15. 黄金銃を持つ男
遂に対峙したマーサ・ハドスン夫人と魔人・傅満洲。
二人の恐るべき死闘の行方は!?
ep.16(第15話)を投下致します。
遂にヴェスヴィアス山荘の大広間で対峙したマーサ・ハドスン夫人と
傅満洲博士主従。
静かに緊張の度合いを高めるマーサ。
相変わらず人を食った嘲笑を崩さぬが目は笑っていない苏西究。
そして傅満洲は泰然自若の態で懐から何かしら取り出し、
コトリとテーブルに置いた。
美しい緑色の小瓶である。
「この小瓶に三粒の丸薬が収められておる。
湯呑一杯の白湯と共に朝昼晩と一粒ずつ服用さすれば、汗と共に毒は抜け、
熱も下がり、件の少年は快癒しよう。」
小瓶を取り上げると暖炉の灯に透かして眺める。
その煌めきは唯のガラスではあるまい。
恐らくは高価な貴石・宝石の類であろう。
「勇敢マダムよ。
汝がここに頭を垂れ、余に服従の意を示すならば、
今この場でこの小瓶を取らそうが、如何かな?」
悪戯っ子の様な笑みを浮かべて傅満洲は提案する。
「だが、もし断られたら、余は嘆きのあまり、癇癪を起して
瓶を暖炉にくべてしまうかも知れぬ。
そうなれば、もはや少年は助かるまい。
誠に残念な事である喃。」
先程の笑みから一転、実に悲し気な表情を作る。
「ほらほら、主様は大慈大悲のお方アルよ?
気が変わらない内にお慈悲に縋るのが得アル!
何なら、この場だけ頭下げてお薬かっさらっても好いかもネ!?
おばちゃんのプライドが許せば、だけど?」
苏西究が追従なのか煽っているのか、
良く判らぬ事を言い出す。
「貴方は…何故、私に拘るのです?」
マーサは、感じていた疑問を率直にぶつけてみた。
彼の勧誘には唯腕利きを手元に置きたい、と云う以上の熱を感じていた。
まさか、自分などに一目惚れした訳ではあるまいが。
「生气! 質問に質問で返すの、良くないアル。
試験なら落第アルよ、落第!!」
「まぁ良い、控えよ、苏西。」
従者を宥めると、この大悪党は真剣な顔で言う。
「そうさ喃…ならば、余も更に問いを重ねるか。
汝は、憎くはないのか?
『この国』が。」
「何を世迷言を…憎む理由がありません。」
にべもなく一蹴するマーサ。
「果たしてそうかな?
汝の夫はその稀有な才能をこの国に使い倒され生命を落とした。
その様な事がなければ幸せな夫婦の暮らしが続いていたのではないか?」
「……」
「汝が仕えるミウラ伯爵もそうであろう。
表では昼行燈の放蕩貴族と後ろ指を指され、陰働きも所詮は乱波・透破の類、
伺見の頭目と蔑まれる身よ。」
「……」
「ホームズ兄弟などは魔女狩りで族滅の憂き目に遭い、
ヨーロッパ中を放浪するに至った一族の末裔。
恨みを持つ事がなかったと言えるか?」
「だから何だと言うのです!
それぞれに事情はあっても、その境遇を恨むとは限らぬでしょう!?」
語気強く言い返すマーサ。
だが、言葉とは裏腹に心臓の鼓動が早まる。
「苏西究は嘗ては大店の娘。
何不自由なく暮らしておったが、夜盗に押入られ、一族郎党は鏖殺し。
自身は凌辱の末に、玉の顔を無惨に潰された…」
「!…主様、いけません、その話は! それ以上は!!」
何を察したのか、苏西究が常の道化振りも忘れ、主の言を止めようと
叫んだ。
だが、傅満洲は止まらない。
「そして余は、親族の奸計に陥り廃太子となった。
人もあろうに、一国の王太子であった余が『宮刑』の辱めを受けたのだ!」
「あぁ…主様…」
あの苏西究が、顔を覆って泣き崩れる。
『宮刑』とは、去勢を意味する刑罰で、男性器を機能不全にするものである。
特に中国での事例が良く知られており、子孫が残せぬと云う重い恥辱を意味した。
歴史書『史記』の編纂で名高い司馬遷も、さして親しくもない知人の弁護を
行っただけの事で時の皇帝の勘気に触れ、この刑を受けたのは有名な話である。
「…分かるかな、マダム?
