13.休憩とおにぎり
昼飯を食ってこいと言われて酒場の裏手にある樽に腰掛ける。
人通りも人の影もない静かな場所。おまけに風通しも良いから休憩にはもってこいかもしれない。
ふぅと息を吐けば肩の力が抜けたのがわかる。それだけ無意識に緊張していたんだ。
「午後も頑張らないとな」
「頑張るのもけっこうだけど目的を忘れてないでしょうね?」
システィナの声に顔を上げると目の前には、片手におにぎりの皿を乗せた彼女が居た。
「ちゃんと覚えてるよ。けど情報収集は彼らの担当だったよね?」
「酒場に出てる荒くれ者は4人、カウンターで酒を呑む客相手にはあんたとヨランが適任でしょ」
確かにバーテンダーが目の前に居て別の従業員が話を聴くのは変に思われる。
「酒の力で口を割らせるか……じゃあ酒場を訪れたデカいヒトツメオオコウモリが居たよね?」
「えぇ、あの抱き心地……かわ……」
言葉を濁すシスティナに思わず訝しんでしまう。
ヒトツメオオコウモリはかわいい部類に入るけど、どうして言葉わ濁すのかがわからない。
それとも動物や使い魔をかわいいと思うのは彼女にとって変なことなのかな?
別に変でもないし恥ずかしがることでも、ましてや隠す事でもないよ。ヒトツメオオコウモリがかわいいのは紛れもない事実だし。
「最初は不思議な生物に見えたけど、眼はくりっとしててまんまるまでかわいいよね。特に背中の羽根でパタパタ飛ぶ姿なんかさ」
厄介な監視としてじゃなくて純粋に生物としてかわいいと述べるとシスティナの表情が明るく弾んだ!
「分かってるじゃない! 犬猫もかわいいけどヒトツメオオコウモリには彼らには無い可愛さを備えてることを!」
可愛さを語るシスティナは年相応の少女らしくて、先程まで見せていた凛とした表情が嘘のようだ。
「それでさっきのデカいヒトツメオオコウモリは着ぐるみで、なんでも罰で着てるそうなんだ」
そう告げた瞬間、システィナの表情は凛とした表情に戻る。
「罰で着ぐるみねぇ……何をしたのか具体的なことは?」
「さあ? そこまでは何も言ってなかったけど、でも後悔してるのは感じたよ」
俺にはあの背中は演技には見えず、後悔してなければあんな背中を見せないだろう。
「そう……看守の中で何かをやらかして着ぐるみを。街中で見かけることがあっても中身は看守ってことよね」
「油断して大事なことを話さないようにしないとなぁ」
たまに独り言や愚痴を漏らしてしまうことも有る。それが着ぐるみを着た看守の前だったら全員が危険に曝される。
酒場に訪れる客も情報を落とした看守もみんなの立場が一瞬で最悪の方向に行きかねない。
「監視と着ぐるみ、少し面倒ね。私の方は大した収穫は無かったわね」
まだ始まったばかり、だからそう気負う必要はないと思う。
それに収穫といえばシスティナはサムライに口説かれたのも収穫の一つかもしれない。
「サムライとの関係は収穫に入らない?」
「タイプじゃないわ。それに人斬りって言っても数多く居る内の誰なのか分からないじゃあ警戒しようがない」
「そうかなあ? 人斬りが罪人都市にわざわざ来る目的の方が気にならない?」
「考えられるとしたら囚人を技の試し斬りに使うか、誰かに頼まれて罪王を狙ってるかもね」
政治絡みの人物が雇って侵入させた線も有るってことか。
それにしてもシスティナはそれだけの情報でそこまで考えたのか。
「後者なら俺達に接触する可能性も有るのか」
「断言できないわね。極東の人斬りは隠密に長けた技を使えるって認識しておいた方がいいわ」
「隠密かぁ、それも剣術の一種ってこと?」
「歩術や呪術なんかが一般的ね……ま、私も技の一つで使えるけど」
「え? その短剣のとっておきといいすごく気になるんだけど」
「手札の一つはあんたにも明かせないわ」
それはいずれ敵対することも視野に入れているのだろうか。
やっぱりシスティナは先々のことを考えて行動してる。
ヴェルト達からティアラを盗んだ事を抜きにしてもだ。
思わず感心して彼女を見ると、
「一先ずサムライと人斬りの件はアイツらに任せて食べよ」
皿に乗った白いおにぎりを差し出した。
それは酒場で見た物よりも小さくてどこか歪な形をしたおにぎりだ。
作り手一つで形も様々なんだなぁ。なんて思いながらおにぎりを一つ手に取って齧り付く。
ふっくらとした米の食感と程良い塩味、そして噛めば噛むほど米の伝わる隠し味に気付いた。
これはなんの味だろう? あっさりとしてて米と妙に合う味は?
