裏空手部発足秘話〜黒帯狩男の青春〜
「たのもぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
菖蒲35年、静大花の町の寂れた空手道場にその声は響いた。
ピーポーピーポー
「たのもぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
菖蒲35年、静大花の町の寂れた柔道道場にその声は響いた。
ピーポーピーポー
「たのもぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
そう叫ぶ男、連日各道場を訪れては時代錯語の“道場破り”をする男は筋肉隆々のスキンヘッド、上下黒ジャージの老け顔無職「黒帯狩男」(17歳)だ!
彼は日本中の黒帯を集め“黒帯マスター”になる事を夢見ていた!
「たのもぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
「うるせぇええよ!迷惑なんだよ!」
時代錯語な熱い想いは、この心無い時代には通じない…いくら筋肉が有ろうとも、知能が無ければ話にならないのがこの悲しき経済時代…狩男は完全に生まれる時代を間違えていた。警察を呼ばれた。迷惑防止条例に引っかかった。
ピーポーピーポー
「やっぱり君か黒帯君!そんな黒帯欲しければ道場に入れば良いんじゃないか?」
静大花の駐在さんとは顔見知り、筋肉も黒帯も無い優男だがかつ丼を奢ってくれる狩男の大切な友人である。
頭痛でもあるのか、目を顰め眉間を指で押さえつつ提案をするこの友人に狩男は心と口を開いた。
「俺は黒帯がしたいんだ…“色帯”なんて絶対にしたくない」
ここで素人は“白帯”なんて言うだろうが、ついつい専門知識が口を出てしまう…やれやれ、自分の博識が怖い、かつ丼は旨い…おかわり!
「色帯?…あぁ、黒以外の帯か……」
「おっ!?流石相緒井さん詳しいね!おかわり!」
<空手豆知識>
空手はまだ基礎を習ってる初心者の“白帯”、一通りの修練をクリアした“黒帯”の他に中間の“色帯”が存在するんだ!流派によって違うけど緑帯(基本の練度を上げる段階)、紫帯(身体操作と難度のある技を覚える段階)、茶帯(黒帯の一歩前、通常の基本を越えた“源流”の一端を体得する)などがあるよ!!
かつ丼を平らげ、友人の元を離れる狩男は夕日に染まった空を見上げる。
「父ちゃん…俺、ぜったい黒帯になるから…!」
まだ夜に成り切れない静大花の空に、きらりと一番星が輝いた。
「今度通報が有ったら、誕生日聞いた方がいいか…」
同じ時刻、駐在勤務の相緒井は窓から一番星を眺めながらそう呟いた。
「18歳になったら…逮捕だなぁ…」
それまでに、彼を変える何かがあれば良いのだが…
◆ ◇ ◆ ◇
「ほっほっほっほ」
っしゅっしゅっしゅ
亞辺川の土手を走る筋肉隆々のスキンヘッド黒帯狩男の朝は早い…時刻は10時35分
「っほっほっほ」
シュッボボ!シュボボ!シュボボ!
その鍛え上げられた筋肉で空に拳を打ち込めば、何も殴らずとも空気が爆ぜて音がする。ただ闇雲に拳を突き出しているわけではない…左右に踏み込む足に合わせて腰を捻り、足の反対の腕を突き出す。
腰と背筋、腕の筋力に肘で回転を加えて打ち出す本物の拳、世界でもっとも正しい拳“正拳”だ。
「っほっほっほ…ふぅ~休憩!」
土手にかかる橋からスタートして、河川敷に降りる最初の階段まで…概ね30メートル地点で早めの休憩を取ることにした、体を鍛えるとは体を労わる事なのである…リュックから出したスポーツドリンクを飲みながら、体中の筋肉達に感謝をする…お前たちが居れば、きっと俺は“最強”になれる…最強…すなわちそれは黒帯であり…全ての黒帯を集める黒帯マスターなのである。
何十何百の黒帯を纏い、大都会のビルの屋上で黒帯をはためかせる最強の男…黒帯マスターを瞼の裏に描いた狩男は、ベコ!っとドリンクを飲みつくして次の階段まで100メートルを走りだす…が!
シュッボボ!シュボボ!シュボボ!