余は、この世が、世界が憎い。
故に世界を巡り、余と同様に世界を憎み、恨みを晴らしたいと
願う者達があらば、これに手を差し伸べ、同志に加えて来た。
来るべき未来、彼らと共に、余は世界を手中に収め…」
滔々と語る傅満洲の顔を見つめ、マーサは得心する。
あぁ、これは悪魔だ。
神と世界を憎み、人を陥れる事を望んで止まない悪魔の笑みだ。
「…手に入れたその世界が滅ぶ様を見たいのだ。」
・・・
傅満洲の驚くべき独白。
事の是非はともかく、魔人には魔人に成り果てるだけの理由はあったのである。
並みの者なら彼らの壮絶な半生に気圧され、同情や憐憫の念に
囚われてしまったかも知れない。
だが、マーサは心を励まして応える。
「貴方達の身に降り掛かった不幸には同情致します。
或いは復讐を望み、果たすのも止むを得ない事でしょう。
ですが、それは無関係の他者まで巻き込んで不幸にする事への
免罪符とは成り得ません!」
「響かぬか…
所詮は綺麗事、他人事よの。
汝達は是非とも同志として迎えたかったのだが、な。」
傅満洲が溜息と共に漏らす。
悪魔の笑みが、何時の間にか寂し気なものに変わっていた。
「お生憎、としか言い様がないのですけど…
私は…私達は世の中にも人間にも、そこまで絶望していないのです。
貴方達の手は取れません。」
どこか済まない気持ちになるのを抑えつつ、しかしマーサははっきりと
拒絶の意を示した。
「…相分かった、これ以上は望まぬ。」
まさか涙を堪えているのか、天を仰ぎ、震える声で傅満洲が応えた。
緑の小瓶をテーブルに戻す。
「苏西、汝はここを離れよ。
『彼奴』と落ち合い、余の凱旋を待つが良い。
勝利の美酒は、上物を用意しておくのだぞ?」
「是…主様、ご武運を。」
苏西究は涙を拭うと一礼し、廊下の闇に溶けるかの如く走り去った。
その後姿を暫し目で追った後、傅満洲はマーサに向き直る。
「マダム、余を倒せたならこの小瓶は汝に与えよう。
だが、もはや万が一にも生かして還すつもりはないぞ?
これより先は…」
「!?」
マーサは思わず身を震わせ、構えを取る。
傅満洲の身体から凄まじい煉気が立ち昇る。
武術に於いても達人中の達人のみに可能な領域に、この魔人は到達していた。
「…『狩り』の時間だ。」
・・・
山荘を抜け出した苏西究が夜の森を駆ける。
悔しいが、自分の実力ではあの二人の闘いには付いてゆけぬ。
それは良い。
ロンドンブリッジでの闘いを見るに、主様の実力はあの女を遥かに
凌駕している。
それでも拭い切れない胸騒ぎがするのは、寧ろ『金龍诡道公司』の
内部事情のせいだ。
(主様はあの男を重く用い過ぎる。)
何時の間にか組織に加わり、そう時も置かず確かな才能と実績を示して
頭角を現した青年。
主様は面白がって『余が悪徳の後継』などと持ち上げているが、
その実、周囲には慇懃無礼で鼻持ちならない。
懐に毒蛇でも忍んで来る様な薄気味悪さがある。
加えて近頃は周囲に隠れて何やら不穏な動きをしている様だ。
苏西究は夜の森を駆ける。
麓村に入れば、明け方には辻馬車が捕まえられるだろう。
急ぎロンドンへ取って返し、主様がお戻りになる前に組織の内部を
一点の曇りもなく綺麗にしておかなくては。
(彼奴は私達とは決定的な何かが違う。
主様に取り入って何を企んでいるのか知らぬが、あたしの目は誤魔化せないよ。
あたしがしっかりあの若造の手綱を握っておかないと!
もし主様を裏切るなら…その時は、貴様の生命はないと思え!
若造、『ジェームズ・モリアーティ』!!)
・・・
山荘の大広間で向き合うマーサと傅満洲。
どちらかが一歩進めば相手は一歩下がり、どちらかが一歩下がれば
相手は一歩進む。
同じ間合いを保っている様に見えて、しかし実際にはじわりじわりと
狭まっていた。
「……」
マーサの額に汗が滲む。
ロンドンブリッジで闘った時より、遥かに圧が強い。
手心を加えるつもりなど一切ない、魔人の殺気が容赦なくマーサを襲っていた。
不意に傅満洲の身体が揺らめいた。
(来る!)
