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 ヘクターが出かけてから二刻ほど経った。

 ダーリーンは今日は体調が悪いと言って休んでいる。

 あれだけ酒を呷ればそうなるだろう。二日酔いだ。

 今ではありがたく思える静寂の屋敷の中で、イヴェットは仕事をしていた。


(オーダム商会の決済が滞っているわね。ヘクターがサインしていないんだわ。なぜかしら)


 報告書を読んでいく内にイヴェットの眉は寄っていく。


(それだけじゃないわ。この間の大口取引から新規の取引が上手くいっていない。それどころか以前からの継続事業がなんとか回っているだけで新規事業のことごとくの様子がおかしい)


 さらに読み進めていくとイヴェットは急に立ち上がった。

 その拍子に椅子が大きな音を立てた。


「なに、この数字は。……明日すぐにでも確認しないと」


 それは不審な数字だった。会計士も困惑しているのか字が弱々しい。

 商会長はヘクターだ。

 最近事業を引き継いだからある程度のごたごたは視野に入れていた。

 しかしこの浮いた数字は。


(ヘクター、あなた……)


 横領の可能性がある。


 その時ノックの音が響いた。


「奥様、トレイシーです」


「入って」


 書類を視えないように片付けて、一番の腹心である侍女のトレイシーを招きいれる。


「どうしたの?」


「その」


 トレイシーは昔からイヴェットについていた侍女で、よく気のつく人だった。

 イヴェットより少し背が低く、コーヒー色の髪と目が印象的である。

 この時間に尋ねてくることはあまりない。何かあったのだろうかとイヴェットは首をかしげる。


「旦那様を追いませんか?」


 使用人の間で噂になっているらしい。


「旦那様が不倫をしている」と。


 それは返ってきたヘクターの上着や香り、使用人に購入させた花などからほぼ確定事項のように語られているらしい。

 イヴェットを敬愛している使用人たちはそれを告げるかどうか悩み、イヴェット付きの侍女であるトレイシーに委ねられたらしい。


「私もどうしようか悩んだのですが、先ほどの会話を聞いてしまって」


 先ほどの会話というのは二刻前の会話の事だろう。


「情けない所を聞かせてしまったわね」


「いいえ! 奥様は悪くありません。私こそ勝手に……すみません」


 盗み聞きは褒められたものではないが、使用人ならある程度は仕方のない事だ。

 聞かれてまずい会話をしていた主人の落ち度でもある。


「これが贈り物の領収書の写しです」


 トレイシーが紙の束をイヴェットに差し出す。

 正直な所あまり見たいものではない。

 痛み出す頭を押さえながらなんとか写しに目を通す。


(結婚と恋愛は別というのは分かってはいるけれど)


「日付、父が亡くなる前からあるのね……」


 茶色の瞳が細められるヘクターの優し気な笑顔を思い出す。

 突然浮かれた様子もなかったからおそらく結婚前から不義があったのだろう。


(ずっと裏切られていたんだわ)


 恋愛感情は無くとも二人で頑張っていこうと言った事も、神への誓いも。


「あら? この数字どこかで見たような……。……ッ! トレイシー、この写しに間違いはないのね?」


「は、はい」


「……でしょうね」


 イヴェットはソファにずるずると座り込み、深く息を吐いた。


(商会の不審なお金と一致する。しかも贈り物を買う度に取り出して……あまりにもあんまり分かりやすくて眩暈がするわ)


 ヘクターは商会長の立場で金庫からお金を横領していたのだ。

 それも、トレイシーたち使用人の言葉が正しければ愛人に贈り物をするために使用人たちに用意させて。


(花、宝石、流行りのドレス)


 イヴェットには終ぞ贈られた事がないものばかりだった。

 すぐ結婚だからと婚約指輪もなく、シンプルな結婚指輪が一つだけである。


「バレるのは怖いのか、随分ちまちましてるのね。母親の豪快な使いっぷりを見習えばいいのに」


 そんな所は気の弱いヘクターらしかった。

 しかしそのせいで逆に「足跡」が多くなっている。

 使用人たちも、最初は妻であるイヴェットへの贈り物だと思っていたらしい。


(こんな間抜けに裏切られて気づかない自分もとんだ間抜けだわ)


 手の甲を目の上に置いて天を仰ぐ。

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