13.終の氷海
グレス皇城の裏側に位置する北区の港はブルク川と運河を行き来する漁船や交易船で賑わいでいた。
首都ログレスの北区に在るブルク湖畔に建てられた港はブルク川を通してセイズールのセイン川と通じているらしい。
システィナから事前に聞いていた知識を頭に、漁船の先端に聳え立つ螺旋状の凛々しい突起物に眼を見開いた。
「なにあの突起物! かっこいい!」
「アレは掘削漁船と言って……え、かっこいい?!」
何処からどう見てもかっこいいと思うけどシスティナにはあの良さが分からないのか。
魔道バイクを運転してるのにあの格好良さは理解できないらしい。
「あんた、私のこと馬鹿にしてる? あんたをブルク湖畔に蹴り落としてもいいのよ」
氷塊が漂うブルク湖畔に蹴り落とされたそれこそ凍死してしまいそうだ。
「それはやめて欲しいなぁ。でも掘削漁船はかっこいいと思うよ」
「まあ、ここら辺の男の子からは結構人気が有るのは確かね」
先端の掘削機で終の氷海に漂う氷塊を砕きながら海原を進む。それを想像するだけで冒険心が刺激されるけど漁師の表情からはそれが感じられない。
職業という関係、掘削機が必要とされる状況は漁師にとって冒険心どころじゃないのかもしれないな。
「仔犬のような笑みを浮かべてるけどさ、あんたの想像してるものとはちょっと違うかもしれないわよ」
システィナの呆れた声に少し考え込む。
空の虚空から発生した災害が北の海に落ちたことでケルドブルクは雪国へと変貌した。
そして北の海は終の氷海と呼ばれるように……そう呼ばれてる所以はこれから終の氷海を見ることで分かる。
「帝都ログレスは外壁で覆われてるけど、何処から終の氷海が見れるの?」
「案内するから付いて来て」
システィナに言われて付いて行く。
彼女の綺麗な銀髪が風に靡く傍ら、掘削漁船に吊るされた巨大魚に視線が移る。
凍に覆われた鱗を纏った二頭の巨大魚は一見すると輸出用に魔術で凍らせてるようにも見えるけど、豪快に全身を動かしてる所から生きたまま凍り付いてることが分かる。
不思議な魚も居るもんだなぁ。そんな関心を抱きながらシスティナの後ろを付いて歩く。
道すがら巨大魚を解体する男性と女性の会話が聞こえる。
「おや、今日は上等なコオリオオマグロとコオリオオサケが入ってるよ。今なら脂がたっぷり乗った赤身をお安くするよ」
「あら、どうしようかな? ……そういえば解体屋、あなたスラム街で何してたの」
「へ? お嬢さん、冗談はよしてくれよ。俺っちはここでコオリオオマグロとコオリオオサケを解体してたんだ。だいたいあんな掃溜めに行って何しろってんだい」
「そうなの? そういえば少し声が変だったかも」
不思議そうにしながら赤身を買ってゆく女性とこれまた不思議そうに首を傾げる解体屋の男性。
似た話を鍛冶屋でも聴いたけど、何度も聴くとなると単なる見間違いで収まる話しじゃないなぁ。
「システィナはさっきの話どう思う?」
「偶然にしては奇妙ね。誰かが変装してるのかしら」
「そうする理由は何だろうね」
「考えられるとするなら愉快犯か情報収集、それか指名手配犯か人に姿を見られると都合が悪い奴の変装かしら」
なるほど、確かに変装なら見間違いが起きるのも頷けるな。
問題はその目的だ。愉快犯ならまだ迷惑な奴程度に終わるけど情報収集は、ガレスト公国の工作員を疑われる。
指名手配犯と人に姿を見られると都合が悪い奴は、それこそ軍隊か警察が対応すべきだ。
でも後者の人物が魔人と聖女の遺産を目的に動いてる組織の者だったら潜在的競争相手に……うん、考え過ぎかな。
「根拠は皆無だけど愉快犯の線を押すよ」
「そっちの方が何事も面倒が無くていいからねぇ。私も愉快犯の線を押すわ」
そんな暢気な会話をしながら高い外壁の梯子を登る。
外壁の上に到着して吹き込む寒波に身が震える。
思わず海の方向に振り向けば、有り得ない光景が広がっていた。
「これはっ」
一面に広がる凍て付いた凍の大地。それが海だったと辛うじて認識出来たのは凍り付いた高波が在るからそだ。
確かに想像以上に驚くし絶景とも言える光景だけど、凍の大地の中心に斜めに突き刺さったかの如く氷塊の柱が聳え立っている。
「驚いたでしょ? これがケルドブルク帝国の北東西に広がる海よ」
「これを海なんて呼べないよ」
「でしょうね。私も海は見たこと無いわ……それに終の氷海は掘削漁船に搭載されてる保温魔道機無しじゃ即凍死、凍て付いた身体は終の氷海に取り込まれるわ」
「というか外壁から一歩でもはみ出れば即凍結よ」
それだけ終の氷海の気温が低いのか。
「即凍死……それに氷海に取り込まれるって死体が大地に還るように?」
「終の氷海の一部になるって意味じゃ同じかもね」
昼間なのに北の空に見えるオーロラ、街中ではオーロラなんて見えなかったのに終の氷海の空にはオーロラが見えてる。
