10.性格が悪くて、結構です
「アンジーは、お人形とぬいぐるみ、どちらが好き?」
「……お人形とぬいぐるみ、ですか?」
アンジーは、困惑しながら首を傾げる。
それから、王女の質問には答えなければ、と思ったのだろう。
おずおずと、答えた。
「どちらも好きですわ」
アンジーは人形もぬいぐるみもどちらも好きだ。
お人形遊びはもう卒業しているが、ぬいぐるみは未だにベッドにおいて眠っている。
アンジーの答えに、王女殿下は大仰に口元を手で覆った。
「まあ……!そうなのね。ごめんなさい、つい驚いてしまって」
「……?」
アンジーが首を傾げる。
王女殿下は、困ったように笑いながらアンジーに言った。
悪意のある言葉を。
「市井ではね?お人形遊びをする子は、将来異性関係が奔放になる、と言われているの」
「──」
息を飲む私に、よく意味がわかっていない様子の、アンジー。
王女殿下は、それから付け加えるように言った。
「ああ、でもただの迷信よ?それに私も、お人形遊びはよくしていたわ。どちらかというと、ぬいぐるみの方が好きだったけれど」
それは、フォローのつもりなのだろうか。
だとしたら、全くフォローになっていないし──
それより、今のは、何?
(宣戦布告?)
挑戦状と受け取って、いいのかしら?
だいたい、異性関係が派手なのはあなたの方でしょう!?
そう言ってやりたいのを、何とか堪える。
ここで言い争いしても、何の得にもならないからだ。それに、アンジーのことで争ったら、アンジーが責任を感じてしまうだろう。
妹のためにも、ここは堪えなければ──。
でも、悔しい。
すごく、悔しい。
私は、アンドリューと王女殿下が通じていた、と知った時以上の怒りを覚えていた。
だって、こんなの酷すぎる。
何、今の?
「……王女殿下」
私は、にっこりと笑って彼女の名を呼んだ。
前言撤回するわ。
東屋になんて、ご招待されたくない。
もう一分一秒たりとも、このひととは一緒にいたくない。
他人を攻撃するために、まだ幼い子供を利用して、その子を傷つけるような悪辣な真似に出る王女相手に、手段なんて選んでいる場合ではなかった。
もう、徹底抗戦といこうじゃない。
(知らなかった?王女殿下)
ものぐさで、波風立てるのが苦手で、できるだけ大人しく過ごしたい性格の私だけれども。
それでも、私にだって大事なものが、守りたいものがあるのよ。
「とっても素敵なお話を聞かせていただきましたわ!ええと、人形遊びが好きな子は、異性関係が奔放になる……だったかしら」
意図して、私はその言葉を繰り返した。
王女殿下は、思っていた反応と違ったためだろう。
戸惑っているようだったけれど、構わない。
今の私は、舞台女優。
そんな気持ちで、込み上げる怒りを押さえつけて、とびきりの笑顔を見せた。
「それは、どういう意図で仰っておられるのでしょう?」
「え?だから深い意味は無いわ。市井ではそういう、」
不敬だと知りながら、私は彼女の言葉をさえぎった。
「ええ。存じておりますとも。私が聞きたいのは、ですね。何を思って、今、この場でその話題を口にされたのかしら……と。申し訳ありません。私は研究に夢中になるばかりに社交界での振る舞いに疎いところがあるのかもしれません。恐れ多いのですが、王女殿下からお答えをいただければ、と」
「何?怒ってるの、アデル?そんなの、ただの世間話よ。深く考えないで」
「王女殿下は、なんの意図もなく、この話題をされた……と。そう仰るのですね?」
朗らかな口調は崩さずに笑いかける。
だけどきっと、今の私の目は笑っていない。
王女殿下が、躊躇い、戸惑っているのがわかる。
思わず、といった様子に彼女は後ずさった。
だって、私は今、ものすごく怒っている。
こんなに、怒りの感情を覚えたのはもしかしたら人生で、初めてのことかもしれない。
(こんな騙し討ちみたいな仕方で相手を貶めるなんて……)
最低最悪のやり方だ。
品性が問われるというものだ。
それも、相手はまだ八歳のアンジー。
私が気に食わないなら、私に言えばいいじゃない?
先程の私の発言が気に食わなかった?
だから、矛先をアンジーに変えた?
ああ、どちらでもいい。
どちらでもいいの。
だって、不愉快なことには変わりないから。
私は、アンジーの手を、さりげなく取った。
もう、この場になんて居たくない。
「王女殿下もご存知かと思いますが、私の母はエーデル国の王女であったひとです。お母様なら、王女殿下の仰った言葉の意味……もしかしたら分かるかも!宿題として、受け取っておきますね」
「アデル。ごめんなさい。違うのよ。不快にさせてしまった?それなら謝るから」
必死に、王女殿下は言い募った。
謝って許しが得られるなら、法律なんて必要ないのだと思うのだけど?
私は、困ったように笑った。
まるで、先程の彼女のように。
「まあ、謝罪は不要ですわ。王女ともあろう方がそんなに簡単に謝罪を口にしてはなりません。ですが、そうですね。大変申し訳ないのですけれど、私、急用を思い出してしまいました。恐れ多いのですが、本日は御前を失礼してもよろしいでしょうか」
「待って、アデル。おねがい話を聞いて。私、そんな意味で言ったのではないのよ。気を悪くしてしまった?ただの世間話のつもりだったの」
(へえ、あなたは世間話で他人を侮辱する、と?)
もしそうなら、とんでもない非礼だし、常識に欠けている。
そう言われて、相手がどう思うかがわからない、ということだもの。
いいのよ、謝らなくても。
謝罪が欲しい訳では、ないの。
だって今更謝られても、どういう意図でその文句を口にしたのか知ったところで。
もう、許す気は無いのだから。
「王女殿下ったら。私、気を悪くなんてしておりませんわ。ただ、今日は本当に用事があるのです。お許しいただけますか?」
「アデル……」
王女殿下は、はらはらと涙を零し始めた。
これだけ見れば、彼女は哀れな被害者に見える。
可憐な出で立ちが、彼女をそう見せるのだ。
場を見守っていたアンジーだが場の空気に気がついたのか、心配そうに私と王女殿下を交互に見た。
アンジーを安心させるためにも、私は今度こそ柔らかな笑みを浮かべる。もちろん、アンジーに。
「まあまあ、王女殿下ったら。泣かないでくださいませ。まるで私が悪者のようですわ」
私もきっと、相当に性格が悪い。
だって、王女殿下の涙を見ても、全く心が動かないのだから。
むしろ、不愉快度がさらに増した。
嫌い、どころではない。
(王女殿下は、アンドリューをどう思っているのか。そもそも、なぜ火遊びなんてしているのか、とか。聞きたかったけれど)
もう、ど~~~でもいいわ!!
貴族の責務があるなら、王族の責務だってあるはず。
立場には、責任が付きものだ。
王女殿下には、自身の行動の責任を取ってもらおう。
アンドリューは差し上げるわ。
王女殿下もいらないかもしれないけれど。
そこはしっかり、責任を取ってもらわないとね。
私の言葉に絶句した王女殿下に、私はニッコリと笑って、さらに言った。
「では、ごきげんよう。王女殿下」