12. フニクリフニクラ
※2025/10/21 一部表現の追加や修正を行いました。
敵の奸計に陥ったシャーロック少年。
マーサに渡された手紙の内容は果たして!?
ep.13(第12話)を投下致します。
自宅で細々とした家事を片付けるマーサ・ハドスン夫人。
体調は未だ優れぬが、どうにか人並みには動ける様になってきた。
と、乱暴にドアが開き、転がり込む者がある。
「何です? 騒々しいですよ、シャーロック…」
言いかけて、はっと目を見開く。
シャーロック少年は室内に入るや否や、ばったりと床に倒れ伏したでは
ないか!
「シャーロック! どうしたのです!?」
「姉弟子様、すみません…油断しました…」
駆け寄ったマーサに抱きかかえられ、荒い息を吐きながら土気色の顔で
弱弱しく応えるシャーロック少年。
「東洋人の女に毒を盛られました…
あれが、苏西究って奴だったんですね…」
少年の額に手を当てる。
酷い熱だ。
「姉弟子様に渡せって手紙を預けられたんです…
そして、僕の身体が証拠になるって…」
少年は震える手でマーサに封筒を手渡す。
瀟洒で上質な封筒に、龍を象った封蝋が捺されていた。
「大抵の大人には引けを取らないつもりでいたのに…すっかり騙されて…
自惚れてた…悔しいな…悔しいなぁ…」
「もう喋らないで! すぐに病院へ連れて行きますからね!」
マーサに一頻り話し終えて安心したのか、少年はにっこりと微笑むと、
がくりと気を失った。
「シャーロック!? しっかりなさい、シャーロック…!!」
・・・
そこからのマーサの行動は迅速であった。
通りで辻馬車を捕まえると先頃迄自身が入院していた病院に乗り付け、
説明ももどかしくシャーロック少年を医師に預ける。
御者に走り書きを渡し、馬車をディオゲネスクラブへ向かわせた。
無論、マイクロフト・ホームズ氏の呼び出しである。
自身は庁舎へ駆け込み、『史料編纂室』でミウラ伯爵に急を告げ、
病院へ取って返す。
「奴ら、如何にして我らの背景を知り得たのか…
だが、子供まで手に掛けるとは…外道が!」
病院への道すがら、ミウラ伯が悪鬼の形相で憤る。
顔に似合わず善性の男なのである。
病室では、マイクロフト氏がシャーロック少年を介抱しながら二人を待っていた。
「今は鎮静剤を打って眠らせているが…熱が下がらん。」
氷嚢を少年の額にあてがいながら、苦り切った表情でマイクロフト氏が訴える。
「どの様な毒を使われたものか、治療法は見当も付かぬそうだ…」
「マーサ、手紙とやらは?」
そうだ、とシャーロック少年から受け取った手紙をミウラ伯へ手渡す。
開封し読み進める伯の表情が次第に険しくなり、こめかみに青筋が浮かんだ。
「ふざけた事を…!」
『一年ばかりイギリスでの暮らしを愉しんだが、
茶と酒は美味いものの、食事はどうにも余の口に合わぬ。
延いては一週間の後にこの国を離れるつもりである。
フランス、イタリア、或いはギリシャか。
美食を堪能せしむる国へ赴かんと欲する次第。
ところでシャーロックなる少年が不可思議なる熱病に侵されたとの事、
利発な少年と聞き及ぶに、才ある者を愛する余としても誠に気の毒と存ずる。
医に通ずる余の見立てでは、東洋の奥地でのみ見られる難病。
高熱と共に衰弱し、残念ながら発病から持っても十日の後には
身罷る事であろう。
幸い、余の手元に霊験あらたかなる妙薬あり。
この国を離れる迄に余の下に至り忠誠を誓うならば
これを汝らに授けるにやぶさかではない。
余は才を愛し、此れを求める者である。
勇猛果敢なるハドスン夫人は言うに及ばず、豪胆無双のミウラ伯爵殿、
また利発者のシャーロック少年やその兄にして頭脳明晰なるマイクロフト殿
共々、須らく余に恭順の意を示すならば望外の慶びとなろう。
期限は一週間、『火の山』にて待つ。
余がこの国を離れる前に居場所を探し当て、訪ね来る程度の才覚は
期待させて頂こう。
勇敢なご婦人へ
傅満洲』
