第54幕・人の道
「ありがとう、おにいちゃん!」
僕の腰程の背丈も無い小さな男の子が、僕達に向けて手を振る。
「お巡りさんも、ありがとうございます…!」
男の子の横では、そのお姉さんらしき女の子が頭を下げていた。
2人共揃って、缶詰めと水を抱えながら…
「…終わりましたね、マワリさん。」
太陽が空高く登っていた。
一昨日の、未曾有の大破壊が嘘であるかのような晴天。
僕はじんわりと残る筋肉痛と共に、軽くなったリュックを背負っていた。
「厳密に言えば、終わりではない。あくまで、2人で運べる程度の僅かな物資を、一部の人間に配布したに過ぎない。だが…良く頑張ったな。」
マワリさんは萎みきったリュックを背負い、歩き続ける。
これから、マワリさんの自宅へと戻る所だ。
「…マワリさん。1つ聞いても良いですか?」
「駄目だと言ったら?」
僕は沈黙する。
「…冗談だ。話してみろ。」
僕の複雑な反応を悟ったのか、マワリさんはすぐに発言を撤回した。
「もしかして最初から…僕に物資の配給を手伝わせようと?」
スーパーの前で、リュックを開けた時以来の疑問…僕は、数時間越しにそれを口にした。
「…主目的は君の体力作りだ。その事実に違いは無い。だが…」
マワリさんは歩みを止め、その場に立ち止まった。
間も無く振り返り、僕の方を見る。
「…時にヨシヒコ少年。警察の役割とは、何だと思う?」
マワリさんは僕と目を合わせたまま、問いかけた。
「う〜ん…悪人を捕まえる事、ですか?」
「それも正解だ。だが俺が思う警察の役割には、"悪人を作らない事"も含まれている。」
「悪人を作らない事?」
僕は思わず、マワリさんの言葉を復唱していた。
「スーパーで出会ったあの男は、家族の為に物資を盗み出そうとしていた…。
他の手段を断たれたが為に、人の道を踏み外そうとしていたんだ。
俺は、人々が罪を犯す理由を排除したかった。もう誰も、道を踏み外さないようにしたかったんだ。」
マワリさんは真剣な表情を浮かべ、そう語った。
正義は…単純なものではない。
彼の言葉は、それを示していた。
ただ悪を滅ぼすだけでは、ハッピーエンドを迎えられるとは限らないという事実…
(「全てのモンスターは、人間だった」)
…それを、僕は痛感していた。
「…立派ですね、マワリさんは…。」
「君も配給を手伝ったんだ。わざわざお世辞を言うべき立場ではないだろう?」
「でも…配給に関しては、マワリさんがリュックに物資を忍ばせたからであって――」
「では、次の特訓だ。ここから俺の家までランニングするぞ!」
僕の言葉を待たずして、マワリさんは走り出してしまった。
「えっ!?ちょっと待ってく…うっわ背中軽ぅぅぅぅい!」
僕は慌てて、遠ざかるマワリさんの背を追いかける。
荷物の重みから解放され、僕の足取りはすっかり軽やかになっていた。
リュックに出来た空きスペースを、達成感が埋め尽くしている…そんな気がした。
・ ・ ・
「はぁ…はぁっ…マワリさん…早い…早いですって…!」
僕は再び、マワリさんの自宅がある丘に踏み込んでいた。
昼が近いのもあり、足元は木漏れ日によって明るく照らされていた。
一方で、マワリさんとの距離は縮まらないままだ。
荷物が軽くなったとは言え、登り坂を走るのはかなり苦しい…。
ゾンビの唸り声のような呼吸音を上げ、僕は必死に走り続ける。
「まだまだだな、ヨシヒコ少年!俺は先に行く!昼食のカップ麺にお湯を入れて待っているからな!」
前方から、マワリさんの声が響いてくる。
「えっ…ちょっと待って下さい!僕が着く頃には伸びちゃいませんか!?」
「カップ麺がブヨブヨのデロンデロンになるのが嫌なら早く来い!帰ったらすぐにカセットコンロでお湯を沸かすからな!」
…マワリさんは速度を上げ、影すら残さず僕の視界から消えていった。
「ちょっ…カップ麺…待っ…伸び…」
ふとした時、僕のお腹から悲鳴のような音が鳴った。
そう言えば、朝から何も食べていないんだった…。
息が詰まる。
身体に力が入らない…。
重い荷物を背負った事による筋肉痛、プロミネンスとの戦いによる火傷、なんなら無限回廊を歩いた時の筋肉痛ですら、未だ微かに残っている。
これだけの苦しい思いを重ねた末の、ひと時の休息が、昼食が……
「――伸びたカップ麺だなんて…絶対に嫌だ…!!!」
脚に力を込め、望みを唸らせ…
走り抜けろ、僕――!
・ ・ ・
【10分後】
「はッ…はあッ……やっ…と…着いた……。」
再び目にする森の終わり。
僕の視界には、マワリさんの自宅が映っている。
きっとまだ間に合う。
伸びていないカップ麺を、味わう事が出来る。
絶大な疲労感との抱き合わせで、希望が僕の心に湧き上がってきた。
僕は深く息を吸い、呼吸を整えようと試みる。
「――ヨシヒコ君?」
…その時、背後から僕の名を呼ぶ声がした。
聞き覚えのある声…僕は記憶を辿る間も無く、反射的に振り向いていた。
そこに立っていたのは、角眼鏡を付けた若い男性…
思い出した…彼は…。
「ヨシヒコ君…だよな。こんな所で何を…って、どうしたんだ!?ゾンビみたいな顔色になってるじゃないか!」
「アレフさん…?」
無限回廊で、マワリさんに辞表を出そうとしていた警察官だ。彼の方こそ、何故ここに…?
…その時、小屋の扉が開いた。
「丁度良いタイミングに来たな、ヨシヒコ少年。カップ麺が食べ頃だぞ――」
上機嫌で飛び出してきたマワリさんだったが、アレフさんを認識した瞬間、その表情は陰りを見せた。
「アレフか。何の用だ?」
マワリさんは小屋の戸を閉め、僕達の方へ歩み寄る。
「僕の決断を…伝えに来たんですよ。マワリさん。」
アレフさんは、ワイシャツの胸ポケットから紙を取り出した。
"辞表"。その単語が綴られた紙を…
「これが…僕の決断です。」
To Be Continued