『仙道』の分身術だ。
幾重にも分身した傅満洲がマーサを囲み、回る。
「!」
包囲の輪が収束する瞬間、マーサは大きく跳躍して囲みを抜ける。
「…やる様になったが、そう何度も使える手ではない喃。」
一体に戻った傅満洲は事も無げに呟いた。
宙返りから着地し再び距離を取ったマーサだが、デイドレスの袖が裂けていた。
手刀が掠め、切り裂かれたのだ。
目の前の魔人が言う通り、この様な躱し方を繰り返せば消耗するのは
マーサの方だ。
いずれ捉えられる。
(焦るな、考えるのだ…)
ふと組手の際のミウラ伯の言葉を思い出す。
『手足を露出させるのがまず手っ取り早い。
殊に『足』よな。』
相手の豪奢な長衣は先の闘いの時と変わらず、
手足はほとんど露出していない。
(『無敵の人』などあり得ない。
何か…何かやり様はあるはずなのだ…)
マーサは相手を見据えつつも、同時に周囲を観察する。
武道で云う『八方目』である。
ダンスホールを兼ねた大広間。
豪奢なシャンデリアが下がり、床には大きく厚いオーク材が何枚も敷かれていた。
グランドピアノ。
黒檀のダイニングセット。
テーブルの上にはスコッチのボトルとグラス、そして丸薬の入った緑の小瓶。
大きな暖炉はまだいくらか燃えているが、大分灰勝ちになっている。
暖炉の側には薪が積まれたログラック。
その脇には暖炉のアクセサリーだ。
箒に火かき棒、スコップ…
(あれだ!)
マーサは暖炉に向かって跳び、スコップを引っ掴むと暖炉の灰を掬い、
広間中へ盛大にぶちまけた!
何度も、何度もぶちまけ、広間にはもうもうと灰神楽が立ち込める。
「!?…自棄を起こしたか?
或いは灰神楽に紛れ、小瓶を盗んで逃げおおせるとでも思っているのか?」
であるなら、とんだ見込み違いであったと云うものだ、と流石に顔を顰め、
口元を袖で覆った傅満洲が悪態をつく。
「逃げも隠れも致しません。」
鎮まりゆく灰煙の中からマーサが応えた。
スコップを投げ捨てると正面の魔人を見据えて言い放つ。
「第二ラウンドと行きましょう!」
「!…それでこそ、と云うものだ、マダム!」
再び傅満洲の姿がゆらめき、分身する。
マーサは囲まれる前に月歩で滑る様に後方へ下がり、距離を保つ。
「逃げも隠れもしないのではなかったかな、マダム?」
傅満洲は揶揄しながらマーサを確実に
部屋の隅へと追いやる様に動く。
追い詰められながら、マーサはほとんど傅満洲を見ていなかった。
足元、床ばかりを気にしている。
「…余から目を切るとは感心せんな。」
「!」
マーサの眼前に迫った傅満洲が、必殺の『通背拳』を繰り出した。
掌底を十字に組んだ腕で受け止めつつ、マーサは自ら後方へ跳ぶ。
ドゥンッ
マーサの身体が壁に叩き着けられた。
「浅いか…相変わらず良く躱すものよ。」
マーサがゆっくりと立ち上がる。
目に強い光があった。
(!…そうか、そうだったのか!!)
「…ふむぅ?」
マーサは足を止め、重心を下げた姿勢で構えを取っていた。
柔道で云う『自護体』である。
「覚悟を決めた、と云う事かな?
ならば、止めをくれてやろう!」
傅満洲は三度分身し、マーサに迫る。
対するマーサは半眼で傅満洲の足元を、足元のみを見ていた。
(ここだ!)
「むぅ!?」
マーサは繰り出された『通背拳』の左腕を袖ごと捉え、
その腕を自身の肩に乗せると自分の体諸共巻き込んで前方に投げ落とした!