「どうかしら?」
味に付いて考えているとシスティナに問いかけられた。
「たぶんはじめて食べるんだと思うけど美味しいよ」
素直に答えるとシスティナが笑った。
「そう、はじめて握ったんだけど成功して良かったわ」
はじめて握ったおにぎりか。その言葉に特別な意味はきっと無いのだろう。
「サムライに握ってあげなかったの?」
彼女が握らなかったことはなんとなく分かるが、それでも敢えて話のネタとして聞かずにはいられなかった。
真相は厨房に居た者達にしかわからないこともあるからだ。
「握らなかったわ」
隠すことも誤魔化すこともせずシスティナは正直に答えた。
「……サムライは美味しそうに食べてたね」
「誰が握っても結果的には同じでしょ。まあ美少女の握ったなんて要らない注文をしなければ握ったんだけどね」
「不快だった?」
「あんたは分からないでしょうけど、そう言われて握ったおにぎりを食べられると思うと悪寒がするのよ」
確かにシスティナと同じ立場だったら悪寒の一つも感じてしまうかも。
結果的にサムライは美味しいおにぎりを食べられたんだ。それに誰も喋らなければ彼に真相が伝わることはない。
俺は手元に残ったおにぎりの残りを食べ切り、
「ところでこの塩とは別の味の正体が気になるんだけど」
システィナに隠し味に付いて訊ねる。
「炊く時におかかとダシを入れてるそうよ。隠し味の正体はきっとそれね」
「奥が深いって聴いたけど……炊く時にも工夫が必要なのか」
「普通に食べる分には塩だけでも良いと思うけど……あんたにとって少し小さかった?」
システィナの手は小さい、その手で握られるおにぎりも小さくなるのは必然と言える。
「あんまりお腹も空いてないからね、丁度いいぐらいだよ」
こんなに美味しいおにぎりでも依然として食欲が湧かない。
吐き気や食べることに対して拒否感を感じないのは責めての救いかも。
「……あんたは小食ね」
また何かを考え込む眼差しでそんな事を口にした。
彼女のあの眼は俺に対して観察する時に出る眼なのかも。
聞くべきか? 俺はそんなに変なのか、彼女にとって疑わずにはいられないのかを。
そんな迷いが表情に出ていたのかシスティナはおにぎりを一つ食してから、
「あんたの完成された筋肉を考慮しても食事量は足りないのよ。だから何らかの病気に侵されてる線を疑ってるの」
観察から得た自身の考えを話してくれた。
話てもらえるだけでもこっちは幾分か気楽になれる。
それにしても記憶喪失とは別に何かの病気を患ってる可能性も有るのか。
「病気かぁ。小食になる病気ってある?」
「さあ? 筋肉と食事量が必ずしも結び付くとは言い難いしね……ごめん、たぶん私の考え過ぎなんだわ」
「いやいいよ、俺を客観視すると記憶喪失の正体不明な男……疑うのも考え過ぎてしまうのも分かるよ」
「……あんたが一番不安よね」
確かに不安だ。自分が誰か分からないことも一人にされた時を考えると不安でしかたない。
昨日もシスティナに追い出されないように、足手纏いとして捨てられないようにと鍛錬にもーーそうじゃない、鍛錬は不安を紛らわせるのと同時に楽しかったんだ。
自分のできることが少しずつ増えていく感覚が。
「不安だけど焦ってもしょうがないからね……それに今は首の爆弾チョーカーの方が不安だ」
自身の不安感や鍛錬の時に芽生えた楽しさを誤魔化すように首の爆弾チョーカーに触れる。
冷たくて無機質な感触。これがいつ爆発するとも分からないのは恐怖を呷るには充分だ。
「……あんたの記憶の手掛かりは私が提示した協力の条件。それは覚えてる?」
正直に言えば忘れていた。
少しだけ視線を逸らす。システィナの呆れた視線が突き刺さる。
記憶なんてそのうち思い出すし、なんなら服と名付けの恩返しを優先してた。
「はぁ〜不安を感じるなら我慢しない方がいいわ。まあ私も酒場であんたの事や記憶屋に関して情報収集のついでに訊ねるわ」
あくまでもついでだと強調してるけど、システィナ側は俺に提示した協力の条件を果たす義理は薄い。
それとも案外義理堅いのかな?
