20S.そっくりな人間
相変わらずスラム街の朝に吹き込む寒波が寒くて身体が震える。
荒れた古ぼけた民家と汚水が溜まった水路から放つ悪臭。
寒さと飢えに耐え切れず凍死した死体が横たわる一本道。
冷えた手に息を吐いて摩る。これでほんの少しはマシになるけど、心は寒いままだ。
「寒いわね」
首都ログレスの一角に在る掃溜めの区画、金と権力、名誉さえも失った者達が落ちる場所が此処だ。
私は此処で産まれ育ったから裕福な暮らしとは縁遠いけどみんなは違った。
スラム街のみんなは口々にこう言うのだ。優しかったネロス皇帝の統治が懐かしいと。
そんな統治された時代を知らない私達世代にとってはどうでもいい話。
スラム街は私が産まれた場所だけど特別愛着がある訳でもない。
それでも私の足は軽やかに進む。
やがて私は雪に埋もれた墓場に辿り着いた。
誰が何処に眠ってるなんてもう誰にも分からない。エリン教会の神父でさえ把握しきれない数の人数が毎年此処に埋葬される。
私にとって重要なのはこの場所、共同墓地に母さんが眠ってる事実だけ。
墓石に降り積もった雪を払い退け、懐から父さんの手記を取り出す。
「母さん、父さんは魔人の遺産を集めて研究資料にしてたみたいだけど目的は何だったの?」
母さんがまだ生前の頃、幼い私は手記を片手にそんな問い掛けを何度もした事がある。
母さんは決まって『あの人は過去に隠された謎と真実を純粋に追い求めてたのよ』と返すのだ。
確かに父さんーーレギュラス・ヴァルグラフは皇帝に仕える考古学者でその筋では有名な人だったらしい。
学者仲間達は父さんの研究内容は知っていたけど、死の真相までは誰もしなかった。
そう、誰も。父さんの下で学んでいたレオスも犯人を知らない。
誰が父さんを殺害したのか、なぜネロス皇帝はグレス皇城で起きた殺害事件に関する調査を禁じたのかさえ。
私の疑問は眠る母さんに決まって問いかける疑問だ。
だからと言って母さんが答えてくれる訳がないんだけどね。
ただ今回は質問ばかりじゃない。
「今回、やっと魔人の遺産が一つ手に入ったわ。父さんが所持していた魔人の遺産とは別だけど、これがもし本物だったら父さんが求めていた真実に近付けるんじゃないかしら?」
過去の真実を探求する。それは魔人の正体となぜ魔人に至ったかの謎に迫る研究テーマだ。
長寿種が頑なに秘匿する歴史に埋もれた真実を父さんは暴こうとして死んだ。
私の目的は魔人の遺産を集めて父さんが知りたかった真実を知ること。
それには聖女の遺産も必要になると踏んでそっちも集めてるけど、ままならないわ。
そうやっと一つ手に入ってそこで何かが判明する訳じゃない。
魔人と聖女の遺産を全て集め、そこから残った資料を照らし合わせて漸く考察ができる。
父さんの夢を叶えるのは先が長くて険しい。
「だけど漸くスタート地点に立てたってところかな……父さんは根気強かったんだね。私は、ちょっと挫けそうだよお母さん」
一度弱音を吐いて、頬を叩いて気合いを入れ直す。
私には父さんとの思い出が無いけど、母さんがずっと父さんを想っていたのは誰よりも知ってるから。
ふともう一つ報告することがあったことを思い出す。
「そうだ、私はいま1人じゃないわ。あんまり頼りにはならないけど、少し変わってて不思議な奴と一緒に行動してるからそんなに心配しなくてもいいわよ」
報告してあれだけど母さんはこれで安心できるのかな?
