34.約束はできない
お母様は目を見開き、それまで置物のようだったお父様は、勢いよく顔を上げた。
「グルーバー……?いえ、そんなことより、アデル。それはどういうこと?」
「昨日、騒ぎの後、彼と個人的にお話をしました。彼は、信じられるひとです。私は、彼との婚約を望みます」
「…………」
お父様は絶句し、お母様はゆっくりと観光案内紙を畳んだ。
「昨日まで、あなたはあのバカ息子と婚約していたのよ?もしかしてあなたたち、以前から……」
お母様の言葉に、私は首を横に振って答えた。
「それは違いますわ。婚約を解消した昨夜だからこそ、思ったのです。私は、彼の人柄を知っています。魔法学院で見た彼を、私は信頼できると思いました。だから」
「話はわかりました」
お母様は話を打ち切ると、席を立った。
「けれど、いくら何でも性急すぎます。それに、あんなことがあったばかりですもの。次の婚約は、もっと慎重になるべきだと私は思うわね。同じ轍は踏みたくないでしょう」
「お母様……」
「先方から婚約の打診が来たら、改めて考えましょう。あなたも、それでよろしいですね」
そこで、久しぶりにお母様はお父様に声をかけた。
その瞬間、お父様の目がぱぁっと光る。
だけど、話の内容を思い出したのだろう。
お父様は、何か言いたげに私を見た後、ゆっくり頷いた。
「そうだな。細かい話はグルーバー公爵家から打診が来たら、だ。だけどユーリカ、これはいい話なんじゃないか……?」
しかし、お母様はそれ以上の会話をする気はなかったらしい。
お父様の言葉を黙殺すると、そのままお母様はサロンを出ていってしまった。
「…………」
「…………」
また、気まずく重たい空気が広がった。
(いつまでこれが続くのかしら……)
とにかく、居心地が悪い、というか。
いたたまれない、というか。
早く仲直りをして欲しいものだと思うけれど、お母様の怒りもよく分かる。
私は、空気を変えるようにお父様に紅茶を勧めた。
☆
後日、正式にグルーバー公爵家から婚約の打診がきた。
それと併せて、顔合わせの場を求めるメッセージカードも送られてきた。
都合はそちらに合わせる、と記載されていて、急ピッチで日取りが決められ──翌週。
グレイが、アシュトン伯爵邸を訪れた。
応接室に通されたグレイは、私とお父様、お母様の対面に座った。
我が家を訪れたのはグレイだけで、グルーバー公爵の姿はない。
グレイは、顔合わせに来たとは思えないほど落ち着いた様子で、そしていつも通りに単刀直入に切り出した。
「ご息女との婚約を認めていただきたく、本日は参りました」
言葉遊びもなく、駆け引きもなく、突然本題に入ったグレイに、お父様が面食らっているのがわかる。
(わかる……わかるわ)
お父様の気持ちは、よくわかる。
反面、お母様はグレイの人となりを見定めようとしているのか、静かに彼を見つめていた。
「……まずは、グルーバー卿。本日は、よく来てくださった。閣下はいらっしゃらないのだね」
「伯爵もご存知かと思いますが、父は基本、領地から出ません。この婚約について、父からは許可をもらっております。後は、伯爵と──夫人の了承がいただければと」
今日のグレイは、夜会の時のように正装である。
白のベストに、黒のジャケット。
いつも無造作に結ばれている白髪はしっかり櫛を通されており、纏まっている。
こうして見ると、グレイは好青年にしか見えない。いつもこうしていれば、社交界の噂も消えると思うのだけれど、それは余計なお世話というものだろう。
グレイの言葉に、お母様がおっとりと言った。
「娘から、婚約の話は聞いております。その上で、お聞きしますわ、グルーバー卿。あなたは、わたくしの娘を幸せにする覚悟があって?」
(お母様!?)
その質問に、私は思わず腰を浮かしかけた。
お母様たちには言っていないから知るよしもないのだけれど、この婚約は契約。
互いに恋愛感情があるから結ぶものではなく、互いに利があるから結ぶもの。
私の幸せを、彼が約束する義務は無い。
咄嗟に私が答えようとすると、その前に彼が返答した。
「ご息女を必ず幸せにする、というお約束はできません」
(やっぱり!)
と
(はっきり言い過ぎだわ……!)
という思いが同時に湧き上がる。
私はハラハラと彼らの話を聞いた。
「あら……」
お母様が、驚いたように声を出す。
グレイは静かに言葉を続けた。
「ですが、私は彼女を裏切りません。彼女も、私を裏切らないと知っている。私は、幸せというものは、片方が提供するものではなく、互いが互いに、形作っていくものだと思います」
「──」
私は、グレイの意外な言葉に驚いていた。
それは、私だけではなく問いかけたお母様も同様だったらしい。
少しして、お母様がぷっと、吹き出した。
「ふふ……ふふふふ!」
そのままくすくす笑うお母様に、私は戸惑って彼女を呼んだ。
「お、お母様……?」
「ごめんなさい、失礼でしたね」
口元に手を添え、笑いをおさめた彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
その顔には先程の見定めるようなものはなく、穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「素直な方なのね。出来もしないのに口だけは立派なことを言う紳士よりも、ずっと素敵だと思うわ」
「…………」
「…………」
その時、私とお父様の沈黙が重なった。
(見える……見えるわ……!!)
お母様の言葉が、威力を持ってお父様に刺さるのが。
グレイは、困ったような苦笑を浮かべた。
「……褒め言葉と受け取っておきます」
「ええ。そうしてちょうだい。グルーバー卿。もうひとつ、聞かせてくださる?」
どうやら、お母様の質疑応答はまだ続くようだった。