10.システィナの視線
寝巻きに着替えてベッドに寝転がる。
まだ慣れない天井と隣室のシャワー室から聴こえるシャワーの音。
鍛錬を切り上げたアスラがシャワーを浴びてるけど、そういえば彼は物珍しそうにノズルや埋め込まれた魔石を眺めてたわね。
「まさかシャワーの使い方を知らないなんて」
アスラには矛盾がある。記憶喪失が原因なのは明白だけど、彼には見て理解してるものと見ても分からないものが在る。
直剣の用途を理解し、あの酷い直剣が私の髪に傷付ける事を理解していた。
それは少し考えれば分かることだけど、記憶喪失が知識に影響を与えてるなら剣の扱い方なんて分からないはず。
剣の扱い方を理解してる反面コンクリートや道路、魔道車や魔道バイクに関しては知らない様子で興味津々な様子を見せていたわね。
田舎や大陸を移動し続ける山岳竜街では流行や技術に遅れが出る。彼がそれに該当する田舎出身なら知らないと答えても違和感はない。
少なくともシャワー室の使い方を聞かれるまで私は彼が田舎出身だと思っていた。
いくら田舎でも生活に魔石利用が主流のご時世でシャワーを知らないのは無理がある。
それとも記憶喪失は常識まで忘れてしまうのかな?
いや、彼を疑っても仕方ないことは分かっている。
「ふぅ、大変な奴を拾ったわね」
おかしなアスラ、三日も食事を取らず元気に動き回れるほどの体力と異常さ。
夕飯として食べた食事も育ち盛りの男性にとってかなり少ない量だ。
なにせ食パン一枚とドライフルーツ一つだけはいくらなんでも足りない。
私は馴れてるから少ない食糧でも平気だけどーーアスラは空腹なんて見せずに鍛錬を続けていたわね。
元々小食だとしてもあの鍛え抜かれた肉体は完成しないし維持することも難しい。
それに最初こそは剣に振り回されろくに扱えていなかったが、
「確実に剣を扱えるようになってるわね」
私がシャワー室から戻るとアスラはまともに剣を扱えるようになっていた。まだ戦闘には不十分だけど。
その辺は推測通りで驚くことはなかったけど。
鍛錬中の彼を観察して分かったこともある。
今のアスラは元々剣を扱えていたが記憶喪失が原因で知識と身体能力に致命的な誤差が生じてる状態だ。
だから歯車のように知識と身体能力が噛み合わずたたらを踏む。転んでいたのも恐らくそれが原因だ。
身体が覚えている動きも今のアスラでは意識がある限り引き出せない。
ただ彼には記憶を思い出した様子はない。むしろ私に捨てられるじゃないか? そんな不安で焦りさえ見せていた。
そう簡単に人を捨てるなんてことはしないのに。
「私って冷たい女に見えるのかな?」
だとしたら心外だ。仔犬みたいな表情を見せられたらなおさら良心が痛む。
それに記憶の手掛かりに関しても私はまだ彼になにも行動していない。
まだ行動していない段階で彼を見限るのは早計だ。
だけどシャワーを覗くようなら見限って追い出してたのは間違いない。
「一応忠告したけど……特に驚いた様子や下心も見せなかったわね」
ギルドマスターは男と協力関係を結ぶなら気を付けろって言っていたけど、少しあからさま過ぎたかしら?