「何が『熱病』だ! お前が調合した毒であろうが!!」
ミウラ伯が手紙を破り捨てんばかりに激昂する。
「だが、それ故に解毒剤も奴の手元にあるのだろう。
『妙薬』とやらの効能は信用出来ると思えるが…」
顎の肉を摘まみ、考え考えマイクロフト氏が応じる。
「馬鹿げた提案ですけど、『才能ある人』を手元に集めたがるのは
実際あの男の習い性の様です。
自身の手下にも『悪癖』と揶揄される程度には…」
マーサも先の闘いで受けた勧誘を思い起こしながら応えた。
「それにしても…『火の山』とはどこなのだ?」
マイクロフト氏の言葉に伯とマーサが、はっと顔を見合わせる。
「現在我が国に活火山は存在しないのだぞ!?」
・・・
一週間。
闘い捕らえるにせよ、或いは屈服するにせよ、この期限の内に
傅満洲博士の居場所を暴き、その下へ赴き解毒剤を手に入れなければ
シャーロック少年の生命はない。
しかし、『火の山』の謎は依然解けぬまま、既に二日が過ぎた。
イギリス領には活火山であるモンセラート島のスフリエール・ヒルズや、
南大西洋・トリスタンダクーニャ島のクィーン・メアリー・ピークがあるが、
一週間で往復が叶う様な場所ではない。
また、本土にはスノードン山、ジャイアンツ・コーズウェー、アルサクレイグ島
と云った、活動を終えた古い死火山の痕跡が見られるが、『火の山』と呼ぶには
程遠いものばかりである。
マイクロフト氏は医師にシャーロック少年の看護を頼むと、その足で
大英図書館へと向かい、手当たり次第にイギリスの地理・地学書を
読み漁っているが、捗々しい収穫は得られていないとの事である。
しかも、折悪しく嵐が近づいており、もう一日二日もすれば
イギリス全土に暴風雨が吹き荒れる見込みであった。
居場所を突き止めたとて、往復が間に合うのか。
ロンドンの空にも、そしてマーサ達の先行きにも暗雲が厚く立ち込めていた。
・・・
ロンドン郊外の道場で、マーサはミウラ伯と激しく立ち合っていた。
もう数時間も真剣勝負そのものの組手を続けている。
急所を狙っての突き、蹴り。
逆関節を取って、折れよと言わんばかりの投げ。
頸動脈や気管と言わず、或いは肘や膝の靭帯と言わず、
相手を確実に仕留めんとする締め。
見ている方が気死しかねぬ程の危険極まりない技を双方繰り出し、
しかし互いに寸での処で身を躱し、絡む手足を擦り抜けていく。
二人とも汗だくだ。
外では静かに雨が降り始め、風も徐々に強さを増している。
互いの身体が離れ流れが膠着した一瞬、伯が声を掛けた。
「まずは一旦、ここまで。」
両者は構えを解くと一礼し、大きく息をついた。
「気が揉めるだろうが、焦るな。」
ミウラ伯はマーサに水を勧め、自身も飲みながら声を掛ける。
仙道の技は謎のヴェールに包まれており、バリツの達人たるミウラ伯の
実力を以てしても、再現はおろか解明の糸口も未だ見えない。
せめて感性だけでも研ぎ澄ましておく為の猛稽古であった。
「こうしている間にも、シャーロックの生命は蝕まれているのです。
焦らずにはいられません…」
汗を拭いつつマーサは応える。
冷水で絞ったタオルの心地良さも、心の焦りまでは拭い取れない。
「そうは言うがな?
もし少年が悪の道に進む兆しが見えたなら、結局彼を殺す事になるかも
知れんぞ?」
殊更に悪い顔をして伯が嘯く。
「……」
忘れていた訳ではないが、弟子として育てる内にマーサも相応に
シャーロック少年への情が沸いている。
恐らくそうはならんだろうが、と付け加えた辺りは伯も大分
情が移っていると見えた。
こましゃくれた子供ではあるが、どこか放っておけない人好きのする処がある。
賢明なる読者諸兄にとってはシャーロック少年の行末は
既に周知の事実であろうから、少々メタ的な話をさせて頂けるなら、
長じた後に彼が出会う事になる無二の親友も、
或いは彼のそうした処に惹かれたのかも知れない。
閑話休題。
「…傅満洲博士な?
