5.親心を取るか?貴族の責任を取るか?
次の日、王女殿下からメッセージカードが届いた。
『久しぶりにぜひ、アデルとお話がしたいの。来月の14日、ご予定はいかが?』
お茶会へのご招待だ。
(彼女の思惑が透けて見える、というものだわ)
以前からこの手の王女殿下の呼び出しは受けていた。
彼女は何かと私に興味を示し、お茶会に誘っては私の婚約者の話をする。
とはいっても、それはあからさまな牽制ではなく──。
『アンドリューは、仕事で仕方なく私のそばにいるのよ』
『アンドリューの婚約者はあなただもの。もし、社交界で妙な噂を聞いても、それは私たちの仲を勘ぐった下衆なものよ。だから、アデライン。あなたは気にしないでね?』
彼女は度々私を呼び出してはそうやって、いかにアンドリューとの仲が潔白であるかを力説した。
その結果が、不貞とは……。
笑っていいものなのかしら。
しかし、何度となく念押する彼女に逆に私は怪しさを感じた。
そして、私はアンドリューに彼女との仲を確認したのだ。
『本当に、王女殿下とは何の関係もないの?』
返答は、お察しの通り。
『うん、王女殿下とは特別な仲ではない』
確かに、アンドリューがジェニファー殿下の遊び相手の1人だというのなら、彼女にとってアンドリューは特別な相手ではないのだろう。
だけど、ふたりの関係は一般的には特別なものだと区別されるだろう。
それに──アンドリューは上手く言いくるめたつもりなのかもしれないけど。
私には、彼の意見は詭弁に聞こえたし、どう言い繕っても嘘が明るみになって開き直ったようにしか見えない。
だから、私は決めたの。
私は、私なりに貴族の責務を果たしてみせる、って。
アンドリューから推奨もされたのだし、とせっかくなので彼の話に乗ることにした私は、まず両親に事の経緯を説明することにした。
翌々日。
お父様の執務室を、私は訪ねた。
予め予定を取っておいたので、部屋には両親ふたりが揃っている。
「──…………」
私の話を聞いて、お父様は絶句し、お母様は口元に手を当てた。
ふたりとも、相当驚いている様子だ。
それから、お母様はよろりとふらついて、額に手を当てる。
「そんな……。確かにアデルは魔法学にのめり込んだ少し……多少……いや結構?変わっている子だけれど」
「お母様?」
お母様は、私の言葉を気にせず、続けた。
「だけど結婚前の不貞なんて、許されなくてよ。ねえ、あなた」
「アンドリューが……。そうか、いや」
「いや、って何ですの?あなたはご存知でしたの?」
お母様が剣呑な声を出す。
それに、お父様が慌てた様子で首を横に振った。
お母様は他国の王族の生まれで、ふたりの婚約はお父様の猛烈なアプローチがあったからこそ成ったものだと聞いている。
最初は、先方の王家が『外国の、しかも歴史も浅いぽっと出の伯爵家が求婚してきた?』と難色も難色。
それこそ非難轟々の有様だったようなのだが、そこは愛の力。
最終的にはお父様はお母様を味方につけ、お母様の説得によって、先方の王家は折れることにしたらしい。
ちなみに、王弟であり、臣籍降下して公爵位を得たエムルズ公爵の正妻のマリアンヌ夫人とお母様は、姉妹だったりする。
そういうわけで、アシュトン伯爵家ではお母様の方が発言権も、気位も高い傾向にあるのだ。
お父様はお母様の怒りの気配にタジタジになりながらも、弱った様子で顎髭を撫でた。
「こう言ってはなんだが……アデル。早くに知れてよかったんじゃないか?」
そして、お父様はその場に爆弾を投げ込んだのである。
「なんですって」
氷のように冷たい声を出したのはお母様だ。
お母様は、私と同じ紫の髪、同色の瞳を持っている。
しかし私は、色彩はお母様譲りなものの、顔立ちはお父様に似ている。
つまり、お母様のこういう──氷のような冷たい眼差しは、私にはないもので新鮮に感じた。
長いまつ毛に、切れ長の瞳。
口元のホクロとその美貌の相乗効果で、お母様は睥睨するととても怖くなるのである。
「いや、だからユーリカ……」
「まさかあなた、たかだかロッドフォード公の機嫌を損ねたくないから、とかいう理由でこの婚約を考え直さないと?それなら、随分馬鹿にされたものですわ。アデルは、わたくしの娘。公爵家ごときに馬鹿にされる筋合いはありません」
「確かにきみの血筋は尊い。きみは王女だったひとだ。だけどユーリカ、我がアシュトン伯爵家には歴史がないんだ。それに、ロッドフォード公には借りもある……」
「借りですって?どうしてそんなものをわたくしに隠していたのですか」
「いや、金銭の類とかではない。とにかく、この婚約は継続すべきだ。それに今から婚約を解消してどうする?めぼしい相手は社交界にはもういないじゃないか」
「そんなの、年さえ考えなければ良い話だわ。少し年は下になるかもしれないけど、甥っ子だってまだ婚約前よ」
「きみの甥っ子はまだ十二歳だろう!」
「それが何よ。アデルは、今年十九。七歳差なんて大した問題でもないし」
「いやそういう問題ではなく……!!とにかくユーリカ、この婚約はこのままでいく!アデル、きみも分かってるだろう!?こういうことは貴族の結婚にはよくある話だ。ちょうどいい機会だ。きみも社交界というものをもっと知るべきだと僕は……」
「話になりません。行くわよ、アデル」
口を挟む間もなく、夫婦喧嘩が始まってしまった。
唖然としていると、諦めに似た嘲笑を浮かべたお母様が、私を見た。
「実家に帰らせていただきます」
「ユーリカ!!」
た、大変なことになってしまった……。
私は、その場を去ろうとしたお母様の手を咄嗟に掴んだ。
「お母様、どうか落ち着いてくださいませ!」
「落ち着いているわよ。なぁに、アデル。その手を離しなさい?」
「私も、この婚約に思うところがあるのは事実です。ですから、この一件は私に任せていただけませんか。お母様、お父様」
「……アデル。お前に何ができると言うんだ?どうせ、余計なことにしかならない。大人しく──」
「あなたは黙っていてちょうだい」
ぴしゃり、とお母様は冷たく言った。
あまりの冷たさに、お父様が口を閉じる。
お母様は、私をじっと見つめた。
後退してしまいかねないほど、冷たい瞳だ。
しかし、凍りついているのではなく、冷たい炎──青い炎のようなものを感じさせる。
つまり、お母様はとてつもなく怒っているのだろう。
いつも穏やかでほのぼのしている彼女だが、怒るととんでもなく恐ろしい。
それは、お母様が王女だったからこそ、なのだろうか。
そんなことを考えていると、お母様は私に尋ねた。
「アデル。あなたは何をするつもりなの?場合によっては、話を聞いてあげても良くてよ」
お母様はゆったりとした声で、そう言った。