第7幕・果ての無い回廊
自動ドアが稼働音を鳴らしながら開く。
ハローワークに足を踏み入れた僕達を迎えたのは、受付に並ぶ人々の喧騒だった。
…利用客の視線が、僕に集中しているような気がする。
「…ふむ、何故か見られているような気がするな。シャンプーを変えたせいか?」
「いや…多分僕の"Tシャツ"のせいです…。」
そう。僕がこの世界に来た時、気付いたら身に着けていた、"I am異世界人"の文字があしらわれたTシャツ…客観的に見るまでもなく、コレがとんでもなく悪目立ちしている。
列に並ぶ客も、受付スタッフも、僕を"就活を舐めてるのか?"とでも言いたげな視線で見ているような気がする。
…実際、こうも馬鹿みたいな服装でハローワークに来ているのは僕くらいだ。
傍から見たら意味が分からないだろう。
「…リカブさん…せめて着替えたいんですけど…。」
「…?何故だ、折角似合っているのに…」
…こういう時にお世辞を言われても困る。こっちは顔から火が出そうな思いなのに…。
「いや…こんな変なTシャツ、恥ずかしいですし…」
僕は少し、目線を落としながら答える。
「周りからの目線が気になるのか?大丈夫だ、気にしなくていい。
他人にどう見られても、結局大事なのは、自分がどう思うか、だ!」
リカブさんは熱意の込もった声で、僕を励ますように言った。
「…"自分がどう思うか"って…普通にダサ……」
目線を再び上げて、Tシャツへの感想を呟きかけた矢先、リカブさんと目が合った。
「…いと…思いま……」
…リカブさんが、水晶のように澄んだ目で僕を見ている。
僕の2倍は年齢を重ねていそうな容貌からは想像もつかない程、ピュアな瞳をしている。
この目は…アレだ…!
"この"Tシャツをダサいとは微塵も思っていない…そんな純粋さの現れだ…!
お世辞抜きで、Tシャツを"独創性の塊"か"芸術の類"として見ているに違いない…!!!
言えない…!このTシャツが"死ぬ程ダサい"なんて、こんな純粋な瞳を前にしては…とても言えない…!!!
「……どうした?ヨシヒコ君。急に固まったりして…。」
「あっ、いえ…特に何でも…。」
…リカブさんは少し怪訝そうな表情を浮かべるも、僕の真意を追及する事はなかった。
「…おっと、順番が回ってきたな。行くぞ、ヨシヒコ君。」
リカブさんは前の客が立ち去ったのを見届けると、僕の手を引いて受付カウンターへと足を踏み出した。
(あれ…?そういえば、今更だけど…
この世界って義務教育終えてなくても就職できるのか…?)
そんな思考が頭によぎった僕を他所に、リカブさんは受付スタッフと話し始めている。
「いらっしゃいませ。どのようなご要件でしょうか?」
「仕事を探しているんだ。私ではなく彼の…」
リカブさんが僕を手の平で指すと、受付スタッフは僕の方を見た。
「いらっしゃいま…ブフォ――」
受付スタッフが突然吹き出した。
その視線は、明らかに僕の来ているTシャツに向いている。
「…どのようなっw仕事をwフフッ…お探しですっwかっ…wハァッ――」
…どう見てもTシャツにツボっている。何なら息切れしている。
「…やっぱり着替えましょう…リカブさん…。」
「えっ?」
…リカブさんは、スタッフがなぜ笑っているのかも気づいていない様子だった。
・ ・ ・
「…では、まず年齢を教えて下さい。」
「14歳、中学生です。」
「あの、年齢だけで大丈夫です…。」
「あっはい。」
あの後スタッフは、5分程笑い続けた後、僕に幾つかの質問をした。
結局Tシャツを着替える暇は無かったが…。
「――なるほど…未成年の就職ですと…」
「やっぱり、無理ですかね…?」
僕は不安気にスタッフに尋ねる。
「いえ、4番カウンターへどうぞ。」
スタッフはカウンターの並ぶ廊下を指して言った。
「良かった、未成年でも就職…」
スタッフの指す先に、僕も目を向ける。
「…できるん…ですね…? えっ……?」
…するとそこには、絶大な違和感があった。
「なんか…廊下…長くないですか?」
…1番、2番と並ぶカウンターを目で追っていくと、終いに辿り着くのは地平線…
…それ程までに、廊下が長い。冷静に考えるまでも無く、普通のハローワークでは有り得ない。
廊下の先を見つめたまま硬直していると、リカブさんが僕の肩を叩いた。
「…ああ。ここはハローワークでありながら、この村屈指の観光地…。」
「…その名を、"無限回廊"だ!」
「無限回廊………?
………ここ、ハローワークですよね…?」
唖然とした表情を崩さぬまま、僕は問いかける。
「名の通り、どこまでも続くとされる廊下だ。
施設の詳細は分からないが…"終わらない廊下"と"就活"を掛けてるという噂も…」
「縁起悪過ぎじゃないですか!?」
終わらない就活……
リカブさんの言葉を前に、これから進む道に対する不安感がのし上がって来る。
「…というか…!コレってハローワークとして機能してるんですか…!?奥の方にあるカウンターとか…」
「まあまあ。今回割り当てられたカウンターは受付からすぐ近くなのだし、気にする必要は無いだろう。」
「たっ…確かに…そうですね…。」
…リカブさんの言う通りだ。どうせ奥のカウンターに用は無いし、今気にしなくてもいい事だ。
…それに冷静に考えれば、あんな遠くのカウンターが実用化されてるなんて有り得ないし……。
って事は、な〜んだ!
