06.My Brother
赤髪の男性に抱えられて逃げ込んだ先はなんの変哲も無い路地裏……のように見えて地面には虚な瞳で寝込む人々ばかりの怪しげな路地裏だ。
この人達に何が有ったのだろうか?
虚な瞳と繰り返す譫言、明らかに正気じゃないってことは判るけど。
目の前のことに気を取られているとシスティナが苛立った様子で赤髪の男性を睨んだ。
「あんた、何者よ? こんな場所に連れ込んで……何を企んでるっての?」
男はシスティナの眼を純粋な瞳で真っ直ぐ見つめ、
「おお、そう怖い顔で睨むなよ。かわいい顔が台無しだぞ、我が妹よ」
彼女を妹と呼んだ。
曇りなき目。そこに嘘は感じられないけど、じゃあなぜ俺を含んで兄弟と呼んだのか。
いや、彼が俺の兄ってのは単に俺の勘違いだったのかもしれない。
「なんだ、システィナの兄だったのか」
「私に家族なんて居ないわよ。……つまり、アイツは兄を名乗る不審者、変態ってこと」
「何を言ってるんだ? お兄ちゃんの顔を忘れたのか?」
曇り無い目で心配そうにシスティナを見つめるお兄さん。
でもシスティナは彼の事は否定的で、むしろ家族は居ないっと語っている。
なんだろう? なんか彼の眼を見ていると薄寒さを感じるのはなんでだ?
でも一つだけ確認しておかなければ。
「俺の兄ってわけでもないんだな」
「なんだ弟よ、お前もお兄ちゃんを忘れたと言うのか」
俺の場合は記憶が無いから彼が兄と名乗っても違和感は無い。
それに少し前は血の繋がった兄だと思っていたが、彼の言動にはどうにも怪しさが芽生えてきている。
「アスラの兄? あんた、良かったじゃない血縁者と再会できて」
システィナが茶化すように問い掛けて来たけど、本当の事は記憶を取り戻すまで分からない。
「いや、記憶が無いからなんとも言えないんだけど」
「記憶喪失だと言うのか!? お兄ちゃんと背中を流し合った思い出も! 毎朝起こしてあげたことも! お兄ちゃん大好きっと言っていたことも! 全て忘れてしまったのか!?」
赤髪の男が言葉一つ一つに熱意と大袈裟な手振りを交えて熱弁した。
記憶喪失、彼と兄弟だと分かる証拠は無い。
本当の名前も忘れてしまってるから過去の名を呼ばれても分からないのは困った。
本当の名前が分からない? じゃあもしも彼が今とは違う名を呼んだら?
システィナにも兄と名乗る彼が答えられるどうかはこれしかない。
少し困った事になってるけど、システィナは黙り込んで男を観察している。
それはまるで何かを思い出そうとしているような。
彼女には彼に心当たりが有るのかな?
「俺の名前、知ってるんだよな?」
彼は愚問だと言わんばかりに真顔で答えた。
「アスラだろう?」
システィナに名付けられた今の名を。
「うん、違うみたいだな」
「なに? それでも兄弟である事実は変わらないが!」
「あっ! 思い出したわ!」
先程から黙って男の様子を観察していたシスティナが男に向かって叫んだ。
「あんた、国家指名手配中のアニ・ナノールじゃないっ!」
「おお! 妹よ! 漸くお兄ちゃんの名を呼んでくれたな!」
アニ・ナノール。それが赤髪の男性の名前らしい。
それは良いけど、彼は一体何を犯してしまったのだろうか?
「えっとシスティナ……彼はなにをやらかしたの?」
「アイツはひと目気に入った歳下の子に兄を自称する変質者よ。それだけなら国家指名手配犯になんてならないけど、何年か前に大貴族の次女に兄を名乗って誘拐したことも有るのよ」
「アイツに限らずナノール家は似たようなことして一家揃って手配されてるわ」
誘拐。しかも対象は彼より歳下の子。
それは紛う事なき変質者だ。というか一家揃っててっ!?
「誘拐とは人聞きが悪い! お兄ちゃんが妹を取り返してなにが悪い!」
血縁関係なら別になにも悪くは無いけど、というかなんでアニは曇りなきま瞳で語るんだ?
というかそれがさも真実だって語る様子は何だか恐いなぁ。
「たちの悪い事にアイツは自分が兄だと信じ込んでるところよ。ナノール家の長男だからややこしいけど!」
なるほど、彼から感じる薄寒さの正体は危ない気配から来るものだったのか!
それはそれで恐いんだけど!?
