10. その男、傅満洲(フー・マンチュー)
稀代の怪人物、フー・マンチューと相まみえるマーサの運命や如何に!?
ep.11(第10話)を投下致します。
月夜のロンドンブリッジで対峙するマーサ・ハドスンと傅満洲主従。
硬い表情で構えを取るマーサに、この大悪人は驚くべき提案を持ち掛ける。
「汝、なかなか筋が良い…『余の物』にならぬか?」
「何を馬鹿な…」
まさか身体目当てかと思わず身を固くするマーサ。
「あぁ、済まぬ、誤解させてしまったかな?
男女の話ではない、余に仕え、結社『金龍诡道公司』で栄達を望まぬか、
と云うのだ。」
大仰に片眉を上げ、ウインクまでしながら嘯く男の何とも魅力的な表情に、
あろう事かマーサの頬がさっと赤らむ。
年の頃は壮年か、50代程と見えるが年齢を感じさせぬ程に溌溂とした
生命力に溢れている。
頭は艶やかに剃り上げられ、長く伸ばした後ろ髪を宝石を幾つも嵌め込んだ
金の髪飾りに鼈甲の簪を刺して纏めている。
辮髪と云う、清国北方・満州族独特の髪型だ。
淡い小麦色の肌に紅玉の如き唇。
柳の眉に星を湛えた様な黒い目。
鼻筋は通り、鼻の下と顎には鯰髯、いや、東洋の龍を思わせる美髯を蓄えていた。
背はすらりと高く、豹の如く堂々とした胸周り。
黒天鵞絨の長衣は袖や裾に金糸をあしらい、
背や胸には五本爪の龍が刺繍された豪奢な物である。
ローブに隠れているが、時折覗く腕や首は能く鍛えられている。
奇異な辮髪を差し引いても、『男性美』と云う物への一つの解答がそこにあった。
この様な男が魅力たっぷりの表情で語る姿は、彼のドイツの碩学を
堕落せしめたあの悪魔、メフィストフェレスが東洋人の風貌であったなら
さもあらん、と誰もが思わずにはいられぬだろう。
(魅力的な男性であるには違いないが…『人誑し』め!)
一瞬とは言え思わずフー・マンチューの魅力に惹き込まれそうになる
マーサの逡巡を知ってか知らずか、横合いから苏西究が毒づく。
「ま~た主様の『蒐集癖』が始まったアルか。
ちょっと好い人材と見ると、すぐこれアル。
…バネ足の奴が殺されたばっかりアルよ!
角灯達も皆、このおばちゃんに殺されたの忘れてないアルか!?」
相変わらず下卑た笑みを絶やさぬが、その目は微塵も笑っていない。
「言うでないぞ、スージー。
敵同士が何時しか志を同じくし、互いに手を取り合う、
物語に於いて王道の『映える』シーンであろうに?」
従者の苦言もどこ吹く風で、浮世離れした台詞を飄々と言ってのける。
しかも声もなかなか良いテノールであるのが忌々しい。
「スージー・Q…貴女こそ仲間が死んだと言うのにその薄ら笑いを
続けるのですか?」
この浮かれ女には些か思う処のあるマーサも売り言葉に買い言葉で返す。
…『おばちゃん』呼ばわりを気にしている訳ではない、決して。
「……」
「それは違うぞ、勇敢なご婦人。」
意外にも応えたのは黙り込む浮かれ女ではなく傅満洲であった。
「その娘は過去の大怪我が元で、その容貌しか出来ぬのだ。
…どれ程望んでもな。」
それまでのおどけた感じは一切もなく、沈痛な面持ちで語る傅満洲。
「余の医術も及ばなかった…痛ましい出来事であった。」
「でも顔に傷は残らなかったし、そもそもあの時主様がいなかったら
あたし死んでたアルよ。
『人間万事塞翁が馬』アルね!」
なんと、その様な理由があったとは知る由もない。
ではこの道化振りは演技であったのか。
「それは…知らぬ事とは言え、失礼な事を言いました。
お詫び致します。」
「おばちゃん、素直かヨ!
…まァ、あたしも?仲間内じゃ器の大きいお姐ぇさんで通ってるアルし?
広ぉ~い心で許してやらんでもないアルよ?
これからは謙虚にいくアルよ、謙虚に!」
いつの間にかスルリとマーサの隣に滑り込み、悪魔的動作で以て
激しく指差しながら煽り始めるスージー。
「主様の結社に入ったなら、世界を巡って悪行三昧、やり放題!
三食昼寝におやつも付いて、まァ、お得!
今ならアメリカの王様にだってなれちゃうカモよ?
