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ゴオン、と別れを告げる重い鐘が雨天に響く。
それを機に参列者はそれぞれ帰路に付き、後には真新しいお墓とイヴェットだけが残された。
「お父様……」
頬を伝う暖かい涙も、冷たい雨に流されてしまう。
「私は恐ろしい結婚をしてしまったのでしょうか」
しかしそれに答える人はもう誰もいない。
日数にして16日の、穏やかな結婚生活は終わったのだった。
それからの日々は今までと一変してしまった。
オーダムの屋敷にイヴェットの居場所はないかと言うように幅を利かせるダーリーンは、屋敷の主の様に振舞った。
喪が明けると連日派手なパーティーを開いては羽目を外す。
ダーリーンは使用人への態度も悪く、イヴェットはフォローに周って奔走していた。
時には使用人に交じって掃除や準備などもする。
「ここの使用人はしけてますなあ。もっと美人を雇い入れてはどうです」
指に金の指輪を沢山つけて、でっぷりと太った客がすれ違いざま使用人の尻を叩く。
「ひ、ヒイッ」
「おやめください!」
思わず手を払いのけ
「おやこれはオーダム家の……」
「イヴェットですわ、ヒンズリーさん」
「イヴェットか。良い名前だな。よく見れば顔も乳もそこそこ良い感じじゃないか。名前よりもな」
ヒンズリーと呼ばれた男は酒くさい口でガハ、と笑う。
「おい、ダーリーン、今晩はこいつを貸してくれ。それでさっきの無礼は水に流そうじゃないか」
ヒンズリー。最近良くない手段で富を築いたと噂される人物だ。
口髭をみっともなくワインで汚し、葉巻を馬鹿みたいに燻らせている。
「あら、ほほほ。妬けますわね。そんな子でよければいくらでも。処女ですから仕込んでやってくださいな」
「くっ……!」
イヴェットは耐え切れず、使用人の手を引いて自室へ駆け込んだ。
走っている間も下卑た笑いが追いかけてくるようだ。
「気持ち悪い……ッ!!」
正直な所吐きそうな気分だった。怒りと情けなさで目の前が暗くなる。
宵も深まれば社交界でもああいう事は見かけることもあるが、あんなにも品がないのは初めてだった。
「あなたも、大丈夫だった? 今日はもう表の仕事はしなくていいから」
お尻を叩かれた使用人の女の子はその言葉でボロボロと涙をこぼした。
「奥様……」
二人でわんわんと泣く。
おぞましい連中を屋敷に入れ、我が物顔で寛いでいる連中が憎かった。
「ヘクターさん、お願いです。お義母様の事を止めて下さい。勿論今までの事は感謝しています。でもこれではオーダム家は早々に干上がってしまいます。お金も、品位も」
「それをなんとかするのが君の仕事だろう」
「そんな、お義母様は私のいう事なんか」
「母が悪いっていうのか? 父を亡くした後も頑張って僕を育ててくれたんだ。少しくらい羽目を外しても仕方ないと思わないのか? それとも君はそんなに冷たい人だったのか?」
「それは……」
質問を重ねられて何から答えればいいのか一瞬混乱する。
ふと父の顔が浮かぶ。
父も母がいない分家庭教師をつけたり分からないドレスの流行りを一緒に学んだりして立派な淑女になるよう苦労してくれていたのだ。
苦悩するイヴェットをもう見ずに、ヘクターは使用人に外套を持ってこさせた。
「どこかへ行かれるのですか?」
「……仕事だよ。そんな事までいちいち言わないといけないのか」
「ですがこんな時間にですか?」
時計の針はもう20時を回っている。
商会も閉まっているしなんの仕事があるというのだろうか。
(今日だってお昼過ぎに泥酔して帰ってきたのに)
父が死んでからヘクターも変わった。
夜に出かけて昼に帰ってきて倒れるように寝てはまた夜に出かけるのだ。
(危険な方とお付き合いしてなければいいけれど)
「女のお前には分からないかもしれないが男には付き合いがあるんだ。母にも付き合いがある。それに理解を示して自ら支えようとするのが良い妻だと思っていたけどね」
「ごめんなさい……」
優しいヘクターからなじるように詰められるとイヴェットはそれ以上何も言えなかった。
イヴェットは実際、良き妻について何も知らないのだ。
だからそれが正しいと言い切られてしまうと反論が出来なかった。
「分かってくれたらいいんだよ。君はまだ物を知らないから、こういう失敗もあるだろう。だけど繰り返さなければいいんだからね」
(二度とこの話題を出すなという事かしら)
けれど、そうしたらダーリーンを止められる人は誰もいなくなる。あの狂乱はいつまで続くのだろうか。
「じゃあ出かけてくるから。今日と同じ時間に風呂を用意しておいてくれ」
「……はい。いってらっしゃい」
(私は使用人じゃないのに)
ヘクターは気が弱いが使用人には横柄だった。
それを改めるように言っても貴族として舐められては箔がつかないとかなんとか、よく分からない事を言っていた。
それが今や妻に対しても命令を下すようになっていた。
本来貴族であればそんな扱いを受ければ怒るものなのだが、イヴェットはヘクターを信じていたし何より素直だったのだ。