「っな!?」
その空が爆ぜる音は、狩男が拳を振るう前に風にのって耳に届いた!
シュタァアアン!ビュッババ!シュボッタァアアン!
「なんだ…なんだこの音は!あそこか!」
階段から河川敷に降りる狩男は、そこで音の正体を知る。
シュタァアアン!
それは少女がその細い足で大地を踏み抜く音であった。
ビュッババ!
それは少女がその細い腕で空を切り裂く音であった。
シュボタァアアアン!
それは少女が卓越した身体操作でなんかすごい技をだした音だった。
「美しい…」
トクン…トゥクン
なんだこの音は…この気持ちは…解らない!この音の正体が判らない!!
美しい少女だった、美しい技であった。
黒帯を求め数多くの道場を訪れた狩男が見た、多くの有段者の動きよりも洗練された力強い技であった。あぁ…美しい強さ!
狩男も筋肉のみで黒帯を目指していたわけではない、正拳突きをはじめ…多くの技を研究しシュボボ!と空が弾けるまでに練り上げて来たつもりであった…だからこそ解る、この…細身の少女の偉大さが…この少女は…トゥクン
「ねぇ君、武道やってるの?」
「あら~?」
うぉおおおおおお!俺すげぇええええええええええ!
初恋からの初ナンパだよ!半端ねぇえよ!
「実は俺も好きでさ、先日もそこの道場に挑んできたんだぜ、ハハッそれで警察呼ばれてさ!」
「まぁ~」
上下水色のジャージを着た長い黒髪の少女は、見ず知らずの筋肉スキンヘッドに修練の手を止め小首をかしげて相槌を打った。
細く美しい指先で目にかかった前髪を避けて少女は狩男をじっと値踏みするうように観察をした。
「フフ、良い筋肉だろ?俺の夢はこいつらと黒帯マスターになる事なんだ」
ッご!!
そう言った所で、狩男の意識は一端途切れた。
◆ ◇ ◆ ◇
「いっけね!遅刻遅刻!」
上下赤のジャージを着こみ、少女は待ち合わせの河川敷に急いだ!
少女の名前は荒船那覇(15)実家の中華屋を継ぐために高校進学を諦めた彼女はトーストではなくラーメンを啜りながら静大花の町をかけて行く。
「うわ!」
「ほふぇんね!」
トースト加えた年ごろの娘と角でぶつかるのは憧れるが、ラーメンを啜った娘は願い下げだ…アツアツのラーメンを被るのは嫌だし…ん?逆にアツアツラーメンを被った娘はマニアックで少しみた…ゴホン、話を戻そう。
例え憧れた変態がこの街に居たとて、彼女…荒船那覇(15)相手ではその夢は叶えられはしない!
「ぬわ!」「うぉお!?」「あっぶ!!」
シュタタシュババシュタタターン!
「ほふぇんね!」
彼女は卓越した足さばきでラーメンの汁一滴も零さぬままに走り抜けた、そして完食!
「プハァアア!うまかったぁあ!…朱里はもう来てるかなぁ」
波島朱里(15)菖蒲高校に進学した友人とは、ばあちゃんの代からの大親友…親戚でも無いが親戚のように一緒に育ち…今年春に進路が別れるまでは毎日同じクラスであった。
当たり前のように毎日顔を合わせていた友人との2週間ぶりの再会、その大切な日に遅刻とは…なんともラーメンの誘惑は恐ろしい!
「ねぇ君、武道やってるの?」
「あら~?」
「ふぇええええええええええええええええ!?」
なんか親友がマッチョマンにナンパされてる!すげぇええええええ!
男児1日合わなくば刮目して見よ
女児2週間合わなくば刮目して見よ
否…もう子供じゃないんだ、武士の時代ならば元服する年齢なのである、そして義務教育を終えたイコール、空手で言えば色帯卒業…即ち黒帯と言って良い…つまり。
「しゅ…朱里が大人の階段を…あばば!」
「実は俺も好きでさ、先日もそこの道場に挑んできたんだぜ、ハハッそれで警察呼ばれてさ!」
「まぁ~」
冷静になった、うん…そっと手にしたドンブリを地面に置き。那覇はクラウチングスタートの姿勢になった。
天然な親友はのほほんとしてるが、ナンパしてくるそいつはあからさまに不審者だった。なんだあの黒ずくめ筋肉ジャージ、スキンヘッドもよく見れば熊に引っかかれたような傷がついてる…どう見たって堅気じゃない!
