17.信じた私が馬鹿だった。
(見えたわ)
ふたりは休憩室の回廊の前で抱き合っていた。
何か話しているようだが、こちらまで聞こえてこない。
どうせ、愛を語らうか、私の悪口でも言っているのでしょう。
「──!……!」
王女殿下は必死にアンドリューに何か言っているようだ。
さらにもう少し近付くと、ふたりの会話が聞こえてくるようになった。
「どうしてそんなことを言うの!?アデルとは婚約破棄しないだなんて!!」
「声が大きい。抑えてくれ、ジェニファー。分かってくれないか?僕はアデルと結婚しなければならない。それが、貴族の責務だからだ」
「だから!私が手伝うと言っているの。私はいつでもOKだわ!証拠の偽造も、社交界に流布する予定の噂だって、数人仕掛け人に宛があるわ」
──!?
思わず、足を止めそうになった。
(証拠の偽造に、社交界に流布する予定の噂?)
思わず王太子殿下を見ると、彼は厳しい顔をしていた。
腹違いとはいえ、王太子にとって王女殿下は妹にあたる。
『あなたの妹君。とんでもない計画を企ててくださっているようですわよ』の意を込めて王太子殿下を見つめる。
王太子殿下は私を見ると目を細めた。
すっと、彼の片手が縦に持ち上がる。
すまない、という意思表示らしい。
遮断薬を摂取していることもあり、アンドリューと王女殿下は私たちに気がついていないようだ。
「どうして!?どうしてよ……!!」
「落ち着いて、ジェニファー」
「あなた、本当はアデルのことが好きなんじゃないの!?だから婚約破棄を嫌がるのだわ!」
「そんな馬鹿なことがあるはずがないだろう。僕は、あの手の女は苦手だ。賢しらで、鼻につく。愛想がなくて、可愛げに欠ける。顔は多少見られるが、それだけだ。あなたには遠く及ばないさ。僕の好みは、あなたのように可憐な花のような女性だ、ジェニファー」
「嘘!!もう信じられない……!!」
「ジェニファー……」
「…………」
ふたりの会話は、もちろんグレイや王太子殿下にも聞こえている。
(賢しらで、鼻につく、ねぇ……)
それに重ねて、愛想がなくて可愛げに欠ける……だったしら。
ふ~~ん?
へ~~~え??
……そう。
(それはそれは──あなた好みの女性になれず、申し訳なかったわね……!!)
ぐっと、強く拳を握る。
賢しらげ──というのは、恐らく、私が魔法学に強い興味を抱いていること。
そして、魔法学院での成績を言っているのだろう。
だけど、まさか婚約者にそんなふうに思われているなんて、思いもしなかった。
『僕は、魔法学に一生懸命なアデルが好きだよ』
……あなたが、そう言ったのに。
その言葉があったから、私は魔法学院への入学を決めたのに──。
信じてしまった、私が馬鹿だったの。
盲信した、私が愚かだったの。
アンドリューの言葉は、全部嘘。
何もかも嘘で、虚構で塗り固められている。
信じた私が馬鹿だった。
そんな思いでふたりを見ていると、ふと、小声で呼ばれた。
「アデル」
「何──」
その時、私を呼んだのがグレイであることに気が付く。
目を瞬いた。
グレイは、私をアデラインか、アデライン・アシュトンのどちらかで呼ぶ。
愛称で呼ばれたのは初めてだ。
私がふたりから視線を外しても、グレイは彼らから目を逸らさなかった。
だけど私が彼を見ると、ちらりと一瞬、私に視線を向ける。
「俺は、好きだよ」
「は……」
思いがけない言葉に、目を見開く。
──と、その時、王太子殿下が小声で囁いた。
「話は後だ、行こう」
その端的な言葉に、私も意識をふたりに向ける。
ちょうどその時。
アンドリューは王女殿下を強く抱き締めた上で、奪うような口付けを交わしていた。
感情が昂っているのかなんなのか、とにかく激しい。
(え?……え!?)
ふたりのキスシーンを見ても、頭の中はそれどころではなかった。
(今のって……。え!?)
混乱しているうちに、ふたりのキスはますます激しくなった。
何度も角度を変えて口付けを交わす彼らに、我に返る。
一瞬私は何のためにここにいるのだっけ……と呆然となったが、すぐに目的を思い出した。
王太子殿下、グレイと同様に立ち上がった、ところで。
「どういうことですか!?!?」
その場の空気を一変させる程大きな、そして高い声が響き渡った。
「……!?」
驚いてそちらを見る。
すると、そこにはいつからいたのか、純白のドレスに身を包んだ、緑の髪の女性がいた。
年は、私よりいくつか下だろう。
長い髪をサイドに纏めて編んだ髪型は、年頃の令嬢らしく可愛らしい。
彼女は、その瞳いっぱいに涙をため、王女殿下とアンドリューを見ていた。
「アンドリュー様!!話が違うのではありません?」
「は?メアリー!?どうしてここに」
「どうしてもこうしても、アンドリュー様がよその女に心を預けているとお聞きしたので、慌てて来たのですわ!どういうことかご説明頂けますか!?」
「ちょ、声が大きい……!!」
アンドリューは相当焦っているようで、今しがたまで熱烈なキスを交わしていた王女殿下の肩を押し、離れた。
それに、王女殿下が怪訝そうに眉を寄せる。
「どなた?あなた……」
「呆れた!王女だというのに、私が誰かも分からないのですか!?王女失格なのでは?愛人の娘といえど、社交界の面々の顔は覚えておくべきでは?少なくとも、王子殿下はそのように振る舞っておられますわ!」
「な……!!」
こ──れは、どういうこと、なのかしら?
思わず、問うようにグレイを見る。
しかし、グレイの視線の先は回廊で揉めている三人ではなく、王太子殿下そのひとだった。
グレイは声を潜めて、王太子殿下に言った。
「きみの仕業か?」
グレイの言葉に、王太子殿下が肩を竦める。
「まあね。どうせなら、悪性腫瘍は一度に切除したい。とはいえ、ここまで騒ぎ立てられるとは思わなかったなぁ、僕も」
疲労を覚えたように、王太子殿下は言った。
その間にも、回廊の三人の会話は続く。
「説明を願えますか!?」
詰め寄る緑色の髪の女性。
(彼女、どこかで──)
記憶を探るより先に、アンドリューが怒鳴る。
「だから声を抑えろと……!」
「あら、あなたが私に命令するの?あなた、立場をお分かり!?」
「ひっ……怖いわ、アンドリュー。この怖いひとは誰?」
王女殿下が怯え、アンドリューに縋り付く。
その様子が癪に触ったのだろう。緑髪の女性が、鼻で笑った。
「怖いのはあなたでしょ!このビッチ!」
「ビッ……」
王女殿下があまりの言葉に息を呑む。
その瞬間、私はようやくその女性の正体に思い至った。
(思い出したわ……!!)
彼女、エムルズ公爵家のご令嬢……!!