異世界日本で幸福な日々(本編スタート)
「わ…私はもう駄目だ…力が…力が欲しい!」
目の前にいる「私」は私と思えないほど熱い涙を流しながら人生を憂いていた。なんやこの私。
「力なんて意味がないわ…大切なのは心…そう…愛、あぁ…愛が欲しいわ。」
この「私」も私とは思えないムキムキな体躯でそう憂いている。
「愛ねぇ…違うわ、結局お金よ。」
…ちょっと解る、そうなのだ世の中は金だ!この魔法使いっぽい「私」は解ってる。
「いやいやいやいや!人生にはドキドキが必要よ!冒険!魔法!ビバ異世界!」
…一番理解できない「私」がそんな事を言っている…訳が分からない…
◆ ◇ ◆ ◇
異世界転移とは何かというと、魔術的な何かで時空を超えての召喚…テレポート的な事をして気付けばあらら知らない世界、と言う事…だと思う。
人為的ならば帰還は可能だろうが、まぁ…偶発的な事故や時空の切れ目みたいな自然現象が原因だとちゃんと帰れるかは解らない。
もう一つ、異世界転生というのは輪廻転生、死んだあと別の世界で生まれ変わっただけの話で、前世の記憶を持った子供とか聞くから実際にあってもおかしくは無い。
私の場合はワープしたわけでも、死んだわけでもない…肉体はそのまま、精神だけ異世界の「私」と入れ替わった新ケースだ…うーん…新たに「異世界チェンジ」とでも名付けよう!
結論を言うと「剣と魔法の世界の農奴として生きていたはずが気が付いたら日本で生活していた。」
キョトンとしないでくれ、ちゃんと顛末を話す。
1年前、私は農奴の生活に絶望していた。真冬の夜、臭い臭い藁から這い出して馬小屋から外、満天の星空のしたへスタスタと歩きバタンと倒れてスィーっと目を閉じた。
このまま眠れば、霜に焼かれながら命を終わらせる事が出来るのだ。ホホの下にある土は既に氷のように熱く、小石が耳たぶや膝に刺さる。どうでもいい些細な痛みだ…指先がチリチリと痛む、これもどうでもいい痛みだ…キリキリと空の胃袋が冷えて縮まり、溶かすものが無い胃液が上がり喉が焼ける…どうでもいい、どうでもいいのだ…どうでもいいからこんな簡易な自殺を選んだ。
脳の芯まで冷えて頭痛が消えた…そして私は…確かに夜空にすいこまれて…ふつふつと手放した苦痛が蘇るその絶望に気が狂い、私は逆さに落ちてゆく
…
……
………
暗黒に落ち続ける感覚の先で…不意に真っ白な空間に降り立つ。
ふわり
ゾロゾロ
ざわざわ
「…?!?」
そこには多くの人…否、多くの「私」が集まっていた。
農奴私
町娘私
令嬢私
戦士私
魔法使い私
姫私
OL私
おっさん私
等々…姿形が違うのに、なぜ「私」だとわかったかと言えば、魂が理解したといか言いようが無い…ミラーハウスにいるような、不思議で不気味な感覚があった。
そして、数々の「私」の蠢く地平を見下ろす、一段高い台座に「私じゃない人物」が一人頭を抱えて座っていた。
「君たち…命をもっと大事にしなさい!!」
頭に輪を乗せ、背中に羽を生やしたハゲメガネが私達に説教を始める。認めたくないが神様的な奴なのだろう。
時間間隔の無い空間で延々と説教され、結論はそう「もう一回頑張れ!」であった…殺意が湧く。
ハゲが説教してる事から、自殺した私は私だけでないとわかった。なるほど…そういえばみんななかなか個性的な血みどろファッションをしている。
「魔王と戦う人生なんて嫌だ!」
頭に斧が刺さった戦士な私
「聖女なんて嫌!」
手首から先がない聖女な私
「令嬢なんて嫌!」
黒焦げ私は屋敷に火でも付けたのか?
「サラリーマンなんて嫌だ!」
ラーメンと唐揚げと炒飯とファミチキを食べながらデブな私が切れ散らかしてる。
…イラッ
死ね、貴様らこら私ども!…農奴の私に不幸自慢で勝てると思ってんのかおぉおん?
「わがまま言わない!さぁ…もとの人生に~“モド・レレド!”」
それぞれ命を断つ事情もあるだろうに…問答無用とハゲが杖を掲げて呪文を叫んだ!
