第八話 依頼
少しだけ訂正しました。すみません。
コンコン。
部室内にノックの音が鳴り響く。もちろんそこまで大きな音ではなかった。ただ、そのときの俺たちには鳴り響いたように感じたのだ。一瞬時が止まったかと思った。しかし時が止まったという事実は当然のように存在しておらず、声を出せずにいた俺たちを尻目に、ドアが開かれた。
「TCCという部活の本拠地はここでいいのか?」
入ってきたのはすらりとした長身の女子だった。おそらく何某かの部活に所属しているのであろう。確かに細身ではあるのだが、ただ細いだけではなく見事に鍛えられた肉体だった。また鍛えられた肉体であるのは間違いないのだが、女性らしさは失っておらず、正しく磨きぬかれたものだということができよう。髪型は、高い位置で一つに結わいた、いわゆるポニーテールというやつで、どことなく侍のように見えるその相貌は、男の俺から見てもかっこよく見える。幕末に活躍した新撰組の沖田総司は美少年だったと名高いが、こんな感じだったのではないか。
「ええ。うちがTCCで間違いありませんが」
先頭にいる麻生が答えると、
「そうか。ここは生徒の悩みなら何でも聞いてくれるのだな?そして即座に解決してくれると言われているが、間違いないな?」
一体どんな噂が流れているのだろう。この噂を流した張本人をとっ捕まえて、さらし首にしてやりたい。ま、おぼろげには想像つくのだが。
「頼みたいことがあるんだ。話を聞いてはくれないだろうか」
「ええ。まあ、構いませんが」
帰ろうとしていた手前、何とも歯切れの悪い返答をした麻生だが、相手はそんなこと微塵も気に留めず、気さくに応じてくれた。
なぜよりによって岩崎が休んだ日にこんなことになるのだろうか。間が悪いやつはこの世にたくさんいるらしい。この場合、果たして間が悪いのは俺たちなのか、岩崎なのか、それともこの女剣士なのか、判断できないのだが。
再び長机を囲んでパイプイスに座りなおした俺たちは、とりあえず話を聞くことにした。
「それで、さっそく話を聞きたいんですけど、いいですかね?」
「私は構わないが、よかったのか?全員荷物を持って立っていたから、今にも帰ろうとしていたのではなかったのか?」
「………………」
解っていたのなら、そのときに言えよ。それで、後日出直そうか?などと提案してくれていたのなら、即座に乗っかることができたのに。この人に、空気を読めという言葉を送りたい。いