51
ヘクター
カペル宅は田舎にある普通より少し大きい程度の民家だ。
ダーリーンとグスタフの祖父が事業に成功したものの、次の代にあたる父に商才はなかった。
荒れた父親は資産をほぼ使い果たし、グスタフとダーリーンは少し裕福な程度である。
残ったのは名前だけの会社だけだ。
それもオーダム家と婚姻を結んだ後に手放して金に変えてしまった。
オーダム家の先代当主、イヴェットの父親はダーリーンの祖父に世話になったらしく「あの人の家族なら」と結婚を承諾した。
『いいかいヘクター。今はもう私たちに金はないの。オーダム家の資産をまるごと手に入れるわよ』
『でも、そんな事できるかな』
『あの父親は寿命いくばくもない死にかけ。一人娘は貴族の娘として世間知らずに育てられてる。最初だけ優しくしてあげれば簡単よ』
『うーん……』
渋るヘクターに呆れたようにダーリーンは告げる。
『これはまたとないチャンスなんだよ。オーダム家に婿入りすればオーダム家当主はお前なんだから。後は好きに出来る。女の一人くらい言う事聞かせなさい』
結婚を控えてヘクターはイヴェットとその父親とか既に顔を合わせていた。
ハニーブロンドの髪の、繊細な顔立ちをした美少女だ。
緑色の瞳がきらきらとしている。
清楚な印象はショーケースの中の宝石を思わせた。
それがどうしようもなく拒絶されていると感じた。
そして少し話しただけでも賢いのが分かる。
(苦手だ)
こういう女は内心男を馬鹿にしているに違いない。
ヘクターはイヴェットと並ぶと自分がスクールで落ちこぼれだった劣等感を刺激されていた。
美しい上流言語も、そつがないながら機知を感じさせる受け答えも、身分だけではなく釣り合わないと思わされた。
冴えない男の自覚があるヘクターはどうしてもイヴェットの視線を受け止められなかった。
優しい言葉をかけてはいたが、ヘクターのそんな気持ちを聡いイヴェットもすぐ気づいたのだろう。
『私があなたの好みの女性ではないのだとは弁えておりますわ。ですが努力します。父の我儘で結婚することになってしまったあなたには申し訳なく思います。けれど、私はあなたと素敵な家庭を築けたらと思いますの』
柔らかく慈しみ深い言葉だった。
その完璧さがまたヘクターを傷つける。
無垢な少女を騙している罪悪感も苦しかった。
ヘクターは逃げるようにジェニファーに夢中になる。
ジェニファーとはダーリーンがヒンズリーと交流を持ったことで知り合った。
彼女は気が回らず、だらしがなく、ベッドの内外でも下品なことが好きだった。
見た目も清楚にするつもりはないようで、豊満な身体をこれでもかと見せつけるタイプだった。
(ジェニファーは俺の事を馬鹿にしない。当主の責任もない)
イヴェットも馬鹿にした事などない。
しかしヘクターにとっては何も考えず肉欲に溺れるだけのジェニファーといる方が心地よかった。
結婚後イヴェットが良い妻であろうと努力すればするほど良い夫ではない自分が責められているようだった。
浮気でもしてくれたら少しは気が楽になると思ったが、彼女にはそんな素振りは無かった。
それどころかヘクターの不貞に気付いているはずなのに何も言わない。
(もしかして夫には絶対服従なのか?)
貴族の妻ならありえる事だ。
商会の仕事も嫌になって逃げていたらイヴェットがなんとかしてくれた。
賢いとはいえ所詮は女、横領には気づいていないようだ。