ピカっと頭上の輪っかが輝いて、ハゲ頭が光を反射した。上から吊り上げられるような感覚で足がふわりと大地を離れ…その後の暗黒未来が私達の脳裏によぎり…
「「「いやぁああああああああああ!!!」」」
無数の私の悲鳴がハモリ…気付けば真っ暗闇を上へ上へと落下してゆく…
この空間に上から落ちてくる時は気付かなかったが、下から見上げた夜空の星は…どうやら、複数の私達が元居た世界への入口のようだ。
「あははは…私…またまた夜空を飛んでるぅうう!」
現実逃避半分だが、実際ちょっと楽しかった…地を這う地虫の様な私が空を飛ぶなんて…ウフフ!アハハハハハハハ!(ヤケクソ)
…
……
そして目覚めたら、私は半分見知らぬ日本のボロアパートに住んでいたのだ。
パチクリ、藁とは違う…ふわりとした何かの中に私は居た。
…パチクリ…痛くない指先…
……パチクリ…空腹でない胃袋…
…………パチクリ…垢や泥、肥溜めの香りでない何かの香り…せ…石鹸?シャンプー?
異世界生まれの農奴な私の魂に、日本生まれのOLの肉体から様々な情報が共有化される。
見た事のない物、体験したことのない記憶、そして感情…うーん、フラッシュバックを見る限り…この私も確かに大変だったのかな?うーん…まぁ、農奴より100倍良いと思うんだけどね。
パチクリ…さてと
記憶はあるので、それを元にのびのび行動してみる。
戸棚からカップラーメンを出し食べる、泣く。
服を着替える、泣く。
お風呂に入る、泣く。
服を着替える、泣く。
卵かけごはんを食べる、泣く。
意を決して外に出て、コンビニで籠一杯に食べ物を買い…泣く。
そもそも文字が読める、書ける事実に気が付いて泣く。
あまりの感動にチラシの裏にチラシの文言を書き写して居たら一日が終わった。
…そして翌日仕事に出るが、何故かミスをしていないのに返された。記憶の中では嫌味な先輩、薄情な同僚たちが何故か優しい声をかけてくれて、涙を拭くようにハンカチを貸してくれた。
そして早退したのでこの世界の両親に会いに行ってみた…泣いた、泣いた、泣いた。
農奴生活では考えた事もない幸せの嵐、きっとこれは神様のはからい!あぁ神様…ありがとうございます!もうハゲなんて呼びません!神様だいしゅき!
家に帰ると…ハゲのおやじが申し訳なさそうに椅子に腰かけ俯いていた
頭に輪っか、背中に羽の生えたハゲ様である…否、神だ!おぉ神様!
ぶわぁっと涙がまた溢れ、それを見た神はたじろいだ。
「あっ…す…すまぬ。わ…わしが戻す肉体間違えて…そ…その…悪かった!!」
え?これミスなの?も…もしかして…元の肉体に戻されるの!?
そんな考えが頭をよぎり、涙の勢いは5割増し、私は膝から崩れ落ちた…神様なんて嫌いだ…いっそ…ここで亡き者に…
「すまん!本当にすまない!ごめん!ごめんなさい!!」
私に駆け寄り肩を抱く神様…やっぱり?やっぱり戻されるの!?パクパクと言葉を出せない私の質問に応えるように神様は事情を話しはじめた。
「申し訳ないが…元の肉体のお主はまた死んでしまったのだ、うん…えーと…神といえどもそう何度も何度も復活は出来ないし、何より代わりに入ったお主が絶望のあまり死を望んでな…あぁ、代わりに入ったお主は冒険者ギルドに向かった所…道中でスライムに遭遇して死んだのじゃよ…うぅ…なので、お…お主の戻る肉体がなくなったのでな、こっちの世界で生きてもらうしかなくなったのだ!すまぬ!マジすまぬ!」
ドゴッ!
全力でガッツポーズを決めた私の拳が神様の腹部にめり込み天井に向けて殴り飛ばした!
「ウォおおぉぉぉぉおお!!」
「あっふん」
神様は床に落下すると変な声を残して消えたわ…
フフ!
こうして、一年前に私の異世界生活は始まったのよ。
ここは異世界、住所は日本の静大花
私の名前は「世渡涙子」病院で解離性障害と診断された、幸せに生きる22歳よ!
完