14S.侵入前の休息
気絶しているアイネをベッドに寝かせ、着ていたメイド服を脱ぎ捨てる。
黒のスポーツブラと下着姿が姿見に映されため息が漏れる。
小さい、掌で覆い隠せるほど小さい胸だ。
去年よりも身長は伸びているが胸の方は依然と成長する兆しを見せない。
成長が見込めないなら諦める他にないと割り切ってはいるものの、何度も揶揄われては気にもなる。
アスラにも妙なことを吹き込まないかと警戒していたけど、若干緊張していた彼を気遣ったジェイクなりの配慮なのは理解もしているがそれ以上に人を苛立たせた!
「後でジェイクには一発お見舞いしてやろうかしら」
夜が訪れればバロン公爵邸に侵入して資金と聖女の聖剣を盗む仕事が待っている。
ジェイクを蹴り飛ばすのは帰ってからでも遅くはないわ。
私はいつもの服に着替え、ベッドから動く気配に振り向く。
「おはようと言うべきかしら?」
柔かな笑みを浮かべるアイネに私は、
「気絶して5分ぐらいだからおはようは違う気がする」
じと眼を向けていた。
アイネが使用した魔術は私には効果が無いけど、逆に未経験であることがアスラに伝わり……アスラは経験が有ると知る要因にもなった。
だからと言って別にどうこうなるわけでもないけど、アスラに恋人が居る可能性が有る以上、彼を恋人に会わせてあげたい。
私がそんな事を考えているとアイネがベッドから立ち上がる。
「彼にも効いたのは少し意外だったわね」
「そう? 顔は良いし優しい所もあるから案外モテるんじゃないかしら」
ただそれ以上に今のアスラは妙なところが多い。
傷の治りが早い、終の氷海の影響を受けて凍った箇所が損壊しなかったところも。
それでアスラは悩んでる様子だったけど、私から見たアスラは妙な奴だけど人間以外の何者でもない。
「そうねぇ、恋人が居るのか風俗通いだったか……可能性は色々とあるけど未だアスラの家族や友人、知人も名乗り出ないのよ」
そう言えば私はアスラを盗賊ギルドに誘う前にレオスに頼んでいた。
情報網を駆使して捜索願、アスラの家族等を調べて欲しいと。
成果は未だに無い。それどころかアスラの捜索願はまだ出されていないことが分かった。
「家族は居なくても恋人ぐらいは捜してると思ってたけど」
「恋人同士でも愛情が薄ければ捜索もしないわ」
「そんなもんかしらね。あんたとレオスの関係は如何なの?」
アイネが行方不明になればレオスは心配して捜すだろうか? そんな姿と態度は決して人に見せないと思うけど、あの男は切り捨てると決めたら容赦がないからなぁ。
「如何かしらね。心配してくれてると嬉しいけど」
それに関しては実際に事が起きないと判らない。
アイネが行方不明になるのは嫌だからそんな事態にならないで欲しいけど。
「ところでアスラは性格を重視してるようだけど?」
そう言えばジェイクがアスラに好みを聞いていた時にそんな事を言っていたわね。
私にとってもどうでもいいことだけど、外見で判断しないのは良い事だわ。
「性格が合わないとうまくいかないでしょ。母さんも父さんの性格が悪かったら結婚してなかったって断言してたし」
「大事な要素ではあるわね。でも珍しかったわね、その手の話題に耳を傾けないシスティが聴き耳を立ててるなんてね」
アスラは純粋で好奇心旺盛だ。それに真に受け易そうなところもある。
だからジェイクが変なことを吹き込まないか聴き耳を立てていた。
「ジェイクが変なこと吹き込まないか心配だったのよ。アスラは真に受けそうなところもあるから」
それ以外の理由は無い。
「ふーん、システィが他人を気に掛けるなんて珍しいわね」
付き合いの長いアイネにも私は冷めた人間に見えていたってこと?
愛想が良くないのは自覚してるけど、えぇ〜。
「相手がジェイクじゃなかったら給仕に専念してたわよ。というかもうあのメイド服は着ないからね」
あんなスカート丈の短いメイド服はメイド服じゃない。
メイド服とはスカート丈が長い物に限る。
「えっ!? あんなに似合ってて可愛いのにっ!?」
いくら似合っていようが、そもそもスカート自体が私の好みじゃない。
「アレはメイドへの冒涜だし、そもそも好みじゃないしあんな脅しをされなければ着なかったわ」
なぜアイネは私が酒場『憩いのひと時』で着用した給仕服を着た時の写真を持っていたのか。
腹黒サングラスが面白がって彼女に渡した可能性も捨て切れない。
「脅しだなんて人聞きの悪い。システィのかわいい姿を色んな人に見て貰いっていう姉心よ!」
アイネは私の姉貴分でもあるけど、だからと言って嫌な物は嫌だ。
ただここではっきり強気に断ってもアイネは諦めない。
付き合いが長いからこそ私は彼女の弱点を突ける!
