33.お別れの挨拶
彼は、淡々と言った。
「今回の件、社交界で相当な騒ぎになっている。まあ、それも当然といえば当然か。王女と近衛騎士の不貞、しかも騎士の相手は王女一人ではなかったんだからな」
言葉にすると、酷い破壊力である。
アンドリューはよくそんな大それたことをしたものだわ……。
改めて私がしみじみそう思っていると、グレイが言葉を続けた。
「ロッドフォード公爵は、アンドリュー・ロッドフォードを貴族籍から抜くために貴族院に掛け合っているらしい。だけど、それを国王が止めている状況だ」
「……アンドリューが身分を失えば、王女殿下は平民に嫁ぐことになるものね」
アンドリューが結婚するのはふたりのうちどちらか分からないけれど、エムルズ公爵令嬢と結婚するにしても、王女殿下と結婚するにしても、平民という立場ではまずいだろう。
王女殿下が降嫁することになり、アンドリューに叙爵する予定だとしても、ロッドフォード公爵家から縁を切られたという不名誉はどこまでも彼らを追いかけることだろう。
(国王陛下も必死ね)
王女殿下の名がこれ以上貶められないように、彼も手を尽くしているのだろう。
(だけど事の発端は、王女殿下にあるわ)
これも自身の蒔いた種だと思って、王女殿下には受け止めてもらいたいものだけれど。
どうも、国王陛下は王女殿下に対して、過保護というか、娘可愛さに周りが見えていないように見えるわ……。
自国の王に対して、そんな不敬極まりないことを考えているとグレイがため息を吐いた。
彼はゆるりと足を組み私の言葉に同意した。
「全くだ。陛下は、表向きは『聖女の婚約者が平民など有り得ない』と言っているらしいが、十中八九、言い訳だろうな」
「……そう。あやふやな言い伝えとはいえ、聖女伝説を引き合いに出されたら、ロッドフォード公爵も強く出られないでしょうね」
何せ、聖女伝説を否定すれば、それは即ちこの国の歴史を否定することになるからだ。
グレイが私の言葉を引き継ぐように言った。
「ああ。だから今のところ、アンドリュー・ロッドフォードの身分問題については保留になっている」
☆
グレイとの話を終えた私は、彼からティーパックの説明書を受け取り、アシュトン伯爵邸に戻った、のだけれど。
(相変わらず、空気が重いわ……)
これはもはや、お母様がお父様を許すか、あるいはお母様がこの邸を出るかしなければどうにもならないだろう。
私は重たいため息を吐いて、お母様とお父様のいるサロンへと向かった。
サロンに向かうと、さらに重たい空気が私を待っていた。
「ユーリカ。話を聞いてくれ」
「…………」
「僕が悪かった。……だから、許してくれないか……?」
「…………」
サロンに足を踏み入れると、書類を広げるお母様に必死に話しかけるお父様が目に入った。
しかし、お母様は答えない。
まるで、お父様の存在に気がついていないかのような無視っぷりである。
お母様は私に気がつくと、顔を上げ、にっこりと微笑んた。
「あら、お帰りなさい、アデル。お別れの挨拶は済んだ?」
「…………」
私に話しかけたお母様を見て、お父様は凍りついた。
もはや、為す術はないと思ったのだろう。
お母様のお怒りをどう解けばいいのか、私にも分からない。
お母様のお怒りももっともだと思うもの。
だけど、私はこの国を離れたくないのだ。
少なくとも、あと一年は。
私は、お母様の対面のソファに腰掛けた。
ちなみに、お父様の隣でもある。
お父様の前には、ティーセットが配膳されていた。
しかし、彼が口をつけた様子はない。
それどころではなかったのだと思う。
お父様の焦りと、憔悴、困惑、悲哀、様々な感情が伝わってきて、いたたまれない。
私は、咳払いをすると本題に入ることにした。
この空気に耐えられなかったのもある。
「お母様、お父様。お話があります」
お父様はゆっくりとこちらを向いた。
その動作は動く屍を思わせて、我が父ながら少し怖い。
お母様は、きょとんと首を傾げた。
「なあに?アデル。今ね、あなたたちを連れてどこに行こうか考えていたの」
お母様は、手に持っていた紙束を私に広げて見せた。
どうやらそれは、エーデルの観光案内のようだ。
(まずい、お母様はすっかりその気だわ)
私がそう思うと同時、お母様はにこにこと言った。
「この旅程にはマリアンヌも同行するのよ。それに、お兄様も一緒。まず、エーデルに到着したらお父様に挨拶をするでしょう?お父様ったら、とっても驚くと思うわ。あなたとアンジーがこんなに大きくなったものだから」
「お母様……」
「お父様に謁見したら、その後はどうしようかしらね?観光を楽しむのもいいと思うの。アデルはどう思う?」
お母様は怒涛の勢いで今後のプランを口にすると、私に微笑んでみせた。
私は、彼女の笑みをみながら、覚悟を決めて、口火を切った。
「お母様、その件でお話があるのです」
「……なあに?」
お母様は、声色こそ穏やかだが、その目は全く笑っていなかった。
それに、彼女の怒りはまだ解けていないことを知る。
私は、国王陛下と話した時よりもずっと緊張していた。
一語一句、違えないようにしながら慎重に話を切り出した。
「私の婚約について、お話したいことがあるのです」
一呼吸おいて、私は端的に言った。
「私とグルーバー公爵令息との婚約を、認めていただけませんか?」