結局ただの杞憂だったって事かぁ〜!
異世界と聞いた時は、どんな非現実的な出来事が起こるのかと警戒してたけど…たかがハローワークでそんな馬鹿げた事、起こり得ないよなぁ〜!(笑)
こうして僕は、余計な不安と決別し、カウンター目指してリカブさんと共に歩き出した。
「お客様〜!良き就活を〜!」
4番カウンターに向かう僕達を、受付スタッフが旗を振って見送ってくれている。
僕の晴れやかな就活ライフが、たった今始まったのだ。
…場面転換を挟むまでもない。
ものの数秒で4番カウンターに着いた。
4番カウンターの職員は、カウンターの目の前に立つ僕達に反応する事なく、広げた新聞を読み耽っている。
服装は、スーツやカッターシャツのような業務的な物ではなく、パーカーを主としたラフな物だ。
「あの、すいませ〜ん…」
僕が話しかけると、職員は眉を顰めつつ新聞を畳んだ。
「ああ客ね?ほら、丸椅子あるからとっとと座って。」
そう投げやりに言い終わると、職員は再び新聞を開いた。
(態度悪いな…この人…)
【晴れやかな就活ライフ、終了。】
木魚と鈴の音が、脳内で響いた。
「君。その態度は流石に看過できない。君は真面目に客と向き合う意思があるのか?」
敬語は疎か、やる気さえ微塵も感じられない職員に対し、僕と同じく不快感を感じたのか、リカブさんは職員に詰め寄った。
職員は舌打ちと共に、両手に持った新聞を背後に投げ捨てる。
「…人の業務スタイルに対して…いちいちうるせえ客だな…。今月に入ってもう3人――」
…そう悪態をつく職員は、僕の方を見た途端に何故か硬直する。
「――そのTシャツを寄越せ。」
「……えっ?」
職員の口から出た予想外の言葉に、僕も続いて硬直する。
「…混乱しているようだな…。」
「しますよ?」
…職員はあたかも、先程の爆弾発言を自覚していない様子だ。
「…ならば教えてやろう…この俺はッ――」
ビリィッ――!
突如職員が、着ていたパーカーを破り捨てた…!
「――Tシャツコレクターだッ!!!」
…そう名乗りを上げる職員のパーカーに隠されていた、パンパンに膨れ上がった筋肉…ではなく、何枚も重ねられたTシャツが露わになる。
とりあえず、僕の口から出た言葉はコレだ。
「 ――変態だぁぁあぁぁぁあぁあ!!! 」
僕はカウンターに背を向け、全速力で出入口に向かって走り出した。
「ヨシヒコ君っ!」
リカブさんも僕に並んで走り出す。
「…俺は変態じゃない!Tシャツコレクターだ!」
振り向くと、4番職員もカウンターを飛び越えて、僕を追うように走り出すのが見えた。
「Tシャツを…寄越せェェェ!!!」
「うわぁあぁぁぁあ――」
――ドギュンッ!!!
その時、僕の悲鳴を上書きするかのように銃声が響いた。
丁度視界の先には、"ライフルのような物を構えた"受付スタッフの姿があった。
「ふう…何とか間に合ったみたいですね。」
そう呟く受付スタッフの目線の先…僕が振り向いた先に、先程の変態職員が倒れているのが見えた。
「お客様!お怪我はありませんか!?」
心配の声を上げて、受付スタッフが駆け寄ってくる。
…怪我とかの心配はいいから、まずこの状況の説明をしてくれ…!
「あ…心配しないで下さい。コレ、麻酔銃なので。」
スタッフがライフルを指し示しながら言った。
「なら良かった…とはなりませんよ!?
何で麻酔銃があるんですか…!?ここハローワークですよね…!?」
「利用客もスタッフも数が多いので…事件やら暴動、派閥抗争やらが頻発するんですよ…。」
「ハローワークですよね!?」
「…とにかく、このような変質者に職探しを任せる訳にはいかん。」
リカブさんが、倒れた職員を指差して言った。
「そうですよ…!なんなら追い回されたし…。他のカウンターに案内して貰えますか?」
続いて僕が頼み込むと、受付スタッフは少し考え込むような様子を見せた後、すぐに再び話し始めた。
「…分かりました。では……」
「ここからおよそ90km先の、92,374番カウンターへどうぞ。」
「…えっ?」
受付スタッフが指し示す先…
それはさっき"用の無い場所"として眼中から外していた"廊下の先の地平線"だった。
「えっと…90km先って…」
「…これは長旅になりそうだな。できるだけ出発は早い方が良い。」
戸惑う僕を他所に、リカブさんは廊下の先に向かって歩き出した。
「えっちょっ…ちょっと…!
他のカウンターとか空いてないんですか…!?」
僕の問いかけに受付スタッフは小さく首を振る。
「…集団ストライキ中でして…。」
「マジでどうなってんですかこのハロワ…!!!」
こうして…僕の地獄の就活が始まった。
…この世界に迷い込んでから、まだ1時間の出来事である。
To Be Continued