「お姉ちゃん、私の嫌がることしないで」
眼に涙を浮かべ上目遣いで、甘えた声で訴えると。
「かわっ!? 分かったわ。次は貴女も納得する服を用意するからね」
次は普通の服が用意されることに期待しよ。
そんな事を態度に出して笑うとアイネも笑顔を浮かべる。
仕事の合間に他愛のない会話で笑い合う中、ふと私は街中で聴いた噂話を思い出す。
知り合い同士で見間違いが多発するといった内容の噂話だ。
誰かの変装による工作か情報収集の線が濃厚だけど、私とアスラは愉快犯の線を推した。
予感が拭え切れてないのは、きっと当たって欲しくない線だからね。
アイネもきっと何かを掴んでる。でもアスラに対する試験の意味合いも兼ねていた場合、彼女は普通に訊ねても話してくれないわね。
「そういえば見間違いが多発してるみたいね」
私はあくまでも噂で耳にした程を装うことにした。
「あら、噂でも聴いたのかしら?」
「酒場の常連や港の解体屋と常連、何度か耳にしたけど1日で見間違いなんて多発するもんじゃないわ」
「その話はアスラとはしたの?」
情報をアスラと共有できるか、これは私に対する試しでもあるわね。
それだけ二人は私が誰かと組んで問題ないか疑ってるってことか。
まあそう思われても仕方ないけどね。
「アスラからどう思うって聞かれたわ」
「貴女はなんて答えたの?」
「愉快犯、情報収集のための変装。後者の場合は姿を見られて都合が悪い人物の仕業って線も話たけど、私は面倒が無くていい愉快犯の線を推したわ」
「彼は貴女の考えにどう返したのかしら」
「アスラは私の考えに同意したけど、それ以上のことは分からないわ」
問答したあとアイネは顎に人差し指を置き、なるほどと呟いた。
今の受け答えははっきり言えば不合格だ。
まず噂の段階ではあるけど私とアスラはあらゆる可能性を考慮して話しておく必要があった。
特に潜入前なら周囲の些細な噂話が思わぬヒントになることもあり得るわ。
その意味では今回はバロン公爵邸に関する情報は拾えなかったけど。
私が内心で反省点を浮かべていると、
「今回はアスラも街で起きている小さな異変に関する情報を得ていたってことで及第点としておくわ」
厳しいようで甘い採点を下した。
「その小さな異変、レオスとアイネはどの程度把握してるの?」
「私は変装による情報収集と実行に向けた下準備。レオスは恐らく全部把握してるわね。変装してる者の正体やどこの所属かも」
レオスが把握して放置してるということは現状そこまで脅威にならないか……あえて放置してる可能性も有るわね。
「ふーん、アスラに対する当て馬?」
「さあ? 人の行動を完全に操ることなんてできないわ。たぶん」
レオスなら人を掌の上で踊らせ、破滅させることも可能なのよね。
実際に彼によって破滅した人物は数知れず……。
今は今晩の侵入に付いてだ。
仮にアスラに対する当て馬が居たとして、練気が扱えないアスラでは対応し切れないわね。
気絶したアスラのあの剣技なら問題無いけど、それは不確定要素が大きすぎる。
アスラが毎朝、早朝に行ってる鍛錬である程度技量が身に付いたとして……気絶時に彼の身体に刻まれた戦闘経験が発揮するとは限らない。
罪王グレファスによって気絶したアスラは死を覚悟していた。つまり気絶時のアスラは死に直面した際に起きる一種の防衛本能の可能性が高いわ。
実際に気絶したアスラを介抱してた時は、何も起こらなかったし。
それを踏まえて下見したバロン公爵邸の戦力はアスラに荷が重い。
「バロン公爵は戦力を増強してたけど、アスラには厳しいんじゃないかしら」
「アスラの実力は報告でしか把握してないけど、そろそろレックスが稽古を付けてる頃合いかしら」
普段セクハラと酒カスのレックスだけど戦闘と盗みに関しては、尊敬できる先輩なのよね。
そんな彼が稽古を付けてるなら見に行くべきね。
「地下の鍛錬室?」
「後で使うって言われてたからきっとそこだと思うわ」
私はドアを開けて地下室の鍛錬室に足を運ぶ。
▽ ▽ ▽
剣戟音が響き渡る鍛錬室でアスラとレックスが実戦形式の戦闘を行っていた。
片や練気を扱うための呼吸を意識しながら、片や息を吐くが如く練気を操り強烈な一撃を繰り出すレックス。
実力差は明白だけどアスラはレックスの呼吸からコツを掴もうとしてる。
「ふーん、けっこう熱心なのね」
「隠れて鍛錬してるぐらいだからね」
「……え、バレてたの?」
おっと今の話が聞こえたらしい。
集中力を乱したアスラを頭部にレックスが繰り出した片手斧が直撃した。
刃が削られてるとはいえ、重量からくる衝撃は相当なものなのよね。
鈍い音が響き渡り、そのままアスラは床に倒れ伏してしまう。
普通なら気絶するほどの一撃だけど、驚くべきことにアスラは瞬時に立ち上がって。
「まだまだ!」
「次は脳天かち割る勢いでやるか」
レックスがコォォォと呼吸し、体内で練られた練気を片手斧に纏う。
アレをまともに防ごうとすれば剣は間違いなく折れるわね。
うまく捌くにも圧縮した練気を纏った武器を弾くには、同じく圧縮した練気を纏わせる必要がある。
それか練気を斬る程の高次元の太刀筋でなら……でもアスラはどっちもまだ出来ない。
そもそも後者は剣聖クラスに至る過程で身に付く技量だし。
レックスはアスラに真っ直ぐ突っ込みながら片手斧を縦に振り抜く。
対するアスラは後方に飛び退くけど、それもダメ!
