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「はあ……」
驚きすぎて今にも腰が抜けそうだったがなんとかイヴェットは矜持を絞り出して床ではなくソファに座り込んだ。
珍しく荒々しい様子で出ていったヘクターに使用人たちも驚いていた。
「奥様、大丈夫ですか?」
トレイシーが急いで白湯を持ってきてくれた。カップを持つだけで少しほっとする。
「なあに、あの子を怒らせたの? 優しいあの子を」
そこへやってきたのはダーリーンだった。扇をひらめかせて、意味深にほほ笑む。
(今一番会いたくない人だわ)
しかし弱みをみせたくないイヴェットは優雅に立ち上がり微笑んだ。
「お加減はどうですかお義母様。寝込まれていたようですけれど」
「あら、もうすっかり平気よ。明日はまたサロンに広間を使うから、準備をお願いね」
「……承知いたしましたわ」
親子ともどもイヴェットの事を使用人だと思っているようだ。
お酒と食事の準備を急にするのも大変なのだから控えてほしい、などと言おうものなら当たり散らすのでイヴェットは大人しく我慢した。
「それにしてもあの子も可哀そうね」
玄関をちらりと見るダーリーンが何を言っているのか分からなかった。
「男一人繋ぎ留められない女を妻にして、退屈でしょう」
(なっ)
一瞬で頭に血がのぼる。ダーリーンは息子の不貞を知っていたのだ。
その上でイヴェットが悪いと貶めている。
「奥様」
トレイシーが見えないようにドレスを引っ張ってイヴェットを落ち着かせようとする。
「まあ貴族男性にはよくある事ですものね。あなたがつまらないとしても気にすることではないわよ。あーっはっは!」
言うだけ言うとダーリーンは扇で自身を煽ぎながら去っていった。嵐のようだった。
「なんだったんでしょう」
「分からないわ。お酒が抜けて楽しくなったんでしょう。後は宴の指示」
自室に戻ったイヴェットは商会からの報告書とは別にいくつかの手紙がある事に気付いた。
「これは招待状ね」
オーダムは歴史ある男爵家だ。
結婚後すぐに父が亡くなりバタバタしていた為パーティーに呼ばれる事もなかったのだが、忌明けも済みしばらくしたので気を遣ってくれているのだろう。
屋敷の中にいたら気が滅入りそうだった今のイヴェットにはありがたい誘いだった。
「ヘクターは了承してくれるかしら」
未亡人でもない既婚の女性が一人でパーティーに参加する事はあまりない。
参加するにはヘクターにエスコートしてもらわなければならないのだが、さき程の会話からして素直に応じてくれるだろうか。