アスラに付いてもう少し報告しよとした時だ。背後から雪を踏み締める足音に気付いたのは。
私は背後に振り向き、眼を細めた。
アスラがカッコ付けた笑みを浮かべているからだ。
アスラはそんな笑みは浮かべないし、子犬ような笑みは彼の純粋さと優しさからくる笑顔よ。
あんたは誰?。
私は目の前の不審人物に不機嫌そうな表情を向けた。母さんへの報告を邪魔されたこと、私の前にアスラの姿で現れたからだ。
速攻張り倒してやりたいところだけど、わざわざアスラに変装して接触してるんだから何か裏が有るかもしれないわ。
ここは敢えてコイツに付き合ってやるか。
「なによ、此処はあんたが来るような場所じゃないわ」
アスラがふらっと此処に来た時に言うべき言葉を告げる。
此処の寂しさはアイツには合わない、それに私がスラム街で一人暮らししてることはあんまり教えたくない。教えたところでどうこうなる訳でもないけど、ちょっとしたプライドと意地がそうさせるんだ。
「気の向くままに歩いてたら此処に辿り着いたんだ」
実際にアスラならふらっと来ても可笑しくはないけど、この時間帯なら寝てるか鍛錬してる頃合いか。
それともアイネに捕まって買い出しに駆り出されてるかもね。
「ふーん、此処は死者が眠る共同墓地よ。話なら他でもできるわ」
「それなら今からデートしない?」
アスラなら言わない台詞ね。たぶん。
それだけ私はアスラのことを知らないんだと改めて気付く。
それが他人、しかも変装した偽者によって再認識させられたことにイラッとする。
私は胸の内に巣食う苛立ちを隠し、
「デート? そういえば色々買って貰う約束だったわね」
嘘を並べる。
別にコイツはアスラでも無いし、適当な理由で買わせてから正体を暴いても遅くない。
むしろ他者の姿の借りてデートに誘うなんて男として色々と終わってる。
そんな手合いだからこそ私の良心は痛まない。ついでに節約もできてむしろ助かる。
「そうだったかな? まあいいや、それじゃあ行こうか」
そう言ってアスラは私の手を握ろうと右手を差し出した。
差し出された手を私は無視して歩き出す。
「ほらさっさと行くわよ」
アスラを引っ張って歩くことに抵抗感は無いけど、知らない男の手を握るのは抵抗しちゃうなぁ。
アイツがそれだけ純粋で警戒する必要が無いって証拠なのかもしれないけど。
▽ ▽ ▽
街を巡って買い物して、カフェでお茶をする。側から見ればデートに見えなくもないけどこれは違う。
これはデートとは名ばかりの腹の探り合い。
どうにも彼は私がなぜアスラと行動してるのか、彼を害してるかどうか知りたかったらしい。
そんな事のためにわざわざ変装して来たと言うのか。
それを知った私は彼の周りくどいやり方に内心で呆れてしまったのだ。
理解できなくもない、それこそ私に魔術が使えて変装を可能にするなら似たような使い方をするわ。
「キミは俺のことをどう思ってるんだ? そもそも俺達の関係って」
私が沈黙してると彼はそんな事を問い掛けてくる。
「私とあんたの関係はあんたが1番理解してるじゃない」
まだ彼は私に正体を明かした訳じゃないわ。そんな奴に馬鹿正直に答えてやる義理なんてない。
「恋仲じゃないのは明白だよね。じゃあ仕事のパートナーってところかな」
彼が確認するように呟く。
パートナーという言葉は適切じゃないけど、概ね正解かな?
