32.ここにいて欲しい
「分かった。ひとまず、その件に関しては俺に考えがある」
「考え……?」
グレイは私の言葉に頷くと、言った。
「まずは、アシュトン伯爵夫妻への挨拶が先だ。婚約を整えない限りは、介入のしようがないからな」
「……迷惑をかけてしまっているわね。ごめんなさい」
グレイにこの契約婚を提案した理由は、もう二度と、婚約を理由に振り回されたくないから。
それなのに今、私自身が彼を振り回してしまっている。
これでは、本末転倒というか、彼からしたら話が違う、となるだろう。
申し訳なさを感じて言うと、グレイが首を傾げた。
さらりと、彼の白髪が肩に流れる。
「迷惑だとは思っていない」
グレイはそう言ってから、少し考え込むように黙り込んだ後、言った。
「俺は、自分のためにやっているに過ぎないからな。アデライン・アシュトン」
彼は、私の名を呼んだ。
グレイを見ると、彼はハッキリと言った。
「俺はきみに、ここにいて欲しい」
「え……」
端的な言葉に、私は目を見開く。
ここにいて欲しい……という言葉は、まるで。
なんと言うか──聞きようによっては、口説き文句にも聞こえるのだけれど。
いや、グレイに限ってそれは無い、というのは分かっている。
だけど、彼のハッキリとした物言いは、社交界で恋の駆け引きや、言葉遊びを聞いている身としては、面食らってしまうのだ。
グレイは、目を見開く私を見て、気の抜けた笑みを見せた。
「──」
珍しいこともあったのものだわ……,
グレイの笑ったところなんて、久しぶりに見た。
彼は基本、表情があまり変わらない。
笑ったところなど、この三年間、片手の数で数える程度しか見たことがない。
様々な驚きが重なり、瞬きを繰り返す私にグレイが言った。
「きみは、俺にとってかけがえのない学友だ。きみをここで手放すのは惜しい。それに、エーデルでは、きみのしたいことは出来ないんじゃないか?」
「…………」
私は、グレイの言葉に息を呑む。
そして、それは確かにその通りだった。
私は視線を下げ、静かに返答する。
「……そうね。エーデルにも魔法学の学び舎はあるらしいわ。だけど、私の目的は魔法学だけではないもの」
グレイは、私の言葉に満足そうに微笑んだ。
本当に、珍しいこともあるものだ。
彼がこんなに笑うなんて。
「知っている。だから、きみはこの国にいた方がいい。いや、いるべきだ。だから俺も、きみに手を貸す」
「……ありがとう、グレイ」
感謝を示すと、グレイはひとつ頷いた。
──それから、また、普段通りの無表情に戻った。
驚くべき変化である。
(笑うと、とても優しげに見えるんだけど……)
だけど彼は社交界でも、あまり──いえ、滅多に笑わない。
だから、その氷のような美貌も相まって、とても冷たく見えてしまうのだ。
その冷たく感じる容姿が、彼の吸血鬼の噂に拍車をかけているのだと私は思っている。
グレイはまつ毛をふせ、言った。
「……ああ、それと、アデライン・アシュトン」
「何?」
「アンドリュー・ロッドフォードと、メアリー・エムルズ、そして王女殿下の三名について、報告だ」
その名前に、私は瞬いた。
(報告、ということは何かあったのかしら……?)
そう思いながら、私はグレイの言葉の続きを待った。