13. 皆はこう呼んだ、聖ゲオルギオス
ヴェスヴィアス山荘を目指すマーサ・ハドスン夫人。
その道中には何が待つのか。
ep.14(第13話)を投下致します。
五日目早朝。
嵐は峠を越したが、まだ雨足は強い。
『史料編纂室』では出立の身支度を整えたマーサ・ハドスン夫人と
『機関』の猛者数名がミウラ伯爵と最後の打ち合わせを行っている。
打ち合わせが終わればマーサ達は既に捕まえてある辻馬車でユーストン駅へ
向かい、ナショナルレールでカーライル駅を目指す。
カーライル駅には電信でクロスフェル山の麓村までの馬車を手配済みだ。
麓村からは徒歩でティーズ川に沿って山を登る。
川の源流付近まで登った先が、目的地であるヴェスヴィアス山荘だ。
少なく見積もっても八時間から十時間はかかろうと云う強行軍。
そしてその後には…ほぼ間違いなく戦闘になるのである。
「闇社会の大物が相手とあって、スコットランドヤードも重い腰を上げたよ。
ここで何としても傅満洲博士の一味を一網打尽にするつもりだ。
彼らも現地に警官隊を動かす。
カーライルへ向かう列車を共同で一両借り切ったから、彼らと同乗してくれ。
可能なら、一味の拿捕・殲滅にも共同して事に当たって欲しい、との事だ。」
ミウラ伯が一旦言葉を切る。
「日頃は胡散臭いものを見る様な顔をしておいて、
こんな時には『手を貸せ』とは虫の良い話ですな。」
「そう言ってやるな。
彼らとて一味には随分としてやられているのだ、思う処もあるだろう。」
「この国を護る気持ちは同じなのだ。
そこにヤードも『機関』もあるまいよ。」
「我等の技の冴え、ヤードの連中に見せてやろうではないか。」
これまで後手に回らざるを得なかった事もあってか、『機関』の猛者達も
鬱憤が溜まっていたのであろう。
皆、語気が強い。
その中にあって、マーサだけは思い詰めた表情で押し黙っていた。
恐怖はない。
だが傅満洲の恐るべき『仙道』の技への対抗手段を未だ見出せない
事実が、マーサに緊張を強いていた。
「皆、気持ちは分かるが逸るな。
…心配かね、マーサ。」
「一度敗れてもおりますし、これは、と云う対抗手段がまだありませんから…」
「そうだな…四千年を誇る中華の歴史が我々の敵。」
マーサを真っ直ぐ見つめ、伯は語る。
「…そう思う事自体、奴の思惑に乗せられているのではないか。」
「…?」
「…!?」
マーサも、『機関』の猛者達も顔を見合わせ訝しむ。
「私は思うのだ…
確かに『仙道』は四千年の歴史の中で磨き抜かれた技術であろうさ。
だが、傅満洲博士自身が四千年を閲した化け物ではない。
精々が五十年程を生きただけの人間ではないか、とな。」
「あ…!」
腑に落ちた様子でマーサが声を漏らした。
「技術が強いのではない。
確かに識らぬ技に対する不利はあろう。
だが、『武』と云う物の強さは詰まる処、『人』の強さ、と私は思う。」
どこか浮薄であったマーサの心身に、静かに自信が甦ってくる。
「最後に…女王陛下から皆に特別のお言葉を賜わっている。
傾聴せよ!」
ザッ
居並ぶマーサと『機関』の猛者達が一糸乱れず直立不動の姿勢を取った。
「『イギリスを寒からしめ、我が臣民を脅かす不逞の徒、
傅満洲博士とその結社『金龍詭道公司』を打倒せしめよ!』
以上!!」
「女王陛下万歳!!」
男達は一斉に叫び、部屋を辞して行った。
続いて部屋を出ようとするマーサを伯が呼び止め、声を掛ける。
「…親友の弟の生命が掛かっていると云うのに、共に行けぬ私を許して欲しい。」
この豪胆な男らしからぬ、苦し気な表情であった。
「いえ、室長は女王陛下の最後の護りです。
ロンドンを離れられぬのは仕方のない事、そのお言葉だけで充分です。」
「そしてな…陛下は、君に宛てて、非公式に付け加えられた。」
「!」
マーサが改めて居住まいを正す。
「『親愛なるハドスン夫人、万難を排し、少年の生命をお救いなさい。』
以上だ。」
「女王陛下の名は讃うるべき哉!」
陛下が見ておられる!
