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【書籍化&コミカライズ】伯爵令嬢の責務  作者: ごろごろみかん。
アデライン・アシュトンの矜恃 〈中編〉
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28.互いを裏切らない、という契約


お酒と食事をじゅうぶんに楽しんだ後、場は解散となった。


王太子殿下は自室に戻ることとなり、私はグレイとともに、馬車留めへと向かう。


夜会は既にお開き。ほとんどの参加者は既に帰宅したようで、真夜中の王城は人気がなかった。


ぴゅう、と冷たい夜風が吹き、思わず肩をすくめる。

その様子に気がついたのだろう。

グレイが私に言った。


「俺の上着でいいなら貸すが、着るか?」


「大丈夫よ。お心遣いありがとう」


お礼を言ってから、ふと、私は先程のことを思い出した。


グレイの言葉を聞いて、妙案が浮かんだのだ。


もし、彼がこの提案を呑んでくれるなら──今後、今回のような問題(トラブル)が起きることはもうないだろう。


(恋も、愛も、もう信じない。信じられない)


信じられるのは、そういった浮ついた感情を抜きにした、客観的な評価だけ。


信じる理由が相手への恋情だけなのは、あまりに危うい。


恋や愛といった感情は、時に、本来の光景とは違うものを見せるものだから。

正常な判断が失われることだってあるだろう。

今回の、王女殿下のように。


元から王女殿下が変わっていたのか。

それとも恋情が彼女を狂わせてしまったのか。


それは分からない。

だけど、私はもう二度と、浮ついた感情だけでひとを信じることはしないと、そう決めた。


だから──。


王城の静かな回廊を歩いていた私は、その時、足を止めた。

隣を歩いていたグレイが、少し先で足を止めた。

彼が、いつもと同じような無表情で私を見る。


「どうした?」


「……ねえ、グレイ」


私は、静かに声を出した。

人気(ひとけ)のない廊下は、よく声が響く。


後ろには、私の侍女、リリアが控えている。

だけど、私は構わず言った。



「私と、婚約しない?」



「…………は?」


グレイが、驚きに目を見開いたのがわかる。

背後のリリアも、息を呑んだようだった。


だけど名案だと思ったの。


何も、その場の感情で言っているわけではないのよ。


私はゆっくりと、なぜその考えに思い至ったかを説明した。


「私は、婚約者には誠実さを求めたい。私だけを愛して欲しい、なんて言うつもりは無いわ。ただ──ひとつだけ約束して欲しいの。私の信頼は裏切らないで欲しい。影で馬鹿にされるのも、余計なトラブルに巻き込まれるのも、どちらも絶対に嫌」


私の衝撃的な言葉に、思うところはあったはずだ。

それでも、ひとまず彼は私の話を聞くことにしたのだろう。

グレイは、頷いて言った。


「そうだな。俺も同じだ」


「ええ。だから私は、契約するならあなたがいいと思ったのよ」


「……契約?」


そこで、グレイが首を傾げた。

今日はしっかりと編んだ白髪が、するりと首から滑り落ちる。


宵闇にあってなお、輝くような紅色の瞳を見ながら、私は言った。


「婚約や婚姻は、一種の契約だわ。信頼を裏切れば、有責で、相手は損害賠償を求めることができる」


私は、その権利を手放したのだけれど。

だけど、その代わり、国王陛下に私の希望を叶えてもらった。

もちろんそれは、アンドリューと彼女たちの婚約について。


私は言葉に悩み、少しだけ躊躇ってから口にした。


「……女性から言うのは、はしたないわね。だけど、グレイ。これはとても合理的だと思うのよ」


「合理的、というのは?」


「私は、不貞はしないわ」


私は、はっきりと言った。

やはり、静かな回廊にはよく響く。

グレイは、私の言葉を聞いても表情を変えることはなかった。


「私は魔法学にかかりきりで、それどころではないもの。魔法学の研究を進めながら、不貞をするほど暇でもないの。そして、それはあなたもで同じでしょう。少なくとも、魔法学院で見たあなたは、そういうひとだわ」


これは契約。

互いに、不貞をしない、というだけの。


愛や恋は二の次だ。


もっとも大切なのは、自分の名誉を守ること。

自分の平穏を守ること。


だから、私は提案した。

二度と、今回のようなトラブルに巻き込まれたくないから。


私の言葉に、グレイは瞬きを繰り返した。

その後、彼は僅かな沈黙の後、同意した。


「……確かに。一理ある」


しかし、彼は続けてこうも言った。


「だけど、この手の話は今すぐ答えを出すものじゃないだろ。色恋には疎いが、俺にもそれくらいはわかる」


「ええ、そうね」


彼の言う通りだ。

私は頷いて答えた。


「返答は後日、改めてさせてもらう。今日は酒も入っているからな」


彼らしい返答だ。

その慎重さは彼の長所だと思う。

私はまた頷いて答えた。


これは契約。

互いを裏切らない、という契約婚約。


足を止めていた私は、タッ、と歩を進めた。

そして、彼の隣に並び、グレイに声をかける。


「それじゃあ、帰りましょうか」


「そうだな。長居すると風邪を引く」


グレイも同意し、私たちはそのまま馬車留めへと向かった。

まるで、先程まで自分たちの婚約の話をしていたとは思えないほど、いつも通りに。




世間話を交わしながら、私はホッと胸をなでおろした。

グレイに気付かれないように、安堵の息を零す。


(とりあえず、切って捨てられなくて良かったわ……)


もしかしたら『有り得ない』の一言でバッサリ断られるかもしれないと思ったのだ。


どうやら私は、自分でも気付かないほどに緊張していたらしい。


恋愛感情はないとはいえ、やはり、女から婚約の提案をして断られたら、恐らく相当気まずかったと思う。


貴族の女性が、自ら婚約を打診するなんて、少なくとも私は聞いたことがない。

貴族の女性は、恋の駆け引きを用いて、相手に告白させるのが一般的だから。


(大胆なことを言ってしまったわ……)


遅れて、心臓がバクバクと音を立てる。


だけど、口にしてしまったことの後悔はなく、むしろ、すっきりとした気持ちだった。




しかし──アシュトン伯爵邸に帰った、翌日。

グレイの答えより先に、私は思いがけないトラブルに見舞われることになる。



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しかし──アシュトン伯爵邸に帰った、翌日。 グレイの答えより先に、私は思いがけないトラブルに見舞われることになる。 え?やっぱりリリアが間者で、王女側に密告したのか? とドキドキしながら続きを待ちま…
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