22.苦労人
一体どうしてあんなにも心優しかったネロス皇帝が変わってしまったのだろう?
こんな疑問を十七年は浮かべているが依然として答えは出ないまま。
名君から暴君に変貌した原因が分からないが、レギュラス教授がグレス皇城の研究室で何者かに殺害される少し前から様子はおかしかった。
レギュラス教授の死は皇帝陛下に仕える我々にとっても到底無視できない事件だったが、解決すべき事件調査をネロス皇帝自ら調査を禁じレノア・ヴァルグラフを解雇、スラム送りに処したのだ。
当時のレノアがレギュラス教授の子を身籠っていたにも関わらず。
しかしいくら問い掛けてもネロス皇帝は答えない。
「はぁ〜」
過去の事件に思わずため息が漏れる。
「最近ため息が多いな」
玉座に君臨しつまらそうに鼻を鳴らすネロス皇帝に頭を下がる。
「申し訳ございません陛下、最近物騒になりましたからつい物思いに耽ってしまうのです」
頭を下げながらちらりと皇帝陛下に視線を向ければ、また誰も居ない方向に邪悪な顔を向けて。
「お前もそう思うか? ……なるほどなるほど、しかし今は泳がせるべきだ」
また皇帝陛下の独り言が始まった。最初はそう多くはなかったがここ最近独り言が多くなっている。
ご乱心とは考えたくもないが、まさかそこに誰か居るのか?皇帝陛下にしか見えない誰かが。
皇帝陛下の血筋を考えれば不思議な能力を宿していても可笑しくはないが、それにしては皇帝陛下の表情は邪悪だ。
考えるだけで胃が痛くなる。また胃薬を処方して貰わなければ。
「それで貴様が物思いに耽る原因……昨晩また軍事資金が盗み出された件も関係しているか?」
それについてはかなり安心している。
決して口が裂けても言えないが、あんな血税で集め無意味な侵略行為を行う為だけの金など民に返した方が帝国のためだ。
取り繕った笑みを浮かべ答える。
「それもありますが、貴族街の被害がですね」
「ああ、その件はバロンに補填させる。軍部の調査によれば謎の閃光はバロン公爵邸から放れたものらしいからな」
確かにその報告は昨晩の内に届いているが、軍事資金を守れなかったバロン公爵を処罰するための理由付けに過ぎない。
ただ実際に貴族街を襲った謎の閃光がバロン公爵邸から放たれたとの目撃証言も多く、彼の失脚を防ぐ事は無理だ。
長らく皇帝陛下に仕えた重鎮がまた一人去ってしまう。これで何人目だろうか? いずれこのわたしも用済みになれば処罰されるのだろう。
その時は最後まで皇帝陛下を諌めれなかった咎として受け入れるが、バロン公爵邸の件は盗賊ギルドの仕業だ。
いや、あのレオスが被害を出すような命令はしないはずだが……恐らくバロン公爵が回収した聖女の遺産が今回の事件に絡んでいるのだろう。
あれだけの被害を齎す聖女の遺産など帝国内に有ってはならない。盗賊ギルドが回収したなら何処遠くへ運んで欲しいものだが。
「左様ですか、バロン公爵の後任は決まっているのですか?」
「まだだ」
珍しく決めかけている。そんな様子が見受けられるが、
「ん? ああ、そうだな……アイツに任せよう。アイツなら今度は上手くやり、ガレイストを火の海に変えてくれるだろう」
また独り言。いや、今の会話は何者かに唆されている?
だがわたしの眼には何も見えず、気配も何も感じられない。
此処でその何者かについて問えば、恐らく消される。わたしの直感が何者かの存在に関する話題は地雷なのだと告げている。
きっとレギュラス教授の死にはその何者かが絡んでいるのは明白だが、存在を認識できない状態ではやりようが無い。
今は解決の糸口を見付けるまで耐えるべきだ……果たしてわたしの胃は持つだろうか?