「だいたい合ってるわ。あんたも知っての通り盗賊は二人一組が基本よ……ただまだ私とあんたは相棒と呼べる間柄じゃないわ」
なんせ私とアスラはたった一度の依頼しか達成してない。それもアスラを試すためにレオスが用意していた依頼だ。
ただレオスは本人に伝えてはいないけど、アスラに合格を出したのも事実。
目的の物を盗み出せるか、変動する状況に対応できるかどうかをレオスは試していた。
前者はマナのおかげで混乱も生じてしまったけど、そのおかげで変動する状況に対する対応力も見せられたと思いたい。
そもそもアスラはまだ練気が扱えないけど、遭遇した雇われたはある程度一人で倒せていたわ。
その辺も含めてレオスは合格を出したと思いたいわ。
彼の問いかけから思考が外れてることに気付いた私は、取り繕った笑みを浮かべる。
「それで他に聴きたい事が無いなら私は帰るわよ」
「キミが俺を害そうとしてない事は分かったけど……こっちに来れば魔人の遺産が難なく集まると言われたら?」
どうやら彼は腹の探り合いを辞めたらしい。
私はティーカップの紅茶を飲み干して、
「他人との協力なんてごめんね。特に正体を隠して接触するような輩なんて信用できないわ。ついでに言うなら昨晩振りと言えばいいかしら」
協力の拒否と彼が昨晩戦った偽メイドだと指摘した。
彼は見抜かれてると薄々勘付いていたのか、別段驚いた様子も無くコーヒーを飲み干した。
「協力を拒まれるのは予想していたけど、いつから気付いてた?」
「最初からよ。共同墓地で出会った時からね」
「最初から、か。完璧な変装と自負してたんだけどなぁ」
外見は確かに完璧だ。ただ内面は全く違う。
何よりも細かい仕草で違いが出る。特に彼は食事の時点でもミスを犯している。
「アスラはね、小食なの。この店が出すサンドイッチ一つは彼には食べ切れない量なの」
「アスラに対する情報不足なのは認める。事実彼に関する情報は極端に少ないからなぁ」
「ふーん、あんたの茶番に付き合ってあげたんだからここの代金とアスラの情報でも置いててもらおうかな」
「それぐらいは構わないよ。たださっき極端に少ないって言ったけど……ほぼ皆無なんだ」
それはあり得ないはずだ。いくらアスラが記憶喪失でレオス達が情報収集に難儀してるとはいえ、生きてるなら何かしらの情報が残ってるはず。
「家族、恋人は愚かな出身地も?」
「アスラという個を示す名、容姿以外は全て謎に包まれてる。そんな彼を信用して共に歩めるのかな?」
それこそ関係が無い。私にとってアイツはアスラ、ただそれだけで充分だからだ。
過去の情報が未だ謎に包まれようともアイツは悪い人間じゃないのは断言できるわ。
「関係ないわ、アイツはアイツよ。記憶喪失であろうとも私には関係がないの」
「それを聴いて安心したよ」
そう言って彼はアスラの顔で穏やかに笑っていた。
「は? 察するにあんたは魔人の遺産を狙う組織、それこそ最近噂になってる組織よね? 謂わば私は邪魔な敵なのになんであんたが安心するのよ」
「アポカリプスは主人様と共に迫害された者達が集まり出来た組織だからさ」
なんて? アポカリプス……ちょっとダサいわね。
それにコイツに主人様と呼ばれる人物、それがアポカリプスの統領で間違いないわね。
ただ何者かは未だに情報が無いけど、レオスなら知ってるのかしら?
「ふーん、それじゃああんたらとは魔人の遺産を巡って競争する訳ね」
「そうなるな。ただこっちは残りの魔人の遺産の数とどんな品物なのか既に把握している」
それはレオスもまだ掴んでいない情報ね。
どうにかして引き出せないか。
「魔人の遺産ね。それなら一つは私の手元に在るわ」
「なに? という事はお互いに残り5つか」
なるほど全部で六つ存在するわけね。確かに魔人の所持品なら装飾品を含めると妥当な数かも。
にしても彼等はどうやって魔人の遺産が幾つ在るのか知ったのか。
それは気になるけど恐らく彼はさっきみたいにうっかり口を滑らせないだろう。
現にばつの悪そうな顔してるし。
それでも私は次の質問を切り出そうとした時だ、外から兵隊の騒ぎ声が響き出したのだ。
「なんとしても捜しだせ! バロン公爵に毒を盛った恩知らずのメイドを!」
「毒の後遺症で禿げたバロン公爵の仇を!」
……なんて?