変に疑い過ぎても行動に支障が出るわね。
自分の態度に気をつけるべきだと思案しているとシャワー室のドアが開く。
さっぱりした様子で浮かべる満面の笑みは仔犬を彷彿とさせるものだった。
「……あんた、いい笑顔してるわね」
「そうかな? うーん、すっきりしたからそうかも」
確かに三日もシャワーを浴びてないとなると考えただけで気持ち悪い。
雨が降れば最低でも身体の汚れは落とせるけど、占師の予報通りなら罪人都市ザイレムは一週間は晴れが続く。
雨が降ればヒトツメオオコウモリの行動も鈍るが期待はできない。
ソファに座ったアスラが私の方に顔を向けながら、
「それで明日の予定は?」
寝巻きに対して興味がないそれとも関心が薄いのか、明日の事を尋ねた。
寝巻き一つに感想を述べられても私としてとも反応に困るから別に良いんだけどね。
「明日は予定通りに協力者探しよ。二手に別れることも考えたけど、あんたはまだここに馴れてないしね」
それに私だと交渉が拗れるかもしれない。いや、荒くれ者集団との交渉はアスラの協力が必要不可欠だ。
「協力者探しかぁ〜目星を付けてる荒くれ者達とは別に仲間に引き込む基準は?」
「囚人は論外として……基準は私と同じく不法侵入した連中よ。でも誰でも良いってわけにはいかないわ」
「えっと戦える人?」
確かに投獄城に侵入するなら戦闘可能な人員も好ましいが、優先すべきは情報収集能力に秀でた人材だ。
特に例の噂の真相を確かめるためにも絶対必要になる。
「内部の構造図、人員の配置を正確に入手できる人材が好ましいわね」
「あー、潜入するにもどこに行けばいいか分からないんじゃ意味ないもんなぁ」
納得して理解を示すアスラに私は頷いた。
「理解が速くて助かるわ……まあ気を付けるべき点はそういう連中に限って政府側の人間ってことね」
「政府側の目的って……」
「昼に話したけど、北と南はすぐに侵攻を開始したい。だけど両国の軍隊を通過させない罪王グレファスが邪魔なのよ」
ギルドマスターからも口酸っぱく警戒しておけって言われたわね。
脳裏にギルドマスターの言葉が浮かぶ。
『ふん、罪王グレファスは戦争抑止の要の一つ。魔人の遺産を求めて侵入するのは君の自由だがね……宝に気を捉え過ぎて誤ちを犯さぬよう気をつけたまえ』
皮肉がこもった笑み……思い出すだけでもムカつくわね。
そんなことは言われなくても理解してるのに。まだアイツにとって私は子供ってことなの?
「……サングラスの一つや二つ割ってやろうかしら?」
「えっ? なに突然」
「なんでもないわ。話を戻すけど政府関係者の目的は色々あるけどもっとも優先すべきは罪王の命よ」
二国が罪王グレファスの暗殺を目論んでいる。そう告げると彼は喉を鳴らして息を吐いた。
「罪人都市を管理してる王様を暗殺なんて……ろくでもないね」
「罪王って呼ばれてるけど、別にアイツは王じゃないわよ? まあ政府関係者を引き渡すのも手ではあるけど、私の立場上それはできないのよね」
「盗賊って犯罪者だから?」
「違うわよ。私が所属する盗賊ギルドは色んな国や勢力から盗みの依頼を請負ってるから盗み以外で政府を敵に回せないの」
盗賊ギルドなんて犯罪ギルドが今日まで活動を続けてられる理由は、犯罪ギルドでありながら各国にとって不都合な依頼を請負っている事情も関係している。
各国が盗賊ギルドを潰さないのは、属する全員を指名手配して誰か一人でも捕縛すれば何処の国の誰が何を対象に依頼を出したのかも発覚してしまうからだ。
それ以上に東のアズマ極東連合国、西のセイズールは二国の戦争を阻止するために盗賊ギルドを経由して戦争資金を盗み出させている。
盗み出した戦争資金は対象国の貧民街や福祉施設に寄付してるけど、圧政が続く限り資金はすぐに集まるのよね。
その辺りの理由も含めてアスラに話すと。
「じゃあキミは単なる盗賊じゃなくて義賊ってことか」
「義賊は正義感で動くけど私達は報酬……見返りが有るから活動してるだけよ」
「そういうもんなの?」
「そういうもんよ」
っと話がだいぶ逸れてしまった。
「話は戻すけど明日は荒くれ者共とも接触する予定だからそのつもりでね」
「わかった、システィナを差出して協力関係を結べばいいんだね」
「そうそう私を……なんでよ!?」
私は思わず叫んでしまった。
いや、叫ばずにはいられなかったわ。
だって仔犬のような笑顔で私を売るなんて言い出すんだもん。
「冗談だよ。キミを売るような真似はしないって」
本当かぁ? 私が訝しむと彼は笑って誤魔化したーー冗談も言える程度には打ち解けてるのかしら?