どうしよう、事態が全く好転してないな。
まだシスティナからはここのルールも聴いて無いのに。
「あのぉ〜俺とシスティナはこれから大事な用事が有るんで帰って良いかな?」
「何処に帰ると言うんだ? 2人が帰る場所はお兄ちゃんの部屋だぞっ」
ウィンクされながら言われても悪寒しかしないよ。
それにもうシスティナは短剣を抜刀してるし、いつでも斬りかかる勢いだ。
「システィナ落ち着いて」
「私は極めて冷静よ。アイツは気絶か警備兵に突き出すかしない限り付き纏うわよ」
警備兵に突き出すのも手では有る。
ただちょっと待って欲しい。
アニの首には物騒なチョーカーが無い。まだ彼が一度も警備兵や鎮圧部隊に捕まった事がない証拠だ。
「えっとさ、システィナ。思い切って協力関係を結ぶってのはどうかな?」
「確かに中枢の監獄街--投獄城に侵入した所で私達は古代遺物をどうにかしない限り罪王に爆破されるがオチね」
「それでもアイツとは組めないわ。組めない理由が有るのよ」
爆破されない戦力を手放す程の理由って一体なんだ?
「それってどんな?」
「アイツが攫った人達は全員行方不明になってるのよ」
「……ヤバい人じゃん!」
「こら! お兄ちゃんに指差すんじゃありません」
「連れって行った兄弟達はどうしたんだよ」
「愚問だな弟よ、みんなお兄ちゃんの家で幸せに生活してるよ。なんの不自由も無くな」
アニが言ってる事は到底信じられない。
彼の今でも澄んだ眼が疑うには充分だからだ。
「嘘ね。盗賊ギルドの調べじゃあ、あんたの拠点から誘拐された人達の死体が発見されてるのよ……しかも壁に埋め込まれる形でね」
どうやら俺とシスティナはとんでもない凶悪犯に連れて来られてしまったらしい。
それに周りには虚な瞳で地面に横たわって譫言を繰り返す人達ばかり。
彼が真っ直ぐこの路地裏に来たってことは此処が今の拠点ってことなのか?
「じゃあ此処で倒れている人達は?」
「それはアイツとは無関係よ。罪人都市に入り込んだ禁薬が原因ね」
禁薬。聴いた事もない単語だけど、少なくとも彼らの様子を見るに危険な代物だってことは理解が及ぶ。
「やれやれ、北と南も酷い事をするよな。罪人都市を混乱させたいがために指名手配中の凶悪犯や死の商人……魔人の復活を目論む連中まで送り込むなんてさ」
度々システィナが口にする政治絡みの連中。
気になるけど、今は目の前の危険人物に集中しなきゃ。
「あんたもどうせ北と政治的取引でもしてるじゃないの?」
「ハズレだよ妹よ」
「妹って呼ぶな!」
「まあ落ち着きなさい。お兄ちゃんは捕まった弟達の解放に来たんだ」
目的は中枢に侵入するところまでは一緒だけど、こっちは囚人を解放する気は無い。
ふと視線を感じ、表通りの方に視線を向けるとヒトツメオオコウモリが俺達を凝視している。
使い魔を通して罪王グレファスにこの場所が知られた。時期に警備隊や鎮圧部隊も此処に到着する。
それに下手な行動をすればチョーカーが爆破されてしまう。
アニのお陰で鎮圧部隊から逃げる事が出来たが、それ以上に彼と行動する危険性の方が高いな。
俺はアニの背後に移動する。
アニは俺の行動に特に疑問も抱かず、ただ薄気味悪い笑みを浮かべているだけだ。
本能から拒否感がするけどそんな彼の腰に手を回す。
「はっはっはっ! 甘え坊な弟だな!」
アニの注意が俺に向いた瞬間、システィナが彼の首に短剣を鋭く振り抜き刃がアニの首にめり込む!
「ぐはっ……こ、れも……妹の愛ある、一撃っ!」
ゾッとする言葉を発しながらアニは地面に倒れ込んだ。
ふうっと一息吐くシスティナに俺は疑問がいっぱいだった。
なぜ斬るための筈の刃が首にめり込む程度で済んだのか。
それにシスティナには相手を、殺気のようなものが感じられなかった。
「えっとさ、その短剣は斬れないの?」
彼女の短剣に視線を向けながら質問すると、システィナは短剣を指で回しながら笑みを浮かべた。
「他人から盗みは働くけど殺しは趣味じゃないの。だから無闇に殺さない為に刃が丸い短剣を2本所持してるのよ」
それがシスティナの矜持。
矜持を語る彼女が無性にカッコよく見えた。
やってる事は泥棒だけど。
「そっか……じゃあこの後はどうする?」
「当然この場所から逃げるに決まってるじゃない!」
そう言って走り出すシスティナに、俺も気絶するアニを尻目に後を追う。
まだ俺達は爆死してない。いつでも爆破できるのに。
もしかして罪王は無闇に爆破しないのか?
色んな疑問と個人的な問題、罪人都市ゾンザイを取り巻く状況も気になるけど--今はシスティナに置いてかれないように走るだけで精一杯だ。