長衣から手足の露出はほとんどないのだったか…」
ミウラ伯は僅かな情報から分析を進めようとする。
「手首より上は偶に覗く程度、足は全く見えませんでした。」
「腱の音はほぼ聴き取れない、と云う事なら、百聞は一見に如かず、
手足を露出させるのがまず手っ取り早い。
殊に『足』よな。
奴が使ったと云う分身の技、仙道独自の歩法・套路に秘密があるのだろう。
手刀なり飛銭なりで奴の衣服を切り裂く事は出来そうかね?」
「どうでしょうね?…分身術の秘密を識る為に分身術を破る、と云う事ですし…」
「玉子が先か、それとも鶏が、か…難しいな。」
温くなった水を一息にあおり、伯がごちる。
目覚ましい進展が得られぬまま、三日目が過ぎて行った。
・・・
四日目の夕刻。
遂に嵐がロンドンを襲い、庁舎の外には激しい雨風が舞っていた。
『史料編纂室』ではミウラ伯とマーサが茶を啜っているが、
伯はと言えば報告書の1ページ目を読み終えるとまたページの最初に戻り、
マーサはマーサで茶の味も分からぬ程に気もそぞろである。
と、俄かに部屋の扉の外が騒がしくなる。
「お待ち下さい、ホームズ先生!」
「マイクロフト殿!そんな恰好で…!」
職員の制止も聞かず、扉を開けて飛び込んで来たのは果たして、
ずぶ濡れで目を血走らせ、荒い息をつくマイクロフト氏であった。
フロックコートから雨の雫が滴っている。
濡れた顔面は蒼白であるが、どうやら雨ばかりではなく脂汗も混じっては
いないか。
シャツの襟元には僅かだが血の染みも見える。
草臥れた幽鬼、とでも云うものがあるならば、この時の
マイクロフト氏の姿がそうであろう。
「馬鹿者め! 付き添いもなしに『智慧の果実』を使ったのか!?」
今にも倒れそうなマイクロフト氏を支えながら伯が氏を叱咤する。
「冷静沈着を以て成る君ともあろう者が、無茶をする…」
「…前にも言ったろう?
好んで弟を死なせたい兄がいるものかね。
それに…」
椅子に掛けさせられたマイクロフト氏は額を片手で押さえながらも、
珍しく謹厳な表情を崩し、にやりと笑う。
「…私はベーコンを持って戻ったよ。」
・・・
「クロスフェル山だと!?
日程的にぎりぎりの難所ではないか…」
流石のミウラ伯も驚きを隠せない。
クロスフェル山はイングランド中央部に走るペナイン山脈の最高峰である。
ロンドンからは途中のカーライルまで鉄道で数時間、そこから麓村まで
馬車で更に数時間、そして登山となる。
『イングランドの背骨』と呼ばれる山脈の北端に聳える峻岳を
登る、険しい道筋であった。
「ベン・ネビス等と言われたら間に合わない、逆にスノードンなら鉄道が
使えたのだが…絶妙に憎い処を突いて来るな…」
「地理・地学書の類をどれだけ読んでも分かる訳がなかった…
今回のヒントは年鑑と登記書類だったのさ。」
熱い湯とタオルで身体を拭き、有り合わせのガウンを借りて人心地のついた
マイクロフト氏は語る。
「嘗てクロスフェル山、ティーズ川源流付近の土地を買い、
別荘を建てたイタリア貴族があったそうだ。
館の名は…『ヴェスヴィアス山荘』」
「!」
「!!」
ミウラ伯とマーサが身を乗り出す。
イタリア・ナポリに名高いヴェスヴィオ火山の銘を冠する山荘。
まさに『火の山』と呼ぶに相応しい。
「件の貴族は後に没落し、長らく半ば放置気味であった山荘だが、
近年買い手がついたそうだ。
清国籍の豪商…その活動には不審な点が多かった。
まずは傅満洲博士の抱えるペーパーカンパニーの一つであろうな。
そして一年程前から人の出入りが俄かに活発になっている。
目撃されているのは荷物を運びこむ東洋人の男達、そして山荘の周囲を散策する
清国の貴人と思しい偉丈夫、これに付き従う美女…」
マイクロフト氏が結論付ける。
「傅満洲博士の潜伏先と見て間違いなかろう。」
あからさま過ぎる嫌いはあるが、もはや他を疑う余裕がないのも事実である。
私はこれに賭けた、賭けるしかない、と氏は結んだ。
「室長!
明日早朝に発ちます故、バックアップをお願い致します!」
マーサが凛として告げる。
その目が燃えていた。
いつもは白磁の如き頬に、今は薄く紅が射している。
「心得た!!
すぐに手配しよう、誰か在る!」
ミウラ伯も悪鬼の如き凄絶な笑みと共に声を挙げ、職員を呼ぶ。
マイクロフト氏は椅子に深く座り直し、大きく息をついた。
そして、伯の命を受け、慌ただしく駆け回る職員達。
時は既に夜。
嵐の夜の中、ロンドンの庁舎は時ならぬ活気に溢れていた。
目指すは『火の山』ヴェスヴィアス!
『ベーコンを持って戻る』は19世紀のイギリスに由来する慣用句。
『成功する・仕事をやり遂げる』といった意味合いで使われます。
E・E・スミスの『レンズマン』シリーズでも使われていた記憶があります。
タイトル元ネタは世界最古のCMソングと名高い『フニクリフニクラ』
世界三大テノールに数えられるルチアーノ・パヴァロッティが鉄板ですが、
城内はアルバム『フィルハーモニー』に収められた、細野晴臣版を推します。
淡々と進行する中、突然雷鳴の如く響くティンパニがカッコいい一曲です。
帯のキャッツコピー、『一所懸命作りました。』って細野さん…
城内は細野晴臣さんを超応援しております。