痛む胃を摩ると慌てた様子の近衛兵が皇帝陛下に敬礼し、
「緊急のご報告が!」
嫌な予感をひしひしと感じることを告げた。
嫌だなぁ、近衛兵が駆け付ける事態だ。きっとろくなことじゃない。
例えば軍部がわたしにも内密に極秘開発していた兵器が何者かに破壊された、徴兵した者達に洗脳教育を施し罪人都市ゾンザイ近隣で軍事演習を行わせただとか。
決まってろくな報告じゃない事はもうわたしには分かってる。
「ゲイルス広場のアルフノーラが爆破されました!」
ゲイルス広場の【アルフノーラ】といえば表向きは酒場として経営しているがその実態は盗賊ギルドの本拠地だ。
一体どこの誰が敵に回せば非常に厄介で帝国の弱味を握りまくってる腹黒サングラスを敵に回すような真似をしでかすのか。
これはきっと何かのドッキリだと信じたい。というか盗賊ギルドに手を出せば帝国がこれまで内密に依頼してきた内容が多方面に開示されてしまう。
だから有り得ないのだ。帝国軍事、犯罪ギルドが盗賊ギルドに手を出すなど。
「……聞き間違えか? アルフノーラが爆破された聞こえたのだが?」
わたしは呆然とする皇帝陛下の代わりに近衛兵に聞き返した。すると近衛兵は渇いた笑みを浮かべ、
「それが……今回功を焦った第五師団が実行したと。その際にシスティナとアイネ、2名のギルドメンバーを捕えようと失敗したとの報告も」
ただ事実を語るのみ。
「「……」」
なぜだ、どうしてそんな事が起きてしまう!?
いくら皇帝陛下に毒され戦争を望む馬鹿どもが増えているとはいえ、なぜ敵に回してはならない面倒な連中をわざわざ刺激するような真似を!?
軍事資金か! 軍事資金が毎度盗まれるから強硬に及んだのか! いや、軍人としては犯罪ギルド壊滅に動くのは正しいがっ!
ああ、ヤバい。胃が悲鳴をあげている。少し冷静になろう。
「……ギルドマスターのレオスからは?」
「そ、それが……もうすぐそこまで来てます!」
拙い。拙いぞ。これは非常に拙いことになった。
ただでさえ情報収集能力が秀でているレオスが此処に来ている。
それだけでも拙いが、盗賊ギルドという彼を繋ぎ止める場所が無くなったことは一番自由にしてならない奴を自由にしてしまったことを意味する。
おまけにレオスは一度雲隠れすると容易には見付けることも接触することも困難になる。
わたしが焦りを募らせていると扉が開かれ、邪悪な笑みを浮かべた腹黒サングラスが皇帝陛下の前に近付いて来た。
「レオス殿、許可も無く入るのは無礼ではないか?」
「失敬、生憎とスラム街で生まれ育った身、満足いく教養が得られずとんだ失礼を」
なんだこの口は。平然と嘘を吐き捨てるではないか。
何が教養が無いだ。レギュラス教授の下で学んでいただろ!
内心でレオスに対して声を荒げ、
「この度の要件は貴殿の盗賊ギルドが爆破された件で?」
なんとか冷静に本題に入る。
「幸い我が従業員に被害は出ていないが、しばらく帝都を中心に活動するのは極めて困難になるだろうなぁ」
この男のことだ。既に爆破計画を掴み盗賊ギルドメンバーを各地に分散するように仕込みも済ませていたのだろう。
それに関しては戦争阻止派のわたしも文句はない。ただレオスの所在が把握できないことは何よりも痛手だ。
「既に手を打っていると見受けるが?」
「クロウ・テルドーラ宰相、貴方の言う通りわたしは既に手を打っている。ギルドメンバーは予定通りに各地に散り、活動を始めるだろう」
「今回はわたしも計画を利用する方針で動いた。今まで請けた帝国の依頼の開示は今回ばかりはしないが、次またギルドに手を出すのなら……分かるな?」
ケルドブルク帝国に対する脅迫行為。普通なら即刻捕らえ刑を執行されてもおかしくないが、レオスが居なければ両国の戦争を止める者が減ってしまう。
それは避けたいところだが、皇帝陛下が果たして不問に処すかは分からない。
利己的な判断をしてくれればいいのだが、今の皇帝陛下は戦争に繋がることならなんでもやる。
わたしが内心で冷や汗を掻きながら皇帝陛下に視線を移す。
「……貴様の要件は理解した。いま此処で……なに? 分かったよ、此度の件は第五師団師団長の処罰及び計画実行犯の処断で手打ちにしてくれまいか?」
「……いいだろう。それで今回の件はお互いに不問ということで」
それだけ告げてレオスは足早に去ってゆく。
恐らくレオスにはまだ別の目的が有ってこの場に来たのは明白。
……確かにレオスは皇帝陛下が何者かの意見に耳を傾ける姿を目撃していた。
きっとレオスは皇帝陛下の側に居る何者かの正体を探るために……いや、これ以上の散策はレオスの身にも危険が及ぶ。
それに彼はもう一つ、レギュラス教授殺害事件の犯人を知りたいはずだ。
「皇帝陛下、事後処理ができましたのでこれで失礼させていただきます」
わたしは今回起きた一件を処理するべく将軍の下に向かう。ああ、また胃が痛むなぁ。




