35.貴族の責務
「あなたは、アデルのことをどう思っていらして?」
「尊敬しています」
グレイは、ハッキリと言った。
それに、私は目を見開いた。
彼が、私をそう思っているとは知らなかったから。
グレイはお母様を見て言った。
「魔法学院時代、彼女の熱意に何度も共感しました。私は彼女のことを、共に励む学友、あるいは戦友のように思っています」
「恋情はないと?」
「お母様……!」
堪らず、私は席を立った。
しかし、お母様は私に構わずグレイを見ている。
彼もまた、お母様の質問に動揺を見せることなく答えた。
「……今は、まだ」
しかしそれは、彼らしからぬ、濁した言葉。
(……そうよね!!そんなこと聞かれて、困らないわけないわよね……!!)
やはり、婚約を申し込んだ手前、愛情は無いとは言いにくいのだろう。
そんな言葉を言わせてしまった彼に申し訳なさを感じていると、お母様が肩を竦めた。
「よく分かりました」
その声が困ったようにも、笑っているようにも聞こえたので、私はハッとしてお母様を見た。
「お母様──」
「よく考えてみれば、私はあなたに、私の気持ちを押し付けていただけね」
お母様は困ったように苦笑すると、私を見つめた。
「私から言うことはありません。……あなたは?」
急に低い声でお父様を呼んだお母様に、お父様の肩がびくりと跳ねる。
お父様は、それまでずっと沈黙していたのだが、ここにきて困ったように笑った。
「僕は賛成だよ。断る理由がないし、そもそもアシュトン伯爵家からは断れな……。ああいや、なんでもない」
お母様の射すくめるような視線に、お父様はまた黙り込んだ。
まだまだ、ふたりの関係性には改善の兆しがないようだ。
とはいえ、これで私とグレイの婚約は認められた。
後は、正式に書類にサインするだけ。
話が纏まったことにグレイも安心したようだ。
僅かに安堵の息を吐いた彼は、続けて言った。
「では、貴家のご令嬢をグルーバー公爵家でお預かりしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「──!?」
驚きに息を呑む。
それと同時、お母様の冷たい声が応接室に響いた。
「……何ですって?」
お母様は目を細め、笑みを浮かべながらグレイに尋ねた。
しかし、お母様の目は決して笑っていない。
グレイは、お母様の冷たい空気に躊躇することなく、いつものように淡々と答えた。
「夫人はエーデルに帰られるとお聞きしました。そして、伯爵も共に向かわれる、と」
「……夫のことはともかくとして。そうですわね。わたくしたちがエーデルに帰るのは事実です。だけど、それが何か。婚約は、離れていてもできるものでしょう?」
「アデライン嬢の意思は確認されましたか?」
「──」
グレイの言葉に、お母様が僅かに動揺を見せる。
それに、私は、お母様が私の気持ちに気付いていることを知った。
私は、セイクレッドに残りたいと思っている。
お母様は、それを知っていたのだ。
グレイは、まつ毛を伏せて言った。
「古いしきたりですが、セイクレッド国には行儀見習いという作法があります。今現在も行っている家は、ほとんどありませんが」
私は、彼の言葉にただ驚いていた。
(確かにグレイは、自分に考えがある、と言っていたけれど……)
それがまさか、私を公爵家に置くことだとは、思わないじゃない……!?