さぁ、どうする?どうするヨ、ボクゥ!?」
…前言撤回、これは半分以上素でやっているだろう。
白磁の表情はそのままに、マーサのこめかみに太い血管が浮く。
「私のっ!…私の忠誠はこの国と女王陛下に捧げております。
貴方に仕える気は毛頭ございません!」
「勿体ない喃、余の下で学べば汝は今の数倍強くなろうに。」
「…そうやって『怪力乱人』とやらの成り手を誘っているのですか?
貴方の御国では『君子は怪力乱神を語らぬ』とお伺いしましたが?」
「さにあらず、余は『君子』ではない。
故に語るのだよ、ご婦人。」
再び魅力的な笑顔とウインクでマーサを誘うフー・マンチュー。
「下らぬ会話はここまでです。
続けたければ牢獄でどうぞ。
生きて捕らえられる気があるならば、ですが。」
少々おかしな方向に惹き込まれていた精神を闘争向けに引き上げながら
マーサが言い放つ。
ここで初めてフー・マンチューの目に怖いものが宿った。
「ふぅむ、バリツであったな…
東洋の矮小な島国の技で以て、西洋のこれも島国のご婦人が余に挑むか。
ならば勇敢なご婦人、一手指南して進ぜよう。
そして…闘いの果てに、己の愚かさを知るが良い!
スージー、控えておれ。」
「…是。」
能く使うとは言え先の戦いでマーサには及ばぬ自覚があったのであろう、
悔し気な目でアルコーブへ下がるスージー・Q。
マーサとフー・マンチューは互いに橋の中央へと歩を進める。
どちらも無造作な歩み出しに見えて、闘いは既に水面下で始まっていた。
ついっと空手で云う平安の様な型に構え、素早く距離を詰めるマーサ。
一方フー・マンチューは直立してはいるが、ゆらゆらと捉えどころがない。
陽炎でも立っているかの様だ。
そして、信じられぬ事に、マーサの表情に僅かながら焦りの色が見える。
「筋肉の動きが見えぬか? 腱の音が聞こえぬのか?
バリツの強さは相手の動きが予見出来てこそ。
出来なくては自ら攻められぬであろう。
そこにバリツの限界がある。」
フー・マンチューが言う通り、彼の長い衣は筋肉の露出が極めて少なく、
また如何なる鍛錬に因るものか、その身体からは腱の収縮する音が
ほとんど聞き取れないのである。
予見が出来ぬ以上、持ち前の動体視力と反射神経とで対応するよりない。
マーサの顎に汗が伝い、そして落ちる。
汗の雫が地面にも届かぬ内に、神速の突きが繰り出されフー・マンチューに迫る。
「バリツでは、こうであったかな?」
「!」
マーサの突きはフー・マンチューのくるりとタンゴを踊る様な回転で躱された。
拳と身体との隙間は僅か数ミリ!
矢継ぎ早に拳撃・蹴撃を繰り出すが、その全てが数ミリの見切りで
くるり、きりりと躱されてしまう。
「この動きは…まさかバリツを!?」
「矮小な島国で歪な進化の袋小路に入ったお遊戯と
一緒にされては心外であるな。
余の技は『仙道』。
雄渾なる中華4000年の歴史の中で高め、深められてきた神技にして、
汝の頼みとするバリツの源流よ!」
・・・
古来、徒手空拳の格闘術は古代インドで発生した古ウパニシャッド哲学の
流れを汲む心身の鍛錬法、『カタ・ウパニシャッド』の『ヨーガ』に
端を発したと云われる。
現在は惜しくも散逸し、精神の鍛練は『ヨーガ・スートラ(瑜伽経)』、
身体の鍛練や拳法の技術は『達磨拳法』の『易筋洗髄経』の中に
僅かなエッセンスが残るばかりである。
しかし、この『インド拳法』は洋の東西に広がり、ギリシア・ローマで
その身体面の技術が洗練され『パンクラチオン』として隆盛し、後には
ボクシングやレスリングに発展した。
一方、東洋では中国大陸に於いて、格闘技術として様々な流派の『拳法』が
発展する傍ら精神性・神秘性をも重視され、『仙道』『玄道』等と呼ばれる
複合的な技術が体系化されるに至った。
これら身体と精神の鍛練法が大陸から朝鮮半島に伝わる過程で
『シナンジュ』が産まれ、更には仏教と共に海を渡り日本に伝来すると、
『聖徳太子』として名高い厩戸皇子がこれに注目した。
皇子は『忍能便』と呼ばれる防諜・暗殺集団を組織し、大陸伝来の
格闘技術で以て、激しい権力闘争を闘い抜いたのである。
この『忍能便』の中に『大伴細人』と云う人物がいた。
伊賀、或いは甲賀の出身と伝えられるが、彼こそが恐らくは『バリツ』の
祖と言って差し支えないであろう。
彼とその子孫は大陸伝来の技術のみに満足せず、日本列島の津々浦々に
吸収すべき格闘技術のエキスを求めた。
結果、日本古来の武術である『手乞』や『柔術』、『合気』に『骨法』、
果ては琉球の『唐手』までもが取り入れられ、
何時しか『バリツ』として花開いたのである。
・・・
バリツの成立過程を鑑みるに、『仙道はバリツの源流』と言う
フー・マンチューの言葉は正しい。
だが、双方は長い年月の中で取捨選択を行い、それぞれに独自の発展を遂げた
はずである。
(自分は確かに仙道を識らぬ。
だが、フー・マンチューとても識らぬバリツの技もあるはずだ!)
