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「いいよ」


 意外にも返事はあっさりしたものだった。

 いつもより少しだけ早く帰ってきたヘクターは、パーティーの話を聞くと少し考えて了承した。

 執事が手帳に予定を書き込む。


「いいの?」


「まあそれくらいは手伝うよ」


 別にエスコートをした所で仕事の代わりにはならないのだが、臆病なヘクターは罪悪感から引き受けたようだった。


「ありがとう! 嬉しいわ」


 ある程度パーティーに出席して顔を覚えてもらうのも貴族の仕事なのだが彼にはあまり当事者意識はないらしい。

 イヴェットは別にそれでもよかった。

 パーティーが苦手なのに無理に出席しては疲れ切っている友人もいるのだから付き合ってくれるだけありがたい。

 ヘクターの自尊心が回復している間に仕事の話も進める。


「それで、もしお仕事が大変ならしばらく私が代わりに対応しましょうか?」


「君が?」


 鼻で笑われる。お前なんかに出来るのか、と言外に言っている。


(仕事してないのはあなたなんですが)


 と言いたい気持ちをぐっと抑えて笑顔で下手に出た。


「大変だったらヘクターにも手伝ってもらいたいわ。でもあなたは「お付き合い」で忙しいでしょう? 細々した雑務をやってあなたの助けになりたいの」


 あくまで主体はヘクターであり、面倒くさくて責任がある仕事はイヴェットが行うと説明する。


「確かに僕は忙しいし……それもいいかもしれないね」


(なにが忙しいよ。いちゃついてるだけじゃない)


 文句はぐっと笑顔の下に押し込める。もう一押しだ。


「そうよね。商会員が混乱したらいけないから知らせるのは重役の人だけでいいと思うわ」


 そうすれば面子も無事だろう。ヘクターは満更でもない様子で考えている。


「実務に支障が出るから名義変更と私の商会立ち入り許可だけお願いしたいの。書類を持っていくのにいちいち訪ねてきてもらうのも悪いでしょう?」


 現在イヴェットに商会立ち入り許可はない。

 昔から付き合いがあるので通しては貰えるだろうがヘクターが会長になった時に妻が仕事場に来るのを嫌がったのだ。


「分かった。何かあったら君が責任を取りなよ」


「ありがとう。あなた程には至らないと思うけれど頑張るわね」


 にっこりと良き妻を演じる。が、正直な所腹の中はヘクターの発言で煮えくり返っていた。


(責任は自分が取るって言いなさいよ! そこまでいくと臆病じゃなくて卑怯だわ)


 提案したのはイヴェットだが現会長は自分のはずだ。

 ヘクターの気が変わらない内に、または後で面倒くさいと言い出さない内に権利移譲書にサインをさせる。

 色々あったが、これでイヴェットは実質的な権限を手に入れたのだった。



 パーティーの主催は気心の知れた友人のクラリッサ男爵令嬢だ。 

 近くの有力者に招待状を出しているのでヘクターの知り合いもいるだろう。


(だからって本当にエスコートだけしてさっさと別行動とはね)


 イヴェットの方からも、宴の頃合いを見て別行動を促そうとは思っていたのだがあまりにも夫婦仲がうまくいっていないのがあからさまだ。

 主催の友人はしばらくぶりに見たイヴェットの来訪を手放しで喜んでくれたが、やはり忙しく一人にだけ構っているわけにもいかなそうだった。


「イヴェット~! 会いたかったわ! 」


「お招きありがとう。今日を取っても楽しみにしていたの!」


「お父様の事は残念でしたわね。お別れには私も参列させて頂いたのだけど、あの方には本当に良くして貰いましたわ」


 食べごろの栗のような茶色いくせ毛が可愛いクラリッサは、告別式の時に目を真っ赤にして泣いていた。

 あの時は喪主として挨拶していたが父を思ってくれている人がいる事に随分と救われた。

 イヴェットとクラリッサは手を取り合った後、友人は顔を近づけてこそりと声を落とす。


「……最近オーダム家の良い噂を聞きませんの。あなたが関わっているとは思いませんわ。心当たりもあります。ですが社交界は生き馬の目を抜く場所ですから」


「そうですわね……」


 噂というのはダーリーンや商会の事だろう。

 しばらく社交界から離れていたからそういった人々の視線に鈍くなっていた。


「まあ、今日は情報収集しながらでも息抜きして下されば嬉しいわ。重いのは嫌だから若い人や注目している方を中心に招いているのよ。素敵な出会いがあるよう祈っているわ」


 クラリッサはすぐに他の招待客に話しかけられ、そちらに笑顔で対応している。


(クラリッサ、変わってないわね)


 彼女がいると場がパっと華やぐのだ。愛嬌のある仕草や誠実さが伝わるからだろう。

 確かに今日の集まりは全体的に若い人が多い。

 こうした目的がちゃんとしているパーティーは顔の広いクラリッサ流の社交術でもある。


 ただ若いが故に半ば伴侶探しの場の勢いも強く、既婚者のイヴェットはなんとなく申し訳ない気持ちもあった。

 ふわりとカーテンが揺れる。窓が開いてそこから風が入ってきているのだ。

 少し火照った頬に涼しさが気持ち良かった。


(庭園に出てみようかしら)


 オーダム家の噂についてヒントを貰ったものの、どんなものかは想像できた。

 そして人の輪の中にいるという事は噂で塗りたくられたイヴェットを見られるという事である。

 少し人から離れたくもあった。


「そうよね。お義母様があんな事して商会もうまくいってない中で暇な人達が食いつかないわけないわよ」


 ただでさえ貴族社会では特殊な結婚だったのだ。

 クラリッサと少し話せて、忠告を聞けただけでも来てよかった。

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