規格外というか、大胆というか。
そう思って、いや、と私は思い直す。
(それに関しては、突然婚約の打診をした私もひとのことは言えないわね……)
行儀見習い、それは適齢期の女性が、他家に住み込み、礼儀作法を学ぶ一昔前の風習だ。
過去、セイクレッドにそういったしきたりがあったことは私も耳にしたことがあるが、まさかそれをグレイが提案するとは思わなかった。
私が驚きに息を呑んでいると、グレイはさらに言葉を続けた。
「グルーバー公爵家にも、婚約者を招いた前例があります。どうでしょう。夫人、伯爵。私は行儀見習いの作法に則って、ご令嬢にグルーバー公爵邸に移り住んでいただきたいと思っています」
「…………」
「この件に関しても父から同意を得ています。これは、グルーバー公爵家の総意だと受け取っていただければ」
その言葉に、お母様は返答をしなかった。
代わりに答えたのは、
「……いいだろう」
「あなた……!!」
お父様だ。
それまで聞き手に徹していたお父様だが、頷いて言った。
「行儀見習い、ということであれば婚家に身を置いていてもおかしくはない。確かに古い風習だが、完全になくなったわけではないしな。ユーリカはエーデルに帰るんだろう。僕も同様だ。アデルも、その方がいいだろう」
お父様の視線を受けて、私は未だに驚きを覚えていたものの、何とか頷いて答えた。
(突然の提案で驚いたけれど)
決してこれは悪い話ではない。
セイクレッドを離れずに済むのなら、それに越したことはないからだ。
お父様の言葉に、お母様は不愉快そうに顔を顰めた。
「何を言ってるのです?あなたは来なくて結構よ」
お母様は辛辣に言うと、私に視線を向けた。
「……アデル。……あなたは」
言いにくそうにしながら、お母様は言葉に悩んでいるようだった。
だから私は、お母様に尋ねられる前に本心を口にする。
「お母様。私は、この国に残りたい。私には、目的があり、やりたいことがあるからです。それはこの国でしかできないこと。ですから……どうか、この国に残ることを、そしてグルーバー卿のお話を受けることを、お許しいただけないでしょうか」
本当は、アンジーと共にいたい。
お母様の期待を裏切るのも、苦しい。
お母様たちと共に、エーデルに向かったのならそれはそれで、きっと楽しい毎日が待っているのだろう。
見知らぬ光景に、新しい文化。
想像するだけで胸が踊る。
それは確かだ。
確か……なのだけれど。
それでもやっぱり、私は私の希望を叶えたいのだ。
これは、自己満足かもしれない。
独りよがりかもしれない。
それでも、これが私の矜恃で、私の思う、貴族の責務だから。
私は切実な思いで、お母様に訴えた。
お母様はそれに、僅かに目を見開く。
それから、苦く笑うと言った。
「……分かったわ。あなたに、そこまで言われたらね」
「お母様……」
「ただし、定期報告は送りなさい。私からは、他に言うことはありません」
つまり、これは──。
許可が出た、ということ。
私は上擦った声でお母様に感謝した。
「お母様……!ありがとうございます。シーズンオフには、必ず会いに行きますわ」
☆
そうして、一ヶ月後。
お母様はアンジーを連れてアシュトン伯爵邸を出た。
私は、同時期にグルーバー公爵邸に移り住み、お父様は……といえば。
手持ちの仕事の引き継ぎがなかなか終わらず、お母様に置いていかれた。
しかし、お父様は全速力でそれらを片付けると、大急ぎでお母様を追い、セイクレッド国を出国した。
これはあとから聞いた話なのだけれど。
お父様は、エーデルの城に滞在しているお母様に門前払いをされてしまったそうだ。
アンジーとお母様に会うことも出来ずに、お父様は市井で家を借りることになったそうな。
と、まあそれはともかくとして。
今年は、獣王が復活すると言われている年。
そんなおとぎ話のように曖昧なそれを信じているひとはいないけれど──口伝によれば、この冬、獣王は永き眠りから目覚める、と言われている。
──だけどそれより早く、秋を待つ前に、獣王は復活した。
復活、してしまったのだ。
封印された獣王は実在した。
聖女伝説は、真実だったのだ。
北の辺境はいち早くその被害を受け、王城にその報告がもたらされた。
そうなれば当然、聖女の生まれ変わりと言われている王女殿下が派遣されることになる。
彼女は自身の護衛騎士であり、婚約者のアンドリューを伴い、王都を発つことになった。
〈アデライン・アシュトンの矜恃〉の章はここで終わりです。
次章〈伯爵令嬢の責務〉にて完結となります。
ちなみに、本作は
「伯爵令嬢の責務」と読みます。