7.私の何よりも大事な宝物
妹のアンジーがずっと楽しみにしていた大聖堂公園の改装工事が終わったので、私は彼女と改装後の公園へ来ていた。
改装後の公園は四季折々の花が植えられていて、今の季節だと……
(アネモネやパンジー、マーガレット、ネモフィラあたり……かしらね?)
そんなことを考えながら、アンジーの手を引く。
私とアンジーは似ていない。
アンジーの色彩はお父様譲り、そして顔立ちはお母様譲りだからだ。
一言で言うなら、アンジーは幼いながらも妖艶さと、他者を圧倒するような美貌を持つ美少女。
(……身内の贔屓目も含まれているかもしれないけれど)
そして、姉の私はどこか幼さを感じさせる童顔。
少なくとも、美形、と言われる顔立ちではない。社交界での世辞も、綺麗、より、可愛らしい、という表現が使われる方が多い。
「お姉様っ、素敵ね!見て、あのアーチ。とても綺麗だわ、ね、ね、行ってみましょう?」
「焦らなくてもアーチは逃げたりしないわ。ゆっくりね、転んだら大変なことになってしまうもの」
「お母様に叱られる?」
「それもあるけど……今日のアンジーはとびきり可愛いのに、汚してしまったら勿体ないわ」
そう言うと、アンジーはパッと目を輝かせた。
アンジーは、お父様と同じの金髪碧眼。
私とは違い、癖のないストレートな髪質。
黙っていれば気位の高そうな美少女だけど、アンジーは口を開くととても可愛くなる。
「お姉様!私、可愛い?」
「ええ、可愛いわよ。とびきり可愛い!」
「ふふふ。私、可愛いのね?可愛いの!うふふ」
満足そうに笑って、アンジーはスキップするように歩き出した。
背後の護衛騎士が苦笑しているのがわかる。
私も、同じように困ったように笑いながら、アンジーを見た。
私が十歳の時に生まれた、年の離れた妹。
私は、十歳の頃までアンジーがずっと嫌いだった。
だって、お母様をずっと独り占めしていたもの。
アンジーが出来てから、お母様はアンジーのことばかり。
お父様だって、『お前は姉になるのだから』と度々口にするようになった。
(……今までは、そんなことなかったのに)
今まで、この家でお父様とお母様の子供は私だけだった。
その席が、突然現れた【妹】によって奪われてしまった、と私は思っていた。
妹なんていらないわ。
早く、お父様もお母様も妹に飽きて、また私を見てくれたらいいのに。
そんな感情を確かに、十歳の私は抱いていたように思う。
言ったら悲しむからお母様たちには、言わなかったけれど。
だけど、あの日。
長い出産を終えて、アンジーが無事生まれたと聞いて、私はお母様とアンジーのいる部屋に走った。
そこで見た光景は、きっと忘れられない。
窶れて、疲れた様子のお母様は私を見ると、それでも確かに微笑んだ。
それから、私に言ったのだ。
『アデル。あなたの妹の、アンジーよ。守ってあげてね』
アンジーは、その時はまだ目が開いていなかった。
猿のようで、それが妹とは思えなかった。
また別日。
目の開いたアンジーと私は対面した。
妹、というより未知な生き物のように感じて、私は恐る恐るアンジーに近付いた。
そこで初めて、私はアンジーに挨拶をしたのだ。
『初め……まして?あなたが、アンジー?』
『…………』
アンジーは、私の言葉に返さなかった。
いや、まだ話せなかったのだ。
ただ、つぶらな瞳をじっとこちらに向けていた。
その瞳で、返答するように。
私は、恐る恐る、アンジーに手を伸ばした。
ゆっくり、ゆっくりと。
私の指がアンジーのちいさなてのひらに触れると──アンジーは、きゅっ、と私の指を握った。
「────」
それは弱々しく、掴む、とまでいかないほどの力だったけれど。
その瞬間、私は決めたのだ。
アンジーは、私の妹。
だから、姉の私が守ってあげなければならない。
『……私が、あなたのお姉様よ。アンジー』
なんだか嬉しくて、感情が昂って、私は思わず涙を零してしまっていた。
初めて、私に守るべきものができた。
「お姉様?どうしたの?早く行きましょうよ!」
あの日から八年。
すっかり、アンジーは大きくなった。
彼女は楽しくて仕方ない、と言わんばかりの様子で私を見る。
白い帽子が、彼女によく似合っていた。
「分かったから、落ち着いて」
「向こうに、一面のネモフィラ花壇があるのですって!!さっきすれ違った人たちが言っていたわ。楽しみ。行きましょ!?」
アンジーは、よほど気が急いているのか、私の手を取って歩き出した。
きっと、アンジーもいつかは結婚するだろう。
貴族の娘だから。
だけどその結婚が、より良いものになるように。
決して、不幸にならないように。
私に出来ることは、何だってしよう。
そんな思いで、私は妹を見た。
予想外の出来事が起きたのは、アーチをくぐり、アンジー待望のネモフィラを見た後のこと。
一面の青い花に圧倒されたアンジーはうっとりした様子で、ネモフィラの絵葉書を買うか、ずいぶん悩んでいた。
「でも、ソフトクリームも食べたいの。ね、お姉様、良いでしょう?」
「本当はだめだけど……。そうね、護衛騎士に買ってきてもらって、馬車で食べるなら」
買い食いなどしているところを万が一他の貴族に見られたら、面倒なことになる。
しかし、アンジーの気持ちもわかるのでそう答えると、アンジーはますます嬉しそうに笑った。
「やったぁ。お姉様、大好きよ!」
「全く……。調子がいいんだから」
お勉強をしなさい、とか、教育係の宿題はやったの?とか口うるさく言うと「お姉様なんて嫌いよ!」という癖に、こういう時だけは素直だ。
困った妹だわ、と思いながら私は、私たちにパラソルを指す侍女を見た。
侍女も、心得たと言わんばかりに、笑みを浮かべて軽く頷いた。
……その時。
「あれ?アデル?」
今一番、聞きたくない声を聞いた。