私が思わず叫びそうになると鍛錬室に振動が走る。
レックスが放った一撃が床を粉砕し、飛び散った破片がアスラの至る所に突き刺さる。
痛々しい姿になってもアスラはレックスに立ち向かう。
「そこだぁ!」
横薙がレックスの脇腹に向かう。
だけどアスラが放った一撃はレックスの片手斧によってあっさりと防がれてしまう。
これも無理はない。レックスは数々の実戦を経験して鍛えて来た。
それに対してアスラは記憶を失い、鍛えた経験すらも忘れてしまっている。
気絶した状態を考慮してもアスラが弱いわけじゃない。ただ相手が少し格上過ぎた。
「責めて一撃を入れる所は見たかったけれど、限界かしら」
アイネの言う通りアスラは限界が近いはず。
身体に刺さった破片から溢れる血と乱れる呼吸。
誰が見ても限界に見えるけど、アスラはそれでも直剣を構え直し乱れた呼吸を調える。
アスラはコォォォと呼吸しながら集中している。
罪人都市ゾンザイに居た時、アスラは何度も私達と同じ呼吸方法で練気の生成を試みたけど……。
アスラの額から汗が垂れ、床にぽたぽたと汗が落ちる。
体内の限界を迎えたアスラが遂に膝から崩れ落ち、
「はぁはぁっ、な、何かがまだ足りない?」
息を乱しながら倒れてしまった。
今のアスラは呼吸で体内に留めることはできてるけど、練気エネルギーの生成まで至ってない。
こればかりは自分の感覚でコツを掴むしかないのよね。
私の時もレオスから手解きを受けたけど、練気の修得は難儀したわ。
倒れたアスラに私が近付こうと歩み出すと、彼はむくりと起き上がった。
「はっ! いま意識飛んでた?」
「完全に意識飛んでたわよ。傷のことも有るし、今日の鍛錬はここまでにしておきなさい」
「えぇ〜もう少しで掴めそうなのにぃ」
この後に盗みに行くって分かってるのかしら? いや、この様子だと分かってはいるけどまだまだ鍛錬したいって感じね。
「今は仕事前よ、それにレックスは酒飲み始めてるわ」
そう肝心のレックスはもうジャッキを片手に酒を呷ってる。というか何処からジャッキを取り出したの? 収納魔石? 収納魔石にわざわざ酒が入ったジャッキを?
私の疑問を他所にレックスは、
「今日の鍛錬はここまでだ。あとは明日付き合ってやるから手当してこい」
鍛錬終了をアスラに告げた。
彼の言葉をアスラは素直に従い、
「ところでさ、俺の部屋って何処なの?」
アイネに部屋の所在を訊ねた。
「3階の私の隣室よ。案内するから着いて来なさい」
そう言ってアスラはアイネに付いてゆく。
二人が退室して手持ち無沙汰になった私は酒を呷るレックスに視線を移す。
「アスラは見込みありそ?」
「お前が連れて来たんだろ。その辺は自信を持っていいぞ、それに最初はそんなもんだろ」
誰だって最初からうまく行くわけではない。
今回の鍛錬もアスラにとって練気修得のきっかけの一つに過ぎないんだ。
「練気修得まで漕ぎ着けたら杞憂は晴れるんだけどなぁ」
この先も何が有るかは分からない。バロン公爵に雇われた連中は殺しに躊躇しないだろう。
盗賊ギルドは死と隣り合わせ、だからアスラには練気を早く修得して欲しい。
「珍しく弱気だな……いつもなら1人でも平気で突っ込むだろに」
弱気になったつもりはないけど、今は一人じゃない。
それにアスラがまだ練気を修得できないなら私が彼を守れば問題ないわ。
「別に弱気になってないわ。私がアスラを守りながら資金と聖女の聖剣を盗み出せば問題ない」
結論を出してドアを開けると背後から、
「……それ、男の前で言うなのよ? 俺を含めた男ってのは見栄っ張りで負けず嫌いだからよ」
そんな事をレックスに言われた。
なるほど、よく分からないけどアスラを揶揄う時にでも言ってみようかな。
実行前の気晴らしにはなるかもしれないわね。