ただ雪原で見た黒兎も鳥の姿も終の氷海では見る影もない。
「一見すると生物は生きられないように見えるけど」
単に広過ぎて見落としてるかもしれない。そんな期待を込めてシスティナに問うと現実を突き付けられる。
「終の氷海の上には生物は住めないわ。でも氷海を覆う分厚い氷塊の下には環境に適応した魚が居るの。あんたも此処に来る途中で見たでしょ?」
環境に適応した魚。道中で見た魚は二頭しかし居ない。
凍に覆われた鱗を持つオオコオリマグロとオオコオリサケがそうなんだ。
「オオコオリマグロとオオコオリサケだね」
「そっ。他にも色々と居るけど交易の主流は主にその二頭ね。身も凍ってるから解凍に時間がかかる関係で鮮度を保ったままセイズールに輸出できるの」
「なるほど、それを獲るための掘削漁船なんだ」
「えぇ。だけど一度氷塊に穴を開けても1時間も経たない内に閉じるから漁の事故も多いわ」
開けた穴に落ちたら凍死してしまうけど、奇跡的に凍死を逃れても一時間以内に穴から救出されなければどのみち助からない。
思わず穴に向かって伸ばした手が閉じた穴に阻まれる光景を想像してしまった。
いや、どのみち掘削漁船から転落してしまったら助からないのかもしれない。
システィナが見詰める視線の先、漁を行う掘削漁船に視線を向ける。
掘削機で開けられた穴に剛糸が伸ばされる中、船体が何かに揺らされ船員の一人が船から投げ出されてしまう。
「あっ!」
思わず叫んで届く筈のない距離にも関わらず手を伸ばしてしまう。
外壁から終の氷海に指先が出た瞬間、指先がパキパキと凍り始める!
一瞬の激痛と抜け落ちる指先の感覚。拙い! そう思った時には俺の身体が強引に引っ張られ、勢い余って地面に尻を打ち付けた。
「危ないわね! さっきの話しを聴いてなかったの!?」
システィナの怒声に声を失う。
そして彼女の背後、掘削漁船から投げ出され終の氷海に落ちた船員の……いや、船員だった氷像が此処からはっきりと見えてしまった。
外壁からわずかでもはみ出れば瞬く間に凍ってしまう。
生物の生を終わらせてしまう意味でも、正に終の氷海と呼ばれる所以だ。
それを身を持って体感したこと、無謀な行動に出た俺を怒るシスティナによって嫌でも想像してしまう。
もしかしたら世界はどん詰まりなのかもしれないと。
いや、その前に心配をかけた彼女に謝らなければ。
「ごめん」
「はぁ〜あんたが咄嗟に手を伸ばしたのは助けたいから?」
呆れたため息と一緒に問われた疑問。
それは俺自身でも分からない。
危ないと思った瞬間には身体がもう動いて手を伸ばしていた。
「危ないと思ったら動いてたんだ」
「人は無意識や咄嗟に行動に出ることがあるけど、あんたは最悪のタイミングで出たわね……いえ、私が誘わなければあんたが指を失うことはことには……」
顔を伏せてそんな事を。
ちょっと待って欲しい。凍った指先はもう元通りだし、痛みも無いどころか正常に動く。
なのにシスティナはどうして指を失ったと勘違いしてるんだろう?
「システィナ? 指なら無事だけど」
そう声をかけるとシスティナは顔を見上げて俺の指先に視線を向けては眼を見開く。
「は? えっ!?」
「えっと外壁の内側は比較的暖かいから凍が溶けたってことかな」
「普通は凍った指が崩れるんだけど……どいうこと?」
「キミに分からないことを聞かれても分からないんだけど」
「自分のことなのに……あー、記憶喪失だから分からないのも無理ないわね」
システィナの驚きようと口振から察するに俺の状態は異常らしい。
外壁の外に誤ってはみ出れば終の氷海によって凍結してしまう。
さっきのように外壁の内側に引き戻されれば凍死は逃れるが、凍った一部は崩れてしまうのが正常と。
それは俺の身体が普通とは違うことを意味してる? 普通の人間じゃない化物?
それとも人工的に造られた人を模した人造人間?
自分が何者かさえ分からない。この疑問から抜け出せる答えはどこに?
「アスラ、考え事は後にしてギルドに帰るわよ」
「え? もう帰るの」
「さっき事故も有るし……それにあんた、酷い顔色よ」
彼女に心配させたくない。特に仕事の前で足を引っ張ることだけはしたくない。
俺は心配そうな表情を浮かべるシスティナに取り繕った笑みを浮かべた。
「仕事の前だし戻って休むかな」
「その方がいいわ。アイネの事だからもう部屋も用意してるはずだし」
心に蟠りが巣食ってしまったけど、終の氷海を見れたのはケルドブルク帝国が抱える災害を知る意味でも意義があった。
「システィナ、今日は買い物とか付き合ってくれてありがとね」
「あんたが楽しめたなら別にいいわよ」
嫌なこともあったけど色んな光景が見れて楽しかったな。
俺は楽しかったと笑って伝えるとシスティナは歩みを早めてしまった。なぜ?