「フフ、良い筋肉だろ?俺の夢はこいつらと黒帯マスターになる事なんだ」
ッご!!バタン!
「あら~、久しぶりね那覇ちゃん~」
「朱里!駄目でしょ危ない男と話しちゃ!何かされる前に先手必勝でしょ!?」
「まぁ~、駄目よ殿方を足蹴にしちゃぁ~」
ゲシゲシゲシ
那覇は失神させた男の背中を踏みつけながら危機感の無い親友をたしなめる、足の裏に感じるのは大岩のような発達した背筋…やはり、この男只者じゃない!
ビクン!
「危ない!」
足裏に男の覚醒を知覚して、那覇は即座に距離を取った!
ビクン、ビクン!
ハゲ男はその身を怪しく痙攣させながら両手を着き、膝を曲げ…ゆっくりと起き上がる、全身の筋肉は痙攣し、顔は真っ赤に蒸気している…オーラ、闘気、湯気…そう言った何かを立ち上らせながら男はまっすぐに那覇を見た!
トゥクン!
「今の蹴りは…嬢ちゃんがやったのかな?」
鼻血が出ている…地面に倒れた時負傷したのか…、しかし男はその血を拭いもせずにうっすらと笑う!
背後からの卑怯な一撃、負傷、そして侮辱するような足蹴をされて…男は笑った、その気持ち…那覇には少し解る気がする。
ジャリッ!ズォオン!
親友との再会も、ラーメンの味も今は忘れる…この男、強い!!
左足を男の方位に一歩踏み出し、しかし体重は後ろの右足に乗せる“後屈立ち”にて、両手は五指を揃えた手刀ではなくあえて大きく五指を開き、獣の爪めいたイメージで前に突き出す!…そして顔は、男と同じようにうっすらと笑う、笑ってしまう!
この悲しき経済社会では、日の目の見る事の無い武を振るうチャンス…強敵との対面!なるほど…気持ちは解るぜ大男!
「………」
「…どうした、構えろよ犯罪者!」
しかし、本気の構えを見せる那覇とは違い…男はドバドバと鼻血を流したまま構えを取らない…
「どうした!構え無いならこっちから行くぞ!」
「………美しい…」
ゾクリ
那覇は流れるような体重移動で、右足から前足に体を移す…そしてそのまま体重を空に預け…倒れ込むように男の間合いに入り…自由になった右足にて大地を蹴った。
ズッパアアどごおおおおおン
刹那、人体でもっとも強力な足の力は腰と背筋の力を乗せて、肩と肘の回転を加えて手首を通り、真っすぐ“拳頭”の一点に全ての力を集中させて解き放った!
その強力な力が捕らえたのは狩男の中心、人体の中心を通る急所の数数の中更に中央…心の蔵にもっとも近い、水月と呼ばれる溝であった。
逞しく盛り上がる胸筋と腹筋の境であるその溝は、言わば筋肉の鎧の繋ぎ目であり…そこに、体重スピード回転の一点集中…即ち、本物の拳…正しき“正拳”がヒットすれば…その衝撃は体格差を無視して勝利を少女に!
「ぐっはぁああ気持ちいいぃいい!」
「うぁあああ!気持ちわるいぃいいいいい!」
ズッパアアどごおおおおおン!ズダダン!ドカドカドカ!
シュタァアアン!ビュッババ!シュボッタァアアン!
