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掌編置場

シロツメクサの思い出

作者: 須藤鵜鷺

 幼い頃に過ごしたことのある公園がどこにあったのか、私はもう思い出すことができない。

 幼稚園だか小学校だかの散歩で出かけた先にあったその公園には、一面シロツメクサが広がっていた。子どもだった私たちはみんな思い思いに遊んだ。四葉のクローバーをさがしたり、花を摘んで冠を作ったり。不器用な私は友達に何度教えられても冠がうまく作れなくて、見かねたその子が作ったのを私に被らせてくれた。

 何をしてもうまくできない私はそのことに凹んだり、でもそのたびに私の分を一緒に作ってくれる友達がいることが嬉しかったり、そんなことに忙しかった。

 楽しい思い出の場所だったけれど、いつのころだったか、公園のシロツメクサは一掃されて、もっと大きな公園につくり変えられた。中心にはアスレチックの大きな遊具が置かれて、みんなで遊んだけれど、不器用な私はやっぱりうまく登れなかった。私にシロツメクサの冠を作ってくれた友達は、遊具の上で私のことを困ったように見つめていた。

 遠い記憶の中の一瞬はこんなに鮮やかに憶えているのに、何度となく通ったはずのその場所を思い出せないのはなぜだろう。

 まるでゴールのわからない迷路に迷いこんでしまったかのよう。

 大人になって、緑のない土地に移り住み、あのころとは違う忙しさの中に身を置いている。近所にある公園には何もないけれど、春になったら桜が咲いた。その公園では、小さな子が親らしき人に見守られながら遊んでいる。その子の思い出に、この公園はどんな形で残るんだろう。

 小さい子が成長して大人になったとき、この公園はどんな姿になってるんだろう。

 近くを散歩していると、どこだか思い出せないはずのその公園に近づいているような奇妙な感覚に襲われる。ここから近いはずもないのに、次元を超えてその場所へたどり着いてしまうような。

 私の心は、そこへ帰ろうとしている?特段幸せな記憶があるわけでもないのに。

 走り回って、転んでひざをすりむいて、その傷跡は私のひざに長く残っていた。

 シロツメクサの冠と一緒に置いてきたはずの幼心が抱いていたものの片鱗は、本当は私の心の片隅にずっと存在していたのかもしれない。それはたぶん、鍵の役割を果たすこともなく、いずれ枯れてゆくのだろう。

 蛍光灯の明かりの下で、そっとひざを確認する。あのころ確かにあった傷跡は跡形もなく消えていた。

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