「てっきりその内捨てられる覚悟だったよ」
「あんたとは罪人都市で別れるわよ? それとも私に着いて来たいの?」
「うーん、キミにこれ以上迷惑はかけられないよ。ほら本来なら1000万ゴールド稼いでこの都市から出る予定だったんでしょ?」
「まあその予定だったけど……いずれにせよ私は投獄城の侵入を計画してたわよ。あそこには魔人の遺産が在るって噂だし」
そういえばシスティナの目的は爆弾チョーカーを外す以外にも有ったんだ。
「その魔人の遺産ってなんなの?」
「魔人が使っていた所持品だけとしか分からないわ……ただ歴史から抹消されるほどの魔人の所持品ってだけで心が躍るじゃない」
システィナは笑顔でそんな事を言った。
だけどその笑顔には嘘が含まれてるように思えてならない。
少なくともシスティナはヴェルトに問われた際に少し眼を伏せていたーー誰かを想い、寂しさを隠すような表情を。
単に俺の勘違いかもしれないけど、
「本当はそれ以外にも有るんじゃないの? 盗むにしてもリスクが高すぎるよ」
少し踏み込むとシスティナは息を吐く。
「あんたは意外と人の事を見てるのね」
「キミもそうでしょ? この場合はお互い様だと思うけど」
「……そうね、だけどまだあんたを信用できない。その意味は分かるよね?」
彼女と出会ってたったの二日だ。
短い期間で自身の秘密や目的を打ち明けるほど信頼関係を構築できたとは到底思えない。
それに魔人の遺産を狙うことに彼女なりの理由がある。今はそれで充分だ。
「うん、理由が有るならそれで充分だよ……それに俺は魔人ってのをよく知らないしね」
「聖女エリンに討伐されたこと以外は私もよく知らないわよ。詳細を知ってるのは当時から生きてる長寿種ぐらいじゃないかしら……聴いても頑なに口を閉ざすけど」
歴史を学ぶことは良いことだけど、長寿種は魔人について語ろうとしない。
それだけ魔人は恐ろしくて忌むべき存在ってことなのか。
浅葱色の髪と頬の紋章も長寿種には嫌われるらしいってことは魔人は浅葱色の髪で頬に紋章が有った?
でも聖女エリンと呼ばれる女性が討伐したなら功績を讃えて後世に語り継ぐとも思うけど。
「後世に語り継げない魔人ってそれだけヤバい奴なのかな」
「エルフ達がこぞって歴史から抹消し、魔人を調べる同族や親族を追放処分に処すほどだからねぇ」
それだけの罪人ってことはなんとなく理解できる。
「聖女エリンについては?」
「そっちは銅像が建てられるほど有名人よ。なんでも慈愛に富んだ心優しい人物だったとか……まあ聖女の遺産も私の目的だけどね」
「目的が多いね」
「人は目的が多いほど燃えるのよ」
おお、熱い根性論に感じるけど嫌いじゃない! むしろ好きだ!
「いいね、目的を叶えるためにも頑張ろうか」
「当然よ。まだこの服装に慣れないけど妥協はしないわ」
そう言えばシスティナは盗撮されてたらしいけど、そこは大丈夫なのかな?
男の俺が聞くのも憚れるけど嫌な事を我慢させるのも気が引ける。
「そういえば盗撮ってのされてたけど……平気なわけないよね」
システィナに思い切って聞くと彼女は俺の心配に反して澄まし顔で口元を緩めた。
いや、むしろ盗撮した看守を嘲笑うように胸を張って。
「ふっ、実はねぇ? このスカートには魔術が込められてるのよ。内側を覗けば暗黒が広がって見える魔術が下着を隠して盗撮を防ぐの」
「魔術ってそんなこともできるの!?」
「まあヴェルトが予見して仕込んでいたらしいけどね」
ボスぅ〜あなたが荒くれ者に慕われる理由の一つが分かった気がするよ!
「……ヴェルトの好感度が上がってるのは気のせい?」
「上がらない方がおかしくない?」
「給仕服をズボンに替えれば済むことでしょ」
それを言われてしまえばそうなんだけど、でも結果的に魔術で下着が見えないならかわいい方が良いんじゃ?
俺の疑問とは裏腹にシスティナは皿のおにぎりを食べ切り、
「さ、休憩は終わりよ。あんたもバーテンダー頑張りなさい……割ったグラスの弁償代も含めてね」
忘れかけていた現実を突き付けたシスティナはいい笑顔で先に戻ってゆく。
俺も気を取り直してカウンターに戻るのだった。