「あら~」
その戦いは、日が暮れるまで続いたという。
ハァハァハァ…
「解るぜ…、ヘッ白帯なんて…まっぴらだもんな」
「そうよねぇ~」
「うぅ…」
拳を合わせれば心が通う、現代人に言っても解らないだろうが彼ら彼女らは時代錯語な若者であった。
「私達は空手の本場“琉球”で空手を習ったんだ…、だから本土のままごと空手は習う気がしない…まして、頭を下げて白帯から始めるなんてありえないって思うぜ」
「そうねぇ~、おばちゃん餃子とチャーハンおねがーい」
「うぅ…うぅ…」
黒帯狩男は初めて本物の涙を流した、そう…本物だ、心からの本物だ。
そして“本物”以外に価値は無い…自分の目指した黒帯マスターなんて…あぁそうだ、答えが見つけられず闇雲に、無理やりに作った薄っぺらな目標だった。
「だけど私達は空手が好きだよ、だから二人でずっと頂きを目指してるのさ…そんな物はないんだけどね」
「うぅ…カツどんおかわり…」
「わー、那覇ちゃんわたしもー!」
空手とは“唐手”、唐の時代…大陸から海を越えて琉球王国に伝わった武が、王国の人々に愛され…根付き…そして本土へと伝わった物。
本土では数多くの道場、教室が開かれ“試験”“色帯”即ち…万人に伝わる学校めいた基準や体系付けがされてしまったが、本来は一子相伝の武だ。
四角い試合場での戦いではなく、戦場船上浜辺森林昼夜雨天で戦う武術であり、相手を殺すべき技なのだ。人を殴らぬ寸止め空手に嫌気がさして新しく真実を極めようとする流派も登場しているが…否、それもまた本来の空手ではない。
「知ってるか?本土の道場じゃ、蛇拳の諸手突きを“山突き”とか言ったり、引き倒しや腕を折る技を“下段払い”って嘘っばっかり教えてるんだ!武器も使わない!せめて十手ぐらいは使うべきだと思うんだけどな」
数ある琉球空手の一つ“首里手”は首里城を守る兵士の空手だ…当然、武器を使う術も考慮されており…空手の所作で意味不明に背中に手を回す動作は、本来腰帯にさした十手に手を伸ばす動作と言われている…
「私達は本物…本土でいう“裏”の空手をしっかりと学んで行きたいんだ!先人たちが繋いだ物は誰かが受け継いでいかないといけない!それこそ…本物の黒帯と共に!」
「本物の…黒帯!!」
◆ ◇ ◆ ◇
ピーポーピーポー
「あっ狩男くん!久しぶり!最近ちゃんとしてるじゃん!」
「あっ相追さん押ッ忍!」
久しぶりに出合った非行少年が中華屋のエプロンをして店前の掃除をしていた。
これは嬉しい、ゴッゴゴッホ!埃が目に入って泣きそうだ…
「どうしたんすか?」
「あっそうだった、仕事中だった…ここで働いてるの?また来るよ!じゃぁ!」
「押っ忍!サービスするっすよ!」
ドタバタドタバタ
再び発進したパトカーのバックミラーに、手をふる少年の姿が映った。
店の扉が勢いよく開き…ヤンキーじみた目つきの厳しい少女が飛び出す。
「狩男!掃除のときはエプロン外せよ!もぉ~!それ付けたまま店に入るなよ!裏口行って換えて来いよ?」
…フフ、青春してるな狩男くん。
今日の仕事上がり、夕飯はこの中華屋にするか…そこで、誕生日について聞いてみよう。
静大花警察、静大花町駐在…相緒井はほっと胸を撫でおろす。
こんな穏やかな気持ちで犯行現場に向かうのは初めてだ。
…
……
………
「えー誕生日ですかぁ~?」
「フフッ就職祝いでも良いんだけどね、何か欲しい物無いかい?」
わーわーガヤガヤ
騒がしい飯時の中華屋で、相緒井はカルボナーラを運ぶ狩男に声をかけた。
狩男はテキパキと仕事をしながら少し考え、店の壁掛けメニューに目を向けた。
「じゃぁ、カツどん食べたいっす!」
「ふふふはは!良いよ!ここで奢るカツ丼ならいくらでも俺が奢ってやるよ!」
だからもう、警察の世話になんかなるんじゃないぞ!?
相緒井は涙を堪えながらカルボナーラと餃子のセットを頬張った、〆は流行りのタピオカドリンクを頼もうかな…
「たーのもぉお!」
「はい喜んで!」
黒髪の女子高生が手を上げて、狩男は慌ただしく走っていく…
その顔は本当に笑顔で、心から喜んで居るようだった。