畏れ多くも自分を見守って下さっている!
シャーロック少年の身を案じて下さっている!
望外の言葉にマーサの心が芯から燃え上がった。
「君命、謹んで拝命致します。」
凛として応えると、マーサは自らも出立すべく部屋を辞した。
・・・
ユーストン駅で列車に乗り込むと、先に乗り合わせていた
スコットランドヤードの警官達がマーサ達に一瞥をくれる。
ごろつきとは言わないが、荒事慣れしていそうな風体の連中だった。
それぞれが思い思いに煙草を吹かしたりカードに興じていたものが、
一斉にマーサ達を品定めするかの様な目で睨め付ける。
あまり歓迎されてはいない様だ、と空いた座席を探していると、
懐かしい顔に出会った。
「ハドスン夫人じゃありませんか!」
声を挙げたのは嘗て他流試合を闘った、レストレード青年である。
この場にいるからにはスコットランドヤードでの職務に於いても
相応の成果を上げ、実力を認められているのだろう。
マーサは軽く会釈を返す。
カーライルまでの車内では他にする事もないから、と青年は
マーサに情報交換を申し出た。
「勿論ここにいる者は皆、秘密を守れる者達ですから、安心して下さい。」
皆、聖書に手を置いて誓ったのだ。と青年は請け負った。
「…今回僕らには、陸軍からライフルだのの装備が支給されているんです。
東洋人の大物が率いる犯罪結社が相手と聞かされていますが、
唯の犯罪者集団を相手にするには物々し過ぎる。
ちょっとは聞きかじっている事もあるんです。
貴女方がいるからには、例の『青い怪人』絡みじゃないかと…」
マーサを相手に小声で話すレストレード青年の言葉を遮って、
胴間声が車内に響いた。
「ご婦人を伴っての物見遊山とは感心しないねぇ!」
「武器も持たずに、ピクニックに出かけるんじゃないんだぜ!?」
「『機関』とやらは随分とお愉しい職場でいらっしゃる様だ!」
野次を飛ばしたのはヤードの警官隊でも年嵩の男達であった。
重要な作戦と聞かされているのに、部外者の、それも黒服の男達と丸眼鏡の婦人と
云う胡散臭い連中が武器も持たずについて来るのが面白くないのであった。
自分達の監視か、或いは手柄を横取りしようとでも言うのか、と
誤解したのであろう。
黒服の男達の目付きが険しくなった。
マーサはと言えば、いつもの白磁の表情を崩しもしない。
「あいつら!…いや、そうか、知らないんだ。」
実の処、『機関』の者達の実力を見知る機会のあったレストレード青年の方が
特殊なのである。
「皆、やめるんだ!
協力して事に当たれと言われてるじゃないか。
この人達の実力はちょっとしたもんなんだぜ?
殊に、このご婦人は僕より強いと保証しよう!」
レストレード青年は声を張り上げる。
が、これは悪手だった様だ。
「おいおい、レストレード、『騎士道精神』って奴かい?」
「レストレード、担いじゃいけないぜ!?」
警官隊の皆が嗤いながら返す。
「僕がこういう時に冗談を言うとでも?…この僕が?」
レストレード青年の一言に皆が鼻白む。
青年の実力もそうだが、むしろその鼻っ柱の強さは皆が良く知る処であった。
理由もなく他者の後塵を拝すに甘んじる男では決してない。
「だがなぁ、レストレード。
俺達はライフルまで持たされてるってぇのに、そっちの先生方は丸腰で
付いて来るってのは、些か馬鹿にしちゃぁいねえかい?」
「いざってぇ時に足手纏いはご免だぜ?」
尚も食い下がる警官達にレストレードも言葉を詰まらせた。
彼とて『機関』の者達が寸鉄帯びぬ身でやって来た事には
決して面白く思ってはいないのである。
「…ハドスン夫人、このままではヤードの皆さんも納得しないでしょう。
少々ご披露しても?」
「仕方ありませんね、ただ、やり過ぎない様に。」
黒服の中でもリーダー格と思しい初老の男の言葉に、マーサも渋々ながら
承知した。
「では…」
黒服の男達が電光石火で動き出す。
中肉中背の一人はレストレード青年も舌を巻く程のフットワークで距離を詰め、
警官の一人の顎の下でアッパーカットをぴたりと止めた。
いつの間にか、その拳には鈍く光る金属が握られている。
メリケンサック、ナックルダスター等と呼ばれる暗器であった。
