7.退行と再生の呪い
「──」
その言葉に、私は驚いて顔を上げた。
グレイは、私を見てから獣王に視線を向けた。
どこか、見守るような、優しい瞳だと思った。
「……アデル。きみなら、獣王の力を封じる魔道具が作れるんじゃないか?」
「!!……出来る。出来るわ。やってみせる!」
細かく言うなら、魔道具作りは魔法学科の専門ではない。
だけどこの場合、できるかできないか、ではない。
やるのだ。
魔道具作りはしたことがないけど、これも作成科の友人のツテを頼れば、不可能では無いはず。
私はそう意気込みながらも、不安を覚えて彼に尋ねた。
「……でも、いいの?」
グレイにとって、獣王は自らの家門が生み出した災厄。
彼は確かに以前、そう言っていた。
獣王は、痛みからの暴走とはいえ、グルーバー領を荒らした。
グレイはグルーバー公爵家の嫡男だ。
なおかつ、閣下が長らく領地にこもっているのを見るに、実質、グルーバー公爵家を動かしているのは彼。
それなのに、私のこの──どうしようもない気持ちが理由で、彼に信念を曲げさせてしまうのは、本意ではない。
躊躇っていると、グレイがふっと笑った。
「きみのことだ。俺に負担になるとでも思っているんだろうが、はっきり言っておく。それは杞憂だ。考え過ぎだ」
「考え過ぎ……」
「確かにその獣を生み出したのは我が領地、かつては、一国の主だったグルーバーの人間の咎。だからこそ、俺にはその罪に対して、責任を持たなければならない。……この話は以前きみにしたな」
グレイの言葉に、私はちいさく頷いた。
「それなのに、この子は見逃してくれるというの?」
「それは少し違うな。俺は、監視のためにその獣を手元に置くって言ってるんだ」
「…………」
グレイの言葉に、私はまじまじと彼を見てしまった。
だって、彼の言葉はどう聞いても──。
(一見冷たげに聞こえるけど、実際はこの子の保護を認めるものだもの……)
私はなにか言おうと口を開いて、だけど言葉を発するより先に笑ってしまった。
グレイが、首を傾げ、訝しげに私を見る。
私はくすくすと笑いながら口元に手を当てた。
「……あなた、閣下に似ていると思うわ」
「父に?それは……いや、いい。言わなくても、分かる気がする。だから、言葉にはするな。しないでくれ」
私の指摘にグレイは眉を寄せたが、自分でも心当たりがあったのだろう。
私から視線を逸らすと、気まずげに彼は言った。
以前、閣下は、親戚や王家を手八丁口八丁、屁理屈で言いくるめたらしい。
グレイの素直では無い物言いは、閣下に似ていると言える。
未だに笑っていると、グレイは何とも言いにくい、複雑な顔をした。
本当に、表情豊かになったな、と思う。
グレイは、この件に関して、他に何か言うことはやめたようだ。
彼は諦めたようにため息を吐くと、言った。
「──アンドリュー・ロッドフォードについてだけど」
突然、元婚約者の名前が出たので、私は目を瞬いた。
「え?ああ、そうね、そういえば……アンドリューはどうなったの?」
アンドリューについて、グレイは言い淀んでいた。彼にしては珍しいと、今になって思う。
(あの時は、詳しく聞いている余裕がなかったから聞けなかったけど……)
私は、存在を許された獣王の背中を撫でる。
それは子猫のようにふわふわで、柔らかな感触だった。
「魔法学の専門家が言うには、彼は呪いをかけられたらしい」
「呪い?」
アンドリューに呪いをかけられる人間、いえ、生き物といえば。
私は獣王を見下ろした。
獣王は、自分の話をされているとも思わないで、自分の腕を枕にし眠っている。
私がふたたび顔を上げると、グレイは言った。
「退行と再生の呪い、だそうだ。みなまで言わずとも、魔法学のスペシャリストのきみなら、それがどういったものかは知っているだろう?」
彼の言葉に私は──
「…………え?」
目を見開いた。
退行と再生の呪い。
それは、聖女伝説同様、物語上の存在に過ぎないものだ。
誰もが知るおとぎ話に出てくる、悪い魔女が使う呪いが【退行と再生の呪い】。
その内容は、文字通り赤子まで年齢を遡らせ、ゼロ歳を迎えるとふたたび人間としての成長が始まる、というもの。
その呪いを受けると、対象者は一週間に一歳、時を遡るらしい。
そして、ゼロ歳になると、新たな生を授かったかのごとく、他の赤子と同じように成長を始める。のだ。
記憶を失い、赤子に戻る。
それが、この呪いの内容だ。
そして、この呪いには特徴的な部分がある。
それは、【ゼロ歳に戻るまでの間、不定期に、突然赤子の精神になってしまう】ということ。
だから別名、赤子の呪い、とも言われている。
私は、ふとその時、あることに気がついて、息を呑んだ。
「──」
グレイが王女殿下逃亡の話をしていた時、彼はアンドリューについて言い淀んでいた。
その理由が、今わかったからだ。
恐らく、アンドリューは突然赤子の精神になってしまったのだろう。
王女殿下と共に城を出た彼は、恐らくその呪いを受けたのだと思う。
そして、一時的に赤子のようになってしまったのだろう。
大の大人が、赤子の精神になる──。
事情を知らない人間からしてみれば、異様でしかない。周囲の反応を想像した私は、もはや何と言えばいいか分からなかった。
グレイは眉を寄せると、話を続けた。
「解呪方法は不明。いや、アンドリュー・ロッドフォードはまだいい方だ。ひとまず、赤子に戻りきってしまえば、ふたたび人間として成長できるからな」
彼はそこで言葉を切ると、はっきりと言った。
「問題は、王女殿下だ」