案山子は畑を出ていった。
誰も望んでいないなら、望まれる事が何もないなら、何をしたっていいじゃない?
誰も私を見ていないなら、何をしたっていいじゃない?何処へ行っても良いじゃない?
暗い夜の道に佇んでも、交差点の中寝ころんでも、廃屋にいようが喫茶店にいようが布団に寝ようが樹海にねようが一体何が変わるのでしょうか?
今日、カラスが死んだように、道ばたに転がる猫の躯、靴の裏に潰れた蟻、そんなように使い潰されて消えた人々、学校で会社で家庭で街頭でネットで、誰もが何かを望み、誰もが何も望まれない。
いえいえ…愛情を望まれる事もあるでしょう、成功を望まれる事もあるでしょう、琴線を望まれ、小粋なジョークを望まれる、もしくは話題?失敗、破滅…麻酔みたいな一時しのぎの誤魔化しを皆が皆互いに望む。
太陽は登る事を期待され、照らす事を期待され、温める事を期待され、発電に期待され、暑さを呪われ、雨を望まれ、夜を望まれ、袋叩きだ。
君がここに望む物はなんだ?
セロトニンならお菓子をお食べ、ドーパミンならAVでも見ろ、何もないならさっさとおかえり
「何もない」
布団から起き出し、眼鏡をかけて天井を見る。
「何もない」
どこへ行こうか?何もない
何をしようか?何もない
望まれる事がないのだから、望む物は何もなくなる、そうして人はからっぽになり…せっかく手にした「何をしたっていいじゃない?」は虚無に吸われて人形となる。何も望まない人形は自分から何かをする事はなく、ただただ台本通りに布団を畳、ご飯を食べて、職場に向かう。
人形が人形と会話をして、人形が人形に問いかける。
「あなたは私に何を望む?」
心無いから答えは無い、しいていうなら心が欲しい。
誰かに望まれる心ではなく、何かを望む心があればきっと何かになれるのだろう。
だって何をしたっていいんだし、何処へいっても言いわけだからね。
私の心は何かを願い、そしてあなたに呪いをかける。
あなたの心は何かを願い、そして私に呪いをかける。
疲れた人形が手にした心は、はたして碌なもんじゃない
心が美しい言葉だって、心が美しい物だって、言うのはきっと頭が弱い人さ
人形たちは互いに互いに「都合」を望み、互いを縛って動かなくなる。
動けなくなった体の中で、心だけが腐って爆ぜる。
ひとつだけ解る事がある
「神様はこれを望んでいない」
だって私が神様ならば、悲劇より喜劇が好きなのだから
自由気ままに笑い泣き、飛び跳ね歌う喜劇が見たい
ならば
なら
何をするかは面白い事
どこに行くかは自由な所
ストローハットでそう考えて、案山子は畑を出ていった。