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序章 猛禽のごとき婦人

城内仁志と申します。

本作は言うまでもなくコナンドイル氏の名作、シャーロックホームズシリーズの

著作権保護期間が終了しているのを良い事に、これ幸いと原案にした前日譚、

若かりし頃のハドスン夫人のお話です。

※ホームズを原案としておりますが推理小説ではございません。

重苦しい文体で頭の悪いお話を書きますので苦笑しつつお読み頂ければ幸いです。

1~2週間に1話くらいのペースで書けると良いなぁ。

 やや肌寒い冬の朝、武術の道場でもあろうか、門弟と思しき精悍な若者達が

気合の声を上げ、互いに技を掛け合い、或いは自分や相手の動作を確認し合い、

汗を流している。

何という事もない寒稽古の風景である。

ここが19世紀のイギリス・ロンドンでなければ。


 門弟達の白い道着は一見柔道着や空手着の様だが、よくよく見れば

袖や裾を取られぬ用心か、手甲・脚絆が巻かれている。

言わば白い忍者装束とでも言った風情であった。

 道着の門弟達、また一人は道場主であろうか、渋い色合いの和服に

袴を纏った壮年の男性がいるが、いずれも皆イギリス人である。

道場内は畳が敷かれ、正面には神棚と、床の間には刀と鎧兜、

何やら日本文字が書かれた掛け軸が飾られている。

壁際にはいくつか火鉢まで置かれ、中の人々を除けばまったく日本の

武術道場の態である。

 その火鉢の一つに集まる、この道場の中では逆に場違いとも取れる

洋装の一団があった。

年嵩の背広の男性が数人と、これは一人だけランニングシャツに丈の長い

トランクスの剽悍な青年が、手に厚いグラブを嵌めてもらっているところだった。

そう、青年はボクシングの選手なのだ。


・・・


 「他流試合、ですか?」

青年はいかにも鼻っ柱の強そうな声で聞き返す。

アマチュアながらロンドンの名門、ボクシングアカデミーで優秀な成績を

収めており、腕には相当自信がある。

この春にはスコットランドヤードへの就職も決まっているが、

採用に当たってはボクシングの腕前も多分に加味されていたと思われる。

 「そう、相手は『バリツ』と呼ばれる日本の武術だが、秘密の内に

行われた他流試合において、陸軍で鳴らしたレスリングの猛者、海軍指折りの

サバット(フランス式拳闘)の名手らがことごとく敗れている。

目下、このバリツに土を付けるのはいずれの組織のどの競技の選手であるか、

やんごとなき方々の耳目を大いに集めているのだ。」

 恰幅の良い中年の警察官僚は青年の目を覗き込むようにしながら続ける。

「私としては、それは我がヤードのボクシングの選手であって欲しいのだがね。」


(そこで僕に白羽の矢が立ったと。

随分と僕の自尊心を刺激してくれるじゃないか。)

青年は獰猛な笑みを浮かべる。


「他流試合を了承するなら、少ないながらバリツについて分かっている限りの

資料の閲覧を許可しよう。

無論相手も我が国の軍や警察等と足並みを揃える政府機関の一員であり、

殺し合いをしろと言うのではない。

スポーツマンシップに乗っ取り正々堂々と、しかし全力で戦ってくれたまえ。

なお、資料の内容や試合で見聞きした事は一切他言無用。

この人選には君が警察官として職務の秘密を守れる男である事も

期待されているのだよ?」


(日本の武術か。もっさりしたジュードーや、直線的なカラーテなんぞに

後れを取る自分ではない。)

(アカデミーでリングの黒イタチと異名を取ったスピードとテクニックを

魅せてやろうじゃないか。)

「承知しました。やりましょう。」


・・・


 畳とやらの上ではシューズの着用を禁じられているとの事で、

素足にサポーターを巻いている。

青年は軽くステップを踏み、フットワークを試すが特に滑りも

引っ掛かりもなく足を運べる。

畳の感触が心地よい、コンディションは上々である。

「こちらは準備出来ました。いつでも試合出来ますよ。」


道場の中央へ進む様に促され、正面に立った相手を見た青年が目を剥いた。

「馬鹿にしているのか?ご婦人じゃないか!」


相手は30代前後と思しき女性であった。

栗色の髪を引っつめ、眼差しは鋭い。やや面長で鷲鼻のきらいはあるが、

10人に問えば5~6人は美人の内に数える顔立ちであろう。

だが、ぴくりとも表情が動かぬ白磁のごとき顔立ちは人形を思わせた。


「彼女はこの道場で私に次ぐ実力者だ。彼女の締めているブラックベルトは

マスターランクの証、遠慮なく存分に立ち合ってくれたまえ。」

道場主が応える。


なるほど、他の門下生同様白い道着であるが、多くは白い帯を締めている中、

彼女のそれは黒い。

彼女以外に黒い帯は高弟と思しき数名しかいない事から、黒い帯の者は

上位の指導者的立場ではあるのだろう。

(だが、婦女子に務まるマスターとやらがどれ程のものか。)


「始め!」

双方一礼を交わした後、試合が開始された。

キュッ キュキュッ

青年は滑る様な足捌きで婦人の周囲を回り出す。

獲物の周囲を飛ぶスズメバチのごとく、正にお手本の様なフットワークだった。

対する婦人は青年の動きに合わせ正面こそ外さぬが、構えも取らず棒立ちである。

(怪我などさせても仕方がない、軽く肩の辺りでも小突いて脅かしてやるか。)

瞬間間合いを詰め、左ジャブを放つ。

「!?」

軽く当てたつもりだったが、数センチ届かない。

黒帯(ブラックベルト)とやらに相応しい心得はあると言う事か?)