そう考えていると携帯端末ーースマホンの着信音が鳴り出す。
ポケットからスマホンを取り出して着信画面に……思わず顔を顰めてしまう。
通知相手は『腹黒グラサン』正直無視したい。でも無視すれば後がめんどくさい。
こっちが必要な時に電話を掛けると大抵出ない癖に。
内心で不満を吐き出しながら画面の通話アイコンをタッチして通話に応じる。
「……なによ?」
私が不機嫌そうに訊ねるとクックッと笑い声が返ってくる。
『なに、君の進捗を確認しようと思ってな』
「わざわざギルドマスターのあんたが確認することでも無いでしょうに」
『生憎とアイネは退勤した後でね。わたしとしても優秀な受付の残業は心苦しくてね」
確かにアイネは雑務や実行も含めて優秀な受付だと思う。
私は美人で優しくて面倒見の良い彼女を思い浮かべ、ギルドマスターに返答する。
「進捗って言ってもあんたは既に把握してるでしょ」
『当然わたしは君がおかれている状況も把握しているさ。計画に躓いてることも含めてな。しかし報連相はギルド運営において遵守すべき義務だとは思わんかね?』
残念ながら私に反論する余地はない。むしろギルドマスターの言ってることは正論だからだ。
「分かってるわよ。知っての通り私は失敗して爆弾チョーカーを取付けられたわ」
『ふむ、情報に間違いは無いか。一つ確認するが君に爆弾チョーカーを取り付けたのはグレファスか?』
確か私に爆弾チョーカーを取り付けたのは、捕縛した看守だったわね。
「看守に取り付けられたのよ、なんでそんなこと聞くのよ」
『……少々気になってな。いや、君の哀れな状況も確認できた。わたしは失礼させてもらう』
そう言ってギルドマスターは一方的に、しかも皮肉だけ言い残して通話を切った。
「あーもう! いつも一方的なんだからっ!」
苛立ちを顕にするとアスラの憐れむ眼差しが突き刺さる。
なんでそんな眼差しを向けられてるの!?
「なによ? 言いたいことが有ったらはっきり言った方がお互いのためよ」
「いやぁ、急に箱みたいな物を取り出したと思ったら独り言を始めたから……大丈夫? 病院に行く?」
心配してるのは眼差しからありありと感じるけど、的外れだから余計に腹が立つ!
「私は平常よ! それにこれはスマホンと言って遠くの相手と通話やメールができる魔道具なの!」
「めーる? よく分からないけど便利そうな道具だね」
あー、そっか。アスラは記憶喪失だから日用品の中でも特に重宝されてるスマホンも忘れてるのね。
「実際に便利よ? さっき言った通話とメール、画像を撮ったり録音もできるもの」
「でも高いんでしょ?」
「それがねぇ一台で50,000ゴールドで済むわよ」
「けっこうお得なんだね!」
「あんたも一台は持っておくべきよ」
そう告げるとアスラは苦笑を浮かべた。
まあ無理もないか、今の彼は無一文で買い物もできないんだから。
私がそんなふうに考えているとアスラが握り拳を作ってこう言った。
「……俺、お金を貯めたらスマホンと直剣を買うんだ」
やめなさい? 明日から荒くれ者と会うのにそんなこと言ったらフラグに思えてくるから。




