20.お願いがあります
「──」
その瞬間、私は絶句した。
理解してしまったからだ。
国王陛下は、今宵の騒ぎを、全てなかったことにしようとしている。
隠蔽しようとしているのだ。
王女殿下の言葉の真偽を確かめることなく、全てなかったことに──。
あまりの言葉に思わず目を見開くと、王太子殿下が国王陛下の前に出た。
「それは難しいのでは?何せ、こんなに目撃者がおります。人の口に戸は立てられない」
「それが?そうだとしても、たかだか噂に留まるだろう。噂程度なら、どうにでもできる。……皆の者、よく心得よ!この場の騒ぎは、何人足りとも口外してはならぬ。もし破ったものは──」
「破ったものは?何でしょう、セイクレッドの王よ」
その時、この場にまた新たな人物が登場した。
その、どこかで聞いたことのある声に私は思わずそちらに視線を向けた。
すると、そこには──
「伯父様……!?」
お母様の兄であり、エーデル国の王太子殿下が、そこにいた。
お母様と私と同じ、紫の髪。
細いフレームの黒縁の眼鏡は、神経質そうにも見える。
そのひとは、私を見るとにこりと微笑んだ。
「やあ、アデル。一年ぶりかな。また綺麗になったね」
「な──どうして、伯父様が……」
今夜の夜会には、伯父様──エーデル国の参加は予定されていなかったはず。
予定外のことに呆然としていると、伯父様の後ろから、お母様が顔を覗かせた。
そして、お母様は私と目が合うと、片目を瞑ってみせる。
その様子に、伯父様の参加はお母様の差配によるものなのだと知る。
「…………」
私は、思わず脱力した。
ため息がこぼれそうになって、既のところでそれを呑み込んだ。
恐らく、お母様は私を心配して、念の為伯父様を呼んでおいたのだろう。
エーデルの国王、つまり私のお爺様は今年、御歳六十四歳を迎える。
しかし、お爺様は年齢を全く感じさせないほどに壮健である。
そのため、伯父様は四十を経てなお、王太子という肩書きなのだ。
とはいえ、エーデル国王太子の伯父様が自国を離れるのは、相当の労力を要したに違いない。
無理を押して、来てくれたのだろう。
恐らくは、お母様と叔母様──そして、私のために。
そう思うと、胸がふわりと温かくなった。
「レオナルド王太子殿下……な、なぜこちらに」
国王陛下は、突然この場に現れた伯父様に、動揺しているようだった。
王女殿下も、涙の残る顔で伯父様を心細そうに見上げる。
伯父様は、悠々と場の中心地──私たちの傍に来ると、国王陛下に向き直った。
「妹たちが辛酸を舐めさせられている、と聞いて飛んでこない兄がいますか」
その言葉に、僅かに王太子殿下が顔を顰めた。
恐らく、『自分は行かないだろうな……』か、あるいはそれに近しいことでも考えたのだろう。
「セイクレッド王。話を聞くに、マリアンヌとユーリカは、気苦労を重ねているようだ」
その言葉に、私はお母様を見る。
お母様は、私を見るとふ、と薄く微笑みを浮かべた。
マリアンヌ叔母様はエムルズ公爵閣下の愛人遊びに悩んでいて、お母様は娘の私の事で悩んでいる。
伯父様は、そう言いたいのだろう。
彼は、軽蔑するような眼差しで国王陛下を見た。
「この件に関して、我がエーデル国は正式にセイクレッド国に抗議いたします。マリアンヌを貴国に嫁がせる際の条件と違いますからね。後日、書類を通してご連絡してもよろしいが……」
アデル、と伯父様は私の名を呼んだ。
顔を上げると、穏やかに伯父様は微笑んだ。
伯父様とお母様、そして叔母様の兄妹はよく似ている。
微笑むと穏やかなところとか。
そして、怒るととても苛烈なところ……とか。
「貴国は、どう誠意を見せてくれますか?」
「それは──…………」
国王陛下は、黙り込んでしまった。
気まずそうに視線を泳がせ、その後の言葉が続かない。
『マリアンヌを貴国に嫁がせる際の条件』
その言葉に、私は思い浮かぶものがあった。
エムルズ公爵閣下と叔母様は政略結婚だった。
つまりそれは、エーデル国とセイクレッド国の同盟であり、契約だ。
セイクレッド国は、マリアンヌ叔母様を嫁がせるにあたり、彼女の幸せか、あるいは不貞行為を禁ずるような文言でも入れていたのだろう。
しかしそれは果たされなかった。
伯父様はそのことについて、抗議しているのだと思う。
国王陛下がたじろぎ、王女殿下が不安そうな顔で自身の父親を見つめる。
その時、私はようやく口を開いた。
今なら、私の話も落ち着いて聞いて貰えそうだと思った。
「発言をお許しいただけますでしょうか」
「うん?アデル、どうしたんだい」
温和な声で、伯父様が答える。
そう、伯父様は普段、こういう方なのだ。
公園のベンチに座り、犬の散歩をにこやかに見守る。
それが趣味のような方なのである。
私は、伯父様を見て、それから国王陛下を見て、言った。
「私から、お願いがあります」