(次は当てる。)

フェイントを交えつつ、死角を取り再びジャブ。

またも数センチを残して届かない。

(何だこれは!?)

徐々に青年の動きに熱が入り、ステップとパンチのスピードを増していく。

だが、パンチのことごとくが届かず、或いは躱される。

婦人の動きも速度を増し、表情も変えぬまま、くるり、きりりと

アルゼンチンタンゴを踊るかの様に避け、躱す。

拳と身体の隙間、数センチ。時には数ミリ。

(見切っているとでも言うつもりか!)

もはや青年は本気であった。

相手が女性だろうと知った事かと、数々の勝利をもぎ取ってきた

必殺のコンビネーションを叩き込む。

稲妻の様な左ジャブ、左ジャブ、そして渾身の右ストレート。

だがこれは囮!

本命は右に気を取られた死角から振り抜く左フック!!


信じられない光景がそこにあった。

如何なるバランス感覚と筋力の為せる技か、婦人は『斜めに直立』し、

青年のフィニッシュブローを躱していた。

「おお、独楽(こま)立ち!」「なんと見事な…」

周囲に居並ぶ門弟達から思わず声が漏れる。

一方道場主はと見れば、満足げに悪辣な、悪鬼(オーガ)のごとき

笑みを浮かべていた。


 婦人はそのままの姿勢で小首をかしげ、じっと青年を見据える。

獲物を射程に収めた猛禽の眼差しであった。

背筋に冷たい汗が伝う。


きひぃぃぃぃぃぃぃぃ!


青年はもはや恐怖に駆られるまま、テクニックも何もなしにただ殴りかかる。

と、婦人は化鳥のごとく舞い上がったかと思うと不用意に突き出された

青年の腕を取り、延髄切りの要領で首を刈ったかと思うと一瞬で青年の体を

巻き込み肘の関節を極める。

鮮やかな飛びつき腕ひしぎ十字固めであった。


ビキィ


激痛で我に返った青年が慌てて畳を叩き降参の意を示すのと、道場主から

制止の声がかかるのが同時であった。

「それまで! 勝者、マーサ・ハドスン!」


表情もなく息も乱さぬ婦人と、汗にまみれ肩で息をする青年と、

対照的な姿で互いに一礼し、奇妙な他流試合は終わった。


・・・


 道場の隅で身支度を整えている婦人、マーサの下へ、憤慨した様子の

青年が歩み寄る。

「こいつは些かフェアじゃない。僕はバリツってのをちょっとした

資料でしか知らなかった。

あなたは実のところ、ボクシングを良くご存じだったんでしょう!?」

表情を表さず、物入れから眼鏡を取り出しながらマーサは応える。

「それは、若い人達の間で流行の競技、というくらいは私も存じておりますよ。

でも、実際にボクシングを見たのも立ち合ったのも、女王陛下(いと髙き方)

誓って今日が初めてという事は請け合いますわ。」

「……」

「ただ…そうですね、打ち、投げ、極める、徒手の格闘に於いて…」

「バリツに知らない技はありません。」


青年は戦慄した。

(全ての格闘技術を知っていると!?)

(そもそも知っていれば出来るものなのか?あの様な動きが!!)

気負いもなく、ただ当たり前の事を告げるかの様に語るマーサに、

先の試合中に感じた以上の、背筋に氷柱を押し当てられたかのごとき

恐怖を感じた。


 取り出した眼鏡をかけるマーサに対し、しかし青年は気丈に言葉を続ける。

「…目がお悪いのですか?試合中はそんな様子も感じられませんでしたが。」

「そこまでではないのですよ。本を読むのに少々必要なくらいで。

ただ、亡くなった主人が私にはこれが良く似合うと言っていたものですから…」


青年は頑固な、悪く言えば頑迷で偏狭ともいうべき性質(たち)ではあったが、

それでも彼には()()()()()があった!

「そうですか…僕もその眼鏡、良くお似合いだと思います。」


無表情でまじまじと青年を見つめるマーサの、口角がほんの僅か上がった様に

見える。

(笑って、くれたのかな?)

踵を返し立ち去るマーサの背中を見やって、青年はぼんやりとそんな事を思った。


・・・


 この青年、長じてスコットランドヤードの実直な警部として知られる事となる

レストレード氏はその後の人生に於いてバリツの謎を追う事も、

奇妙な他流試合について口外する事もなかった。

相変わらず頑迷な性質(たち)ではあったが、それでも世の中には

自分の理解や力の及ばぬ物事や人物がある事は理解し受け入れた様である。


 後にレストレード警部がかの稀代の名探偵と出会った際には当初こそ

猜疑心を拭い得なかったが、その才能と叡智を認めた後には虚心坦懐に受け入れ、

時に協力を仰ぎ、率直にその才を称賛するまでに至ったのも、

青年期の体験からなる僅かな心の変化が無関係であったとは言えないであろう。

 

 そしてその事はレストレード警部とかの名探偵、双方にとって

そうでないよりも遥かに幸せな事であったに違いない。


…夫人と婦人の使い分けが大変だぁ。

お蝶様は婦人、キュリーさんは夫人…右手はお箸、左手は茶碗、みたいだな。

ハドスン夫人のファーストネームは諸説ありますが、

本作ではマーサとしております。

イメージはちょっと野暮ったいベヨネッタ(アクションゲーム)。

もしくはちょっとセクシーなロッテンマイヤーさん

(アルプスの少女ハイジ)。

城内はコナンドイル氏を超リスペクトしております。

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