いまわサラバのいざまた来世!
言葉を考えるのは伝えるべき思いを考える事だ。即ち「言葉と向き合うは心と向き合う事である」偉大な小説家、前歯隼二が残した言葉なのである。
(カッコいいなぁ…私は…最後に、何を言おうかな…)
今際の時に残す言葉は誰にとっても大切である。人生の最後、別れの最後のただ一言…やはり「愛してる」や「ありがとう」だろうか…
※相手がいれば
漫画アニメで言えばもっと色々あるだろうが、やはりオリジナリティは欲しい。今際の言葉…“言語学者”である私は、やはり一般のそれより上へ行きたい!
言語学者“字聖九子”は病院の天井を睨みながら、その白いスクリーンに99年感の走馬灯を映し見る。
「私はプロポエマーになるの!」
「ミュージシャンじゃなくて!?」
三味線片手に田舎を飛び出し、都会の路上でポエムった10代の青春…言葉とはアートだと思っていた。
ポエムノートを持ち込んだら字の汚さと誤字脱字をボロクソに叩かれ、学の無さに恥じ入りバイトの合間に図書館通いで学びだした20代…言葉は教養だと思い知った。
日本語どころか英語と中国語を極め、世界中に突撃した30代、そこそこの会社に就職し言葉は武器だとのたまっていた。
時間の概念が無い熱帯の部族や十進数を使わぬ遊牧民、自他の区別をしない宗教家と…彼等の使う独特な言語と邂逅し興味が炸裂。
辞表を出して服を脱ぎ捨て文明社会から飛び出した40代には、言葉は文化を映す鏡と信じた。
出発…ブレイク!CDデビュー…ブレイク!テレビに雑誌に引っ張り回された50代に不労所得で夢だった大学に進学し博士号を獲得!
言葉は無限の可能性とかいってたっけ
人生の後半戦は言語学者として大和語に捧げようと決意し、様々な言葉の語源を調べ回った60代…歴史の空白を埋める作業に心奪われ、言葉は過去への扉を開く鍵…SO!キーワード!
とかテレビで言った黒歴史。
過去に消えた言葉を掘り起こしながら考える、何故この言葉達は消えたのか?言葉の死とはなんだろうか?歴史の空白を考えるより、今の言葉が消えないようにする事が大切なのではないか?
言葉を消し去るのは流行り廃りと戦争災害、言葉を知る人々の死と忘却なのである。
言葉を守るとは命を守る事!反戦運動や人権運動に励んだ70代…言葉は命と叫んでいた!
腰が逝った、腕が弾けた、脚は地雷で吹き飛んで尚…頭と口だけは達者だった。
80代は大人しくテレビとラジオとネットを通して「今」の言葉に浸りながら…言葉の未来を考えていた。
そして90代の今、いよいよ今際の時を迎えて…彼女は最後の言葉を考える。
彼女にとって言葉はアートであり、教養であり、武器であり、鏡であり、可能性であり、鍵であり、命であり、今であり…
「み…らい…」
言葉とは時を超え心を未来へ届ける翼である。…長い、3点
「だい…じょうぶ…」
死を前にして身を焼く恐怖、言葉にはこれらを取り除く力がある。…うーん、しかし…自分で言うのは虚しくないか?普通は家族とかがこう…畜生独身だった畜生!0点!
…ッハ!!
不安を取り除く、未来へつづく、アートで教養で以外モロモロモロッコなワードが出てきた…ハァ…クッ…持ってくれ、私の横隔膜…最後の一息…最後の言葉は!
「いまはサラバのいざまた来世!」
白い天井が更に真っ白く輝いて、字聖九子は来世へ通じる扉の前に立っていた。
穏やかな、そして強い決意で手を伸ばし彼女は思う…声に出す。
「…次はリア充になれますように!」