そう信じてマーサは拳を振るうが、その全ては虚しく空を切るばかりであった。
「なかなか能く使うが、やはりその辺りがバリツの限界であろう、な。
では…」
フー・マンチューの目が底光りする。
「バリツにない技を見せて進ぜよう。」
一瞬、マーサは己の目を疑った。
フー・マンチューの姿が幾人にも分身して見えたのである!
(分身!?…いや、横方向の高速移動か!?)
前後に滑る様に動く月歩ではあり得ない。
いや、如何なる筋肉の動きがそれを可能にするのかすら解らない!
バリツの識らぬ技が目の前で行われていた!!
分身したフー・マンチューはマーサの周囲を回りながら徐々に包囲を狭めると、
不意に一体に重なり、滑る様にマーサへ襲い掛かる。
素早い手刀がマーサの頬を掠め、僅かに血が滲む。
「!!」
「如何がであるかな?
余が『毒手』を用いておれば、これで勝負あった処であるが…」
その通りだ。
爪にスージー・Qが使った様な麻痺毒でも塗られていれば、既にマーサは
身動きも叶わず相手の意のままに仕留められるか拉致されているだろう。
マーサは唇を噛み、怒りの形相でフー・マンチューを睨み付ける。
常に白磁の表情を崩さぬ、あのマーサが感情も露わに叫ぶ!
「まだだ!」
(狙うはカウンター…
奴が私に近づく瞬間に全力で飛び込み、神速の『鉄菱』を叩き込む!)
「まだやると申すか。
ほとほと勇敢なご婦人よの。」
愉し気に、余裕すら感じさせる口調と表情でゆらりと構えるフー・マンチュー。
再び横へと滑り出しマーサを囲む様に分身する。
(まだだ、まだ…一つに重なり私に飛び掛かるその瞬間!)
やがてその時が訪れる。
分身したフー・マンチューの姿が一つになり、マーサに襲い掛からんとする
その一瞬。
(今!)
バシィ!
『鉄菱』を相手の胸に叩き込むと見えた瞬間に鳩尾を掌底で痛打され、
マーサは後方に吹き飛び、地に倒れ伏した。
倒れたマーサの激しい咳に、僅かながら血が混じる。
「まぁ、この様な時に狙うとすればカウンター、であろうな。」
ぱんぱんと軽く手を払いながら事も無げに言うフー・マンチュー。
痛打された一瞬、フー・マンチューの腕が異様に伸びて見えた。
『通臂拳』か?
極めて修得の困難な拳法である。
フー・マンチュー、『天才悪魔』の二つ名に恥じぬ、底知れぬ実力の
持ち主であった。
「やはり汝、筋が良い。
腹を撃たれる瞬間、後方に飛んでおったな?
今のは殺すつもりで放ったのだ。
さもなければ内臓が破裂していたであろう。」
倒れ伏したまま弱弱しく睨み付けるマーサに向かって、優し気な声で
恐ろしい事を言うフー・マンチュー。
「…惜しい、惜しいぞ!
余の掌中に収めるべき人材に相応しい。
良いかな?勇敢マダム、汝を死なせるのは如何にも惜しい。
余に仕える事、真剣に考えるのだ。
次に逢う時には、色好い返事を待っておるぞ?」
言いたい事を言うと、踵を返しアルコーブへ向かって声を掛ける。
「スージーよ、逢瀬は終わった。
帰るとするぞ。」
「答!
待ちくたびれたアル、帰ってご飯アルよ!」
フー・マンチューが橋から飛び降りると程なくして、隠していたのであろう
ジャンク船が静かに出航し、テムズ川の闇に消えて行った。
「Bloody hell !!」
虚しく地面を叩き着け、叫ぶマーサだった。
タイトル元ネタは映画・『その男 ゾルバ』から。
北野監督の『その男 凶暴につき』は同名のハードボイルド小説からの
タイトル流用だそうで、ゾルバとの関連はない模様です。
スージー・Qの『悪魔的動作』は『モンティ・パイソン』の
『スペイン宗教裁判』を参照してくだちい。
YOU TUBEやニコ動に動画があります。
口頭でというか、文章では説明しづらいアクションなんですよ… ('A`)
城内は悪趣味な笑いの宝庫『モンティ・パイソン』を超応援しております。




