第53幕・救済の手
「あの…大丈夫ですか?」
僕は地面に倒れ込む垂れ目の男性に手を差し伸べる。
「あっ、ああ…心配かけたね…。」
垂れ目の男性は、少し混乱した様子で僕の手を取り、立ち上がる。
それから服に付いた砂埃を払い除け、顔を上げ、僕の顔を見た。
「…あれ、君…何処かで――」
「立て続けで済まないが、事情聴取に応じて貰おう。」
マワリさんは、僕達の元へと歩み寄ってきた。
「ハハ…参ったな、お巡りさんまで来ているとは…。」
垂れ目の男性は不自然な笑みを浮かべ、頭を掻きむしる。
「マワリさん、逃げていった男は…」
僕は街道の先を指差す。
「…本来なら追うべきだが…このスーパーで異常事態が起きているのも確かだ。現状、この場を離れる訳にはいかない。」
マワリさんは、苦い表情を浮かべていた。
「…それで、この場所で何があったんだ?」
「ああ――」
垂れ目の男性は、震える声で語り始めた。
何か恐ろしいものを、思い出したくない出来事を想起したかのような…そんな声だった。
・ ・ ・
…俺達は、深夜からこのスーパーに並んでいた。
モンスターによる被害で物流が麻痺したと聞いた人々が、残された物資を求めて集まったんだ。
だが…ある時、列に並ぶ誰かが言ったんだ…。
『電気も、物流も途絶えた中で、スーパーなんて営業できるのか?』ってな…。
列にどよめきと不安が広がったその時…ガラスが割れる音がした。
憔悴に駆られた誰かが、ガラス戸を叩き割ったんだ。
それからは…一瞬だった。
列に並んでいた人々は、一斉に店内になだれ込んで…店から商品を奪い始めた。
誰も彼もが血眼になって、商品棚をひっくり返して…
棚に何も無いと分かると、今度は他人から奪おうとする人間が現れた。
罵声に悲鳴、泣き声が響く乱闘騒ぎの中…
俺も無我夢中になって、物資を漁った。
・ ・ ・
「あの場じゃ…漏れなく全員が化け物みたいだった。明日も明後日も生き抜く為に…必死になっていたんだ。俺も含めて…な。」
垂れ目の男性は全てを話し終えると、疲労を顔に浮かべ、息をついた。
「詳細は理解した。このスーパーでは暴動が起こり…お前は、その混乱に乗じて窃盗を試みたという訳だな。」
マワリさんは、男性を威圧的な目つきで睨みつける。
「…っ!!!」
男性は狼狽えるような、怯えるような様子でマワリさんから目線を逸らした。
…警察としての、犯罪者を見る目。僕がそれを頼もしいと思えなかったのは、初めての出来事だ。
「マワリさん…そんな言い方は…!」
「…この男が店の物資を持ち出そうとしたのは事実だ。違うか?」
マワリさんは、僕の言葉を一蹴した。
…この男性は、家族の為に行動していた。
しかし、世の中がこんな状況だとしても、人間の犯した罪が軽くなる訳ではない。
その事実を目の当たりにした僕は、口を噤む他無かった。
「悪い事だというのは分かっている…!それでも、家族にはひもじい思いをさせたくなかったんだ…!」
男性は目に涙を浮かべ、項垂れ、そして叫んだ。
マワリさんは腕を組んで、ただ彼を見つめている。
「…ヨシヒコ少年、背負っている鞄を開け。」
不意にマワリさんが言う。
「えっ?」
僕は戸惑いつつも、マワリさんの表情を覗き込む。
…険しさの消えた、穏やかな表情だ。
「…?何してる、早く下ろせ。」
「あっ…はいっ!」
僕は慌ててリュックの肩紐を外した。
直後、リュックは自重で僕の身体から滑り落ちていく。
リュックは受け止める間も無く地面に着き、ズシンと音を立て、僕の足元を微かに震わせた。
「おいおい…もう少し丁寧に下ろさないか…。」
マワリさんは若干呆れつつ、手本でも見せるかのように、背負っていたリュックを静かに下ろした。
…すいません、僕の筋力では到底無理です。
心の内で頭を下げつつ、僕はリュックのファスナーを引き開けた。
…開いたファスナーの隙間の奥で、何かがキラリと光る。
「――これは…水?」
背負っていた荷物の正体…それは、水の入ったペットボトルだった。
1本や2本ではない。リュックの中には、隙間なくペットボトルが詰め込まれていた。
…道理で重い訳だ。
そう納得しつつ、僕は戸惑う男性…そしてマワリさんに目線を向ける。
「…災害時用の備蓄食料だ。入り用だろう?幾つか持っていけ。」
何かの缶詰めを手に、マワリさんは笑みを浮かべていた。
「なっ…!そんな…良いのか…?」
男性は戸惑う様子を見せる中、マワリさんは僕を一瞥する。
「4人家族…で、合ってますかね…?これだけあれば、3日はもつと思います。」
僕はリュックから水を数本取り出し、男性へ差し出した。
「あっ…ああ…!本当に良いのか…!?ありがとう…これで…これで家族に…!」
男性は僕と目を合わせ、涙を流した。
…悲しみを孕まない、喜びの涙。
この世界でそれを目にしたのは、この時が初めてだった。
…男性の背後では、マワリさんが「ナイスだ」とでも言わんばかりに親指を立てていた。
・ ・ ・
「――ではヨシヒコ少年、次だ。」
マワリは再び、リュックを背負い上げた。
「他の人にも…特に子供や困窮している人達に、物資を配るんですね…!」
「察しが良くなってきたじゃないか、その通りだ。」
マワリは振り向いて、垂れ目の男を見る。
「…もう、奪われないようにな。早く食料を家族に届けてやれ。」
「ああ…勿論…!」
垂れ目の男は、涙を拭いながら頷いた。
マワリとヨシヒコは、歩き出した。
先程まで牛歩だったヨシヒコの足取りは、僅かに軽くなっていた。
垂れ目の男は、遠のいていくヨシヒコの背を眺めている。
「…ああ、思い出した…!」
「確か、テレビに出ていた…勇者だ…!」
「そうか…あんな子供が……」
「……………」
垂れ目の男の中で、思考が駆け巡る。
しかし間も無くして、それらの思考は1つの言葉へと収束した。
「――ありがとなぁーーーっ!!!
勇者ぁーーっ!!!お巡りさぁーーん!!!」
ヨシヒコは照れくさそうに振り向き、垂れ目の男に手を振る。
そんなヨシヒコの姿を、マワリは微笑みながら見守っていた。
To Be Continued