その光景にぎょっとして立ち上がった別の警官の背後には、細面だが
引き締まった体躯の男が立ち、その首筋に苦無を当てている。
「俺はこんなのを持っているが、車両を壊す訳にもいかん。
この場は見せるだけで勘弁願いたい。」
太い声で言った体格の良い男が胸元から取り出し、大きな掌に
バシンと打ち付けて見せたのは砂を詰めた円筒形の革袋、
ブラックジャックであった。
そして初老の男は警官の中でも年嵩の、如何にも世故に長けた風の
男の前に立つと、手にしたステッキをひゅんと振って告げた。
「我ら、職務上の都合で銃は持たぬが、今回は事が事故、それぞれに
得意とする暗器の使用を許可されておる。
丸腰で来てはおらぬから、ご安心召されよ。」
何時抜いたものか、警官の眼前に突きつけた刃物の先端に、
吸っていた煙草の火種のみが切り取られて乗っかり、薄く紫煙を上げている。
仕込み杖であった。
「…okay、悪かった、降参だ。」
火の消えた煙草を口から落とした警官は両手を挙げて詫びた。
「…貴女も、何か武器をお持ちなんですか?」
恐る恐る訊ねる青年に、マーサはポケットから例の1ペニー銅貨を
取り出して見せる。
「『ヤング・ヴィクトリア』? どう使うんです?」
「指で弾けばデリンジャー拳銃程度の威力は出ますし、
投げれば肌を破って突き刺さりますよ?」
(やはり、恐ろしいご婦人だ…)
事も無げに告げるマーサに、戦慄を禁じ得ぬレストレード青年であった。
・・・
カーライルで馬車に乗り換えた一行がクロスフェル山の麓村に
到着したのはそろそろ日も傾き始めるか、と云う頃である。
ここからは徒歩で峻険に挑む事となる。
どうにか雨は上がっていたが、山路は相当足元が悪くなっているだろう。
「…ライフル担いで夜のハイキングとは、ぞっとしないねぇ。」
警官の一人が冗談とも本気とも取れぬ口調でぼやく。
黒服の一人がこれに応じた。
「夜間行軍も山岳訓練も経験しましたが、同時と云うのは初めてですな。
しかも雨後とは、悪条件が過ぎる…」
「まぁ、ご安全に、ゆっくり急いで行こうや。」
軽口を叩きつつも警官の顔は真剣そのものである。
危険な夜の登山が始まった。
果たして、道中は危険の連続であった。
川沿いを登って行くが、闇夜の上に足元はぬかるみ、一度ならずあわや滑落、
と云う場面があった。
警官の一人が足を滑らせた時など、すんでの処で黒服の男が手を掴み、
転落を免れた。
「すまねぇ…助かった。」
崖下に転がり落ちる岩を見つめ、青い顔で礼を述べる警官に『機関』の猛者が
事も無げに返す。
「我々はチームですから、『仲間』を助けるのは当然ですよ。」
「そうか…俺達は『仲間』か…」
「えぇ、この国を護る『仲間』です。」
「それにしても…あれは一体どういうご婦人なんだ?」
皆、強行軍で一方ならぬ疲れが出ている。
警官の中には顎を出している者も少なくない。
黒服達も彼らなりに疲労の色が見えるのだが、マーサのみは
いつものデイ・ドレスで、平地を行くかの様にひょいひょいと山道を
登って行くのである。
「あの方は色々と特別…多分この国で二番目くらいには強い方です。
こう言っては何ですが、ああ云う物だと納得して頂くしか…」
「いや、すまん。
聞いてはいかん事だったな、忘れてくれ。」
複雑な表情で応える黒服の男に、警官は苦笑で返すのだった。
・・・
「駄目だ! こっちは駄目だ、崖崩れだ!」
既に夜になっている。
一行はティーズ川に沿って山を登っていたが、嵐によって川が氾濫し、
通るべき橋が流されていたのである。
『機関』の猛者達が先に立ち、迂回路を探しに出ていたのだが、
どうやらそちらも崩れ塞がっているらしく、虚しく戻って来たのだった。
「どうする? これでは今夜中の到着は叶わぬぞ?」
「今夜どころか、復旧に何日掛かるか分かったもんじゃぁねぇな。」
黒服の男達も警官達も顔を見合わせ頭を抱えるが、良い知恵も浮かばない。
「遠回りになるが、更に大きく迂回するしかあるめぇよ。」
「到着は早くても明朝、下手をすると昼近くなるか…」
「それでは間に合わないのです。」
マーサが静かに告げる。
「今夜中に決着を着けねば、一人の少年が生命を落とします。」
「だからって、今通れる道がねぇんだよ!
