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 その後ヘクターとジェニファーは宿(もちろんいかがわしい立地にあるいかがわしい宿だ)に入っていった。


「ばっちり記録しましたね!」


「ええ、全く警戒していなかったわね。やりやすくて助かるけれど」


 この録画魔動機は結婚式の時の事も記録している。 

 ヘクター自身になんの感情もないとはいえ、イヴェットはなんとなく苦い気持ちになった。


「とりあえず気づいていない事にしたいから、申し訳ないのだけれどあなたたちも口裏を合わせておいてもらえるかしら」


「当然です! もとより使用人に口を出す権利はありませんし、私達は奥様の味方です」


「同じく、そう思います」


 思えばヘクター達より付き合いが長いのだ。

 飲み込みづらい感情が少しだけ溶けた気がして、イヴェット達は屋敷へ戻った。


 翌日のイヴェットは正直なところ少し眠かった。

 それでも気合を入れて起き、商会の仕事を捌く。

 商館に直接向かうと「女が仕事場に来るな」と言われるので書類を持ってきてもらって決済できるものだけしているのだ。

 商会長が急な病に倒れた時に一時的に妻であるイヴェットが決裁権を持つことは出来る。

 ヘクターが動けないというわけではないのだが、事実上の仕事放棄なのだから仕方がない。


 商会にもヘクターが休みの連絡を入れずに数日以上現れていない事、そして仕事が滞っている事を確認し、決裁権の一部委譲を決めた。

 重役のおじさまが困ったように訪ねてきたので応接間に通す。


「あの、商会長は大丈夫なんでしょうか」


「少し体調を崩しているだけなのですぐ戻ると思いますわ」


 心配する彼を誤魔化すが、当のヘクターはふらふらと街を歩いているのだからいずれすぐバレる。

 重役のしょぼくれた感じからも、体調を崩しているというのが嘘というのは承知の上なのだろう。

 面子を立てている間に改心してほしいものよね、とイヴェットは思った。


 しかしそれも、無理かもしれない。

 イヴェットは重い口を開いた。使用人からあるものを受け取り、机に並べた。


「あなたに少しお話したい事があります。そして頼み事も。くれぐれも内密に」



 そんなヘクターはいつも通り昼頃に帰ってきて、風呂に入り、そして寝た。


「ヘクター、起きてください! 仕事が溜まっているんですよ?」


 もう本人に対しても呼び捨てだ。

 親しみを込めたものではなく軽蔑の為のものである。


「はへ……。んにゃら~……しおろはぁ、しへるってえ」


「何を言っているのか分かりませんわ……」


 オーダム家は貿易事業で利益を上げ、傘下の商店もいくつかある。

 その商会長というのは本来とても重い立場なのだ。

 近くで父を見ていたイヴェットだからこそその重圧は分かっているつもりだ。


(なのにこの人は、自分が会長だからってお金を自由に使える立場だと思って義務を放棄しているのかしら)


 だらしなくベッドに四肢を投げだしているヘクターを見て、イヴェットはため息をついた。


 トレイシーからヘクターが目覚めたと報告が入る。

 イヴェットはダイニングにいるヘクターの元へ急いで向かい、書類の束を突き付けた。


「『お付き合い』が大切なのは分かります。ですが最低限の仕事はしてください」


 ちら、と書類を見てヘクターは苛立ったように眉根を寄せた。

 流石に酔いはさめたようだ。


「商会は僕がいなくても回ってる」


「回っていないからこれらを届けてもらったのです。皆さん困ってました」


「でも」


 その後もああだこうだとヘクターは仕事から逃げる言い訳を長々と続けた。

 しかし目の前の怠慢の結果から逃げる事は出来ない。


「これはただの確認なのですけれど、もしかしてあなたは仕事をしたくないのですか?」


「……」


 ヘクターはうつむいて黙ってしまった。


「少し前までは父に業務を教えてもらいながら頑張っていたじゃないですか。楽しそうに見えましたけど違ったんですか?」


「それは……」


 沈黙の後ヘクターはぽつりぽつりと話し出した。


「確かに最初は楽しかった。やりがいもあったし、皆に褒められて嬉しかった。でも、初めて任された事業で失敗して赤字を出して、怒られて、やっぱり僕には出来ないんだって分かったんだ。皆もそう思ってるんだろ」


 絶句した。


(こ、子供じゃないんだから)


 褒められるから楽しくて失敗したらやりたくない、実際に仕事を放りだすなんてイヴェットには訳が分からなかった。

 物事を重大に受け止めるのは美点になるかもしれないがそれで愛人の元に入り浸りになるのはおかしいだろう。

 同時に合点もする。気弱なヘクターはまた失敗してしまうのを恐れているのだ。

 

 厳密には失敗自体ではなくその後の会議で注意される事だろうが。

 仕事を放棄した罪悪感といつかバレる恐怖に怯えながら愛人に慰めてもらっていたのだろうか。


「その事業のことなら私も知っています。初めてのことなのは皆知っているんですからそんなに重要なありませんでした」


「じゃあ最初から僕に期待してないって事だろう! 結局いてもいなくても同じだ。そんなに口を出したいならお前がやればいい!」


 急な大声に身体がすくんでしまった。

 ハアハアと肩で息をしながら怒鳴った後、ヘクターはどこかへ行ってしまった。

 おそらく愛人の元に。

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