30.名ばかり伯爵
お父様の、ロッドフォード公爵への【借り】とは、お母様との出会いにあった。
何でも、ロッドフォード公爵はお父様とお母様の恋のキューピッドだったらしい。
『お父様。ひとつ、お聞きしたいのですが──』
私は、あの日、項垂れて執務椅子に座るお父様に尋ねた。
お父様の言う、借りとは何なのか、と。
お父様は私が尋ねてもなかなか言いたくなさそうにしていたが、私が
『このままだとお母様に見切りをつけられますわよ』
と脅すと、あっさり口を開いた。
ロッドフォード公爵への借りとは、お母様と出会いの場を用意してもらったことだった。
『僕がユーリカ……お母様と結婚できたのは、彼のおかげだ。だから、僕はロッドフォード公を裏切れない。恩義があるからだ』
お父様はそれはそれはしょぼくれた様子で、そう言った。
それを聞いた私は、唖然とした。
(そ、そんなこと……!?!?)
そう、思ったからだ。
しかし、お父様にとってはそんなことではないのだろう。
ロッドフォード公爵の助力がなければ、お父様はお母様と結婚できなかった。
お父様もお母様も、あまり馴れ初めを語るタイプのひとではないから知らなかったけれど、確かに不思議だとは思っていたのだ。
お母様は、エーデルの姫。
そしてお父様は、セイクレッドと歴史の浅い弱小貴族。
そんなふたりが、どうやって結ばれたのだろうか、と。
お父様は、誤魔化しても無駄だと思ったのか、事細かく教えてくれた。
『ロッドフォード公爵が、招待状を手配してくれたんだ。本来なら、僕には回ってこないはずの招待状をね』
お父様は自嘲するように言った。
『僕は元々卑屈なんだ。アシュトンの家は、爵位こそ伯爵家だが、元々は三代前の当主が武勲を上げて叙爵されたもの。本当は一代貴族だった爵位を、どうにかこうにか継承していっているに過ぎない。物心ついた時から名ばかり伯爵と言われて育ったんだ、そう簡単に僕の性格は変わらない』
そこから、お父様は一気に悲観的になった。
アルコールは摂取していないはずなのに、へべれけのような有様だった。
彼の話を聞いていると私まで巻き込まれそうだったので、私はお父様から聞いた情報の中で大切な部分だけ取り上げることにした。
お父様は、ロッドフォード公爵に恩がある。
ロッドフォード公爵の助けがなければ、お父様はお母様と結婚できなかった……かもしれない。当時のお母様とお父様の身分の差を思えば、その可能性はあまりに高い。
(お父様とお母様が結ばれていなければ、自然、私とアンジーも生まれていなかった…わよね)
当然だ。
そういう意味では、ロッドフォード公爵は、私の命の恩人でもあるのだろう。
私は、お父様の告白を聞いてため息を吐いた。
『分かりました、お父様。私に考えがあります』
そうして、私はお父様の借りを、私が返すことにしたのだ。
私は、サラサラとアンドリューへの手紙を書いた。
【今回、このようなことになり、非常に残念です。
本来、私はあなたに損害賠償を求められる立場にありますが、お父様はロッドフォード公爵に恩があるようですのでそれはいたしません。
その上で、私から提案があります】
これはお父様から聞いたことだけれど。
ロッドフォード公爵家は、経営難、らしい。
お母様とロッドフォード公爵夫人の口約束。
それがなぜ、私が十五歳になってから本格的に話が動いたのか、ずっと分からなかったけれど。
ロッドフォード公爵家が経営難で、アシュトン伯爵家からの支援を求めていたため、ということなら納得がいく。
それに、お父様はお父様で、高位貴族に引け目を感じている。
お父様は、ロッドフォード公爵家の名が欲しかったのだろう。
『この結婚は、ロッドフォード公爵家にも、アシュトン伯爵家にも利のある婚約だ』
アンドリューはそう言っていた。
恐らく、彼もこの婚約の意味を知っていたのだと思う。
だから、あんなに自信ありげだったのだ。
この婚約は、解消されるはずがない、とタカを括っていたのだろう。
(だけど、それを自ら壊してしまうのだから、笑ってしまうというものだわ)
私はそんなことを考えながらも、万年筆を動かした。
アンドリューへの提案、というのは、経営難らしいロッドフォード公爵家への支援に他ならない。
ただし、金銭を送るのではない。
私と結婚するならまだしも、もはや赤の他人だ。例えお父様が公爵に恩があるとはいえ、アシュトン伯爵家がそこまでする義理はない。
私がするのは、あくまで人材派遣。
アシュトン伯爵と懇意にしている商家をいくつか紹介し、優秀なスチュワードを派遣する。
彼らの賃金は、アシュトン伯爵家が支払うもので、それについてはお父様からも承諾を得ている。
何も、金銭で援助しなくても構わないのだ。
その手段だけでも用意すれば、ロッドフォード公爵家は持ち直すはず。
よほど、愚かなことをしない限りは。
(あくまで、アシュトン伯爵家は彼らに賃金を払うだけ。雇用契約は三年としているけれど、更新は一ヶ月単位)
もし、彼らが待遇を理由に辞めても、それはこちらには関係の無い話だ。
ちなみに、派遣する予定の彼らは皆、責任感のある真面目なひとだ。
何事もなければ、三年間、務めてくれることだろう。
そしてこの三年、という数字だけれど。
これはお父様とお母様が出会ってから、結婚するまでの期間だったりする。
(……私とアンドリューの婚約期間と同じなのは、今は置いておくとして)
「……よし、こんなところでいいかしら」
締めの文章を書き終えた私は、ひとつ伸びをした。
(我ながら、いい落とし所だと思うのよね)
幸い、私は魔法学の研究をしていて、予算のやりくりには慣れている。
数字には、強い方だと思うのだ。
この後の経過は報告で知るとして。
ひとまずお父様のロッドフォード公爵への恩はこれで解消、ということでいいでしょう。
(後の問題は……お父様とお母様、よね)
私は、伸びをした腕をゆっくりと下げた。
「エーデルはここから遠すぎるわ……」
何せ、エーデルは海を隔てた海外だ。
☆
その日の午後、グレイからメッセージカードが届いた。
『昨夜の返事がしたい』と簡潔に書かれた文面を見て、私はこちらの問題もあったことを、今更ながら思い出す。
彼に指定された場所は、以前私が訪ねた魔法学院の、彼の研究室だった。