8.背筋が凍る
「王女殿下も、呪いに……?」
グレイは頷いて答えた。
「ああ。彼女がかけられた呪いは、【真実の呪い】。こちらは、呪いの中でもメジャーなものだな。つまり」
私は、彼の言葉を引き継いで言った。
「本心しか口にできなくなってしまう呪い……」
「そういうわけだ。王女殿下の中身がああなのは、きみも知っているだろう?王家は大混乱。彼女を隔離して至急、呪い解呪を急がせているが、あれはそもそも解呪方法が存在しないタイプの呪いだ。言ってしまえば、彼女は一生幽閉が決まったも同然、ということだな」
「それは……とんでもないことになったわね」
私は息を呑んで答えた。
本音しか口に出せない、となると大半の人間は苦労するだろう。
しかも対象は、あの王女殿下。
彼女がこれからどんな日々を歩むのか、考えただけで背筋が凍る。
☆
それから王女殿下は辺境の修道院に奉仕することが決まり、アンドリューは、といえば。
流石に赤子になる男と婚約はさせられないということで、エムルズ公爵令嬢との婚約が解消された。
エムルズ公爵令嬢は、婚約解消を嫌がっていたようだが、呪いで赤子の精神になってしまったアンドリューを見て諦めがついたようだ。
そして私は、ようやく落ち着きを取り戻したグルーバー領地で、公爵ご夫妻に挨拶を済ませると、実に半年ぶりに、王都の公爵邸へと戻ってきた。
子猫にしか見えない獣王は、トゥナと名付けた。
由来は、幸福から。
この子の過去に何があったのか、そしてグルーバー公爵家との関係は定かではない。
だけど、五百年封印され、目が覚めたら痛めつけられたのは事実。
この子に既に魔力はなく、もはや脅威にはなり得ない。
だから──いえ、だからというわけではないけれど。
ひとは……ひとに限らず、あらゆる生命は幸せになる資格がある。
そして私は、この子に幸せになって欲しい、と思ってしまった。
だから、トゥナ。
トゥナはすっかり私とグレイに懐いた。
グレイが猫好きとは思えなかったけど、彼も、彼なりにトゥナを可愛がっているようだ。
トゥナが彼の傍に行くと、グレイは微笑みを見せるようになった。
それに、時には高い場所に登りたがるトゥナを抱き上げて、乗せていたりもする。
そして、その後トゥナが降りたがるまでその場でトゥナを見守っているのだ。
それはもはや【監視】ではなく、【保護者】の姿だった。
そんなふたりの姿に微笑ましく思っていた、ある日。
食事の時間なのでトゥナを探していると、執務室の扉が細く開いていた。
それも、猫一匹分。
そこは、グレイの執務室だった。
グルーバー公爵邸は、トゥナが出入りできるよう基本的に、扉が薄く開けられるようになった。
指示を出したのはグレイだ。
そのため、公爵邸の扉はそのほとんどが薄く開かれている。
とても、公爵家の邸宅とは思えない有様である。
(まあ、住んでいるのは私とグレイと使用人たちだけだから良い……のかしら)
そんなことを考えながら、私は執務室の扉をノックした。
入室を許可する返事が聞こえたので足を踏み入れる、と──
「あら……」
そこには、執務椅子に座ったグレイと、彼の膝の上で眠るトゥナがいた。
随分熟睡しているようだ。灰色の毛に覆われた背中が、規則正しく上下している。
グレイは顔を上げて、入室したのが私だと知ると、人差し指をくちびるに当てた。
「寝てしまったんだ」
声を潜めて、彼が言う。
「そろそろおやつの時間よ。どうしようかしら……」
私も小声で返すと、それまでぐっすり眠っていたトゥナが目を覚ました。
パタタッと耳が震えると、そのまま顔を上げたのだ。まだ眠いのかしょぼしょぼとした目で彼女はグレイを見て、そして私を見て──
「にゃぁんっ」
という、子猫特有の高い声で鳴いた。
「…………っ」
胸に刺さる。
(グッとくるのよね……!特にこの、甘えている時の声!)
それは、ご飯の催促の声でもある。
にやける顔を抑えるため、表情筋に力を入れているとグレイが苦笑した。
「休憩にしようか。きみも一緒にどうだ?」
グレイは、手に持っていた万年筆をしまい、書類を纏め始めた。
「…………」
その、彼の振る舞いに。
当たり前のように私を誘ってくれる彼に、トゥナを大切にするグレイに。
思わず、私はぽつり、本心を吐露してしまっていた。
「私、あなたのこと好きみたい」