どさり、と派手な音を立てて二人ながら床に倒れ伏したが、マーサは
くるりと転げて身を離す。
「…余を地に這わすか…!」
如何にも苦し気な表情で傅満洲が遅れて立ち上がる。
左の肩が下がっているのは関節が外れたか。
『背負い落とし』
背負い投げの形で相手の腕を『極めながら』投げる、危険な変形投げが
見事に決まっていた。
格闘技に精通した者達の間では広く識られている事に、
元来『投げは効く』『投げは強い』、と云うものがある。
まして、硬く分厚いオーク材の床に叩きつけられた衝撃は如何ばかりか。
硬い地面や床に身体を叩き着けられればダメージがない方がおかしい。
柔道の畳にしろレスリングのマットにしろ、選手の安全を確保する為に
用いられているのであるし、これらを学ぶ者が真っ先に、そして入念に
教え込まれるのが受け身である事からも投げ技の強さが伺い知れる。
そして、魔人・傅満洲とても投げ技に精通していない訳ではない。
むしろ満州族には『摔角』と呼ばれる打撃と投げ技の武術が
存在し、彼もこれに通じていた。
だが、『摔角』に於いての『投げ』は相手を投げ飛ばし、或いは
地に転がして『捌く』事に重きが置かれ、彼もその様に認識していた。
対して柔道やレスリングのそれは、相手と諸共に自身も倒れ込み、
そこから『締め技』や『極め技』に移行する、と云うスタイルの違いがある。
この場合は技の優劣ではなく、一方に通じていた事が彼に災いしたのである。
「ぬん!」
かこん、と肩が嵌る。
顔を顰めながら肩を回し、状態を確かめる傅満洲。
外れた肩を入れたとて、その炎症が収まるには日を要する。
魔人であろうと痛いものは痛いのだ。
「…投げも見事であったが、良くぞ余の分身術を見抜いたものだ。
マダム、参考までに、如何にして看破し得たのか、聞かせては
もらえぬか?」
気になって仕方がない、と言わんばかりの表情に少々呆れぬでもないが、
マーサも息を整える暇が欲しい。
構えは解かぬが、ぽつぽつと話し始める。
「…まずは、足跡でした。」
「ほう?」
「私の『月歩』は引きずる様な足捌き。
ですが、貴方の足跡は、ごく小さな点が沢山着いていました。」
「ふむ。」
「第二に、舞い上がる灰。
分身の二体か三体毎に、足元の灰が舞い上がっていたのです。」
「そこで、あの灰か!」
「最後に、影。
貴方が何体に分身しようと、影を持っていたのは一体のみ。」
「なんと。」
「思うに、貴方の分身術は、つま先立ちで行う超高速の横移動…
熟練のバレエダンサーをも凌駕する程のそれを繰り返す事で
可能になる技、ではありませんか?」
「…美事…美事と言う他あるまい。」
傅満洲の、簡潔だが惜しみない讃辞であった。
『白鳥の水かき』と云う言葉があるが、傅満洲を魔人たらしめる
分身術の秘密は、正にその足先の玄妙なる動きに依って成されていたのである。
その看破に至ったマーサの観察眼と推理力も天晴であった。
「確かに、貴方は『天才悪魔』と呼ばれるに相応しい魔人なのでしょう。
ですが、私の技も届かない訳ではない。
これより後は、楽に闘えるとは思わない事です!」
凛として言い切るマーサの構えに力が籠る。
だが、眼前の魔人はにやりと笑みを湛え、マーサにウインクした。
「いや、闘いはもはや終わったのだよ。
後には余の勝利と…汝の死体だけが残る。」
「!」
黄金の龍がマーサを睨み、顎を向けている。
傅満洲の右手に握られていた物は…
龍の意匠が施された、黄金の拳銃!
タイトル元ネタは映画・『007/黄金銃を持つ男』。
主演はロジャー・ムーアです。
奇しくも『機関』の後身である『MI6』のエージェント、
ジェームズ・ボンドが主役のシリーズですね。
名前だけ出てきましたが、モリアーティのキャラクターイメージは
デスノートの夜神月が近かろうと思います。
まだ若い頃ですし。
傅満洲の分身術の歩法はイギリスのニューウエーブバンド・ジャパンの
ベーシスト、ミック・カーンのステージパフォーマンスが元ネタです。
もしくは漫画・パタリロのゴキブリ走法。
ミック・カーンはベースを弾きながら、ステージを左右にすーっと
横移動するんですよ、分身はしませんが。
ユーチューブに映像があるのでご興味のある人は検索してみて下さい。
土屋昌巳がギターで参加している貴重な映像もあり。
楽曲は『ジェントルマン テイク ポラロイズ』や
『メソッズ オブ ダンス』辺りがお奨め。
なお、脱臼の応急処置は自分でやらないで下さい。
神経やら血管やらを傷つける恐れがあるので速やかに医療機関へ。
そういえば、パタリロにもMI6のエージェント、バンコランが
いましたね。
城内は漫画家・魔夜峰央先生を超リスペクトしております。