私が外から聞こえた声に訝しむと彼は席を立ち上がり、
「……僕はこのまま退散させてもらう」
そのまま代金を置いて走り去った。
今はメイドの姿じゃないからバレる事はまず無いと思うけど……バロン公爵の暗殺を目論んで毒を盛った。
昨晩レオスから聴いた通りの情報ね。
ただ彼も運が悪いと言わざる負えない。何せあの現場には救護団が駆け付けていて死傷者なんて出さなかったのだから。
「ほんと、何処にでも現れるわね」
だからこそ聴きたいわ。どうして私のお父さんは助けられなかったのかを。
分かってる。聴いてもどうにもならないことだって。それでも私は……っ。
後ろ暗い感情が渦巻くと、目の前に仔犬の笑みを浮かべるアスラに不思議と後ろ暗い感情が消え去った。
というかいつの間に? それにアイネも一緒に居る。
「なに? 2人でデートでもしてた?」
「違うよ、荷物持ちとして付き合ってたんだ」
予想していたけどまさか本当になるなんて。
「そ、お疲れ様ね。大変だったでしょアイネの買い物」
「それ本人の前で聴くことかしら? だいたいシスティこそデートしてたわよね」
あれはデートじゃない。ただの腹の探り合いだ。
「デートに見えた? アスラの姿を借りた偽者が接触して来たから情報を得ようとしただけよ」
「それで何か分かったの?」
アスラは私がどうして見抜けたのか、特に興味は無いらしい。
本人に聞かれても返答に困るから別にいいけどね。
「魔人の遺産を狙う組織名、残りの魔人の遺産の数もね」
「えぇ!? それは大収穫じゃん! 流石はシスティナだね!」
ちょっとそんな尊敬な眼差しを向けられても困るなぁ。
「ふふん、もっと褒めての良いのよ」
得意気になっちゃうじゃない。
「それでシスティ、連中の組織名はアポカリプスで合ってるかしら?」
得意気になっていた私の表情は一瞬で冷め、アスラも驚いた様子でアイネを見ていた。
それりゃあそう、私がさっき手に入れた情報は既にアイネは知ってるんだもの。
「魔人の復活を目論む組織ーーアポカリプス……アポアポじゃあダメだったのかな」
あー、コイツのネーミングセンスは終わってるわぁ。
「どっちもダサいけど、もしもあんたと同じネーミングセンスの持ち主が居るなら血縁を疑った方がいいのかしら?」
「それで血縁者が見付かるなら嬉しいけど、アポアポもいいと思うんだけどなぁ」
我々はアポアポだ! これより魔人を復活させる! なんてアホみたいな名前の組織に世界を破滅させかねない魔人を復活させられたら笑えないわ。
「ともかく2人にアポカリプスの者が接触したのは間違いないわね」
「2人って、アスラにも接触してたの?」
誰に変装して接触したのか気になってアスラに視線を向ける。
「寝てる時にね。でもキミがやらない行動を取ったから偽者だって分かったんだ」
私がアスラにやらない行動? アスラには無闇矢鱈蹴らないし暴力を振るわない。
手を引っ張って歩くことは有るけど、アスラを攻撃する時は鍛錬の時ぐらいだし……私がやらない行動ってなんだろ?
私が小首を傾げるとアスラが言い淀む。それだけ言い辛いことなのね。
「まさか偽者がシスティの姿でアスラの下半身に跨るなんて大胆な行動するなんてねぇ」
「え、見てたの? 見てたんなら捕まえればいいのに」
私がアスラの下半身に跨る? 確かにアスラに限らずそんな大胆な事はしないわ。
あの偽者は根本的に変装対象に対するリサーチ不足ね。それとも今回は急遽だったから不足していた? だとしたら油断は禁物ね。
「一度は見破れたけど、次も見破れるとは限らないわね」
もしも彼が完璧に変装した対象を演じれるなら厄介なことになる。
潜在的な脅威を改めて認識した私達は対策を講じるのだった。