どうしようってんだ!?」
警官の声も思わず荒くなる。
「私が先行します。
皆さんは迂回して、可能な限り早く追い付いて下さい。」
マーサはどこまでも冷静に白磁の表情で告げた。
「いや、ですから道が塞がってるんですよ? ハドスン夫人。」
レストレード青年が訝しむ。
「川を遡ります。」
「川を?…どうやって?」
「走って。」
「走って…?」
「まず、右足で水面が石畳と感じる程の速さと強さで踏み締めます。」
「……」
「右足が沈む前に、左足で同じ事をします。」
「……?」
「後は繰り返しです。
簡単でしょう?」
「……!?」
何を馬鹿な事を、と半ば呆れ、半ば憤る警官隊の面々が見守る中、
マーサは黒服のリーダー格に後事を頼み、すたすたと川岸へ向かう。
「では皆さん、お先に。」
スカートの裾を摘まみ上げ、軽く助走を付けると濁流にひょいと飛び込んだ。
「!?」
「危ないっ!!」
警官隊の男達が思わず声を挙げる。
ドバババババッ
虚しく濁流に飲み込まれると思われたマーサは、しかし、凄まじい水飛沫、
いや、水柱を上げながら川の水面を疾走って行くではないか!
『水上歩行』の奇跡を目の当たりにした警官隊の面々の驚きたるや!
「何だ…何だよ、あれ…」
「天使様だ、聖人様だ!」
「そうだ、聖ゲオルギオス様だ!」
「あのご婦人、聖ジョージ様の生まれ変わりに違いねぇ!!」
警官達が口々に叫ぶ。
中には天に向かって祈る者、涙ながらに十字を切る者までいた。
凄まじい勢いで川面を遡って行くマーサを呆然と見送った
レストレード青年が、ふと独り言の様に黒服のリーダー格へ問う。
「…『機関』の人達は、『バリツ』の使い手は皆、あんな事が出来るんですか?」
「あれが出来るのは伯爵閣下とハドスン夫人のみですよ。
悔しいですが、我らでは水面を数歩も跳ねるのが精一杯。」
「……」
(他人に言っても信じまいが…事件が終わったら、これらの事は全て忘れよう。)
賢明な判断と共に、両手で頬をぴしゃりと叩き、気合を入れ直す。
「さぁ、皆!
ご婦人一人を死地に赴かせては紳士とは言えないぞ!
僕らは僕らで、迂回して追いかけようじゃないか!!」
「おう、そうだ!」
「まだ歩けるぞ!!」
皆を鼓舞する青年の姿に黒服達も頷き合う。
「神よ 女王陛下を 守り給え」
誰が歌い始めたのか、何時しか一行は
『God Save The Queen』を口ずさみながら
その歩みを進めていた。
タイトル元ネタは映画・『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』。
イタリア映画ですが、ジャンルは何だろう、
ヒーロー物? ヴィジランテ?
ジーグもそうですが、マジンガー、グレンダイザー等、
永井豪先生のロボット物はあちらでは随分人気の様です。
GO永井作品にはヨーロッパやアラブの血を沸き立たせる何かがあるのかも。
水上歩行の下りはジョジョ風やレモ・第一の挑戦風では大人しいかと思い、
ジャイアントロボの十傑衆や血風連などに寄せた感じになりました。
皆好きですよね、十傑衆走り。
ところで肝心の水上歩行の奇跡、イギリスの聖人はやってないんですよね。
仕方ないので聖ゲオルギオスこと竜退治の聖ジョージさんを引っ張り出してます。
本邦で云う、鵺退治の源頼政や鬼退治の源頼光辺りが近いんでしょうか。
城内は永井豪先生とその諸作品を超リスペクトしております。




