寂しくなるな。」
『史料編纂室』で茶を啜るミウラ伯とマーサ。
マーサの身体については先んじて病院から報告を受けていたから驚きはない
ものの、寂寥の思いを禁じ得ないミウラ伯であった。
「ご存じではあったのでしょう?
お医者様には日常の生活には支障ない程度に回復する、と言われましたので、
『では『機関』のお仕事に戻っても?』と聞いてみましたら、まぁ大変。
『運動は御法度です! 『機関』の任務などに就いた日には、
身体がバラバラになっても知りませんよ!?』とけんもほろろでしたの。」
「人の限界を超えた代償、か。
…バリツと云い仙道と云い、武の道は奥深く、険しいものだな。」
自身も到達した事のない境地に至り、しかしその一瞬の輝きの代償に
道を絶たれたマーサに、ミウラ伯は何を思うのか。
「現役は引退しましても、暫くは道場で教導に当たりますし、
永遠の別れと云う訳でもないのですから…」
当のマーサはやり切った感があるのか、存外あっさりしたものである。
「当面は後身の指導を頼むとして、引退した後の生活はどうするのかね?」
「いずれは下宿屋でも開こうかと。
ベーカー街に良いアパートメントの出物がありましたので、
手付を払った処ですわ。」
「成程、それでか。
マイクロフトの奴も耳が早い。」
「?…何かありましたので?」
訝しむマーサにミウラ伯が告げた言葉は驚くべきものだった。
「…その物件な?
私とマイクロフトから君に贈らせてもらいたいのだが。」
「!…私の蓄えと退職金に、夫の遺産も幾らかありますし、
そこまでして頂くのは…」
「そう、それよ。
『亡き親友の細君にして弟の生命の恩人に、せめてもの謝意を示したい。
私にはそういう権利があると思わんかね?』だそうだ。
奴らしい持って回った言い方だが、これには私も賛成だ。」
マーサの胸に熱いものがこみ上げる。
徐に丸眼鏡を外し、クロスで擦り始めた。
「…あらあら、どうしましょう。
いけませんわ、急に眼鏡が曇って…」
目を瞬き鼻声で応じるマーサに、ミウラ伯は悪鬼の笑みで止めを刺した。
「何と言われようと、これが我等『英国紳士』の矜持と云うものさ。
…断っては、くれるなよ?」
うわぁ、長い。
過去最長かしら、六千字を越えてしまた…
『正義だとか愛など俺は追いかけない』『守りし者』…
ええ、『GARO(牙狼)』ですとも。
先週のゴジュウジャー、小西遼生さんが出演されていたのですが、
いやぁ、恰好良い。
「ほぼGAROじゃん!」と大喜びで観てました。
良いもん観れたなぁ。
さて、今回諸々の後始末を終えた本作、次回が最終回となります。
お楽しみに。
城内は『GARO(牙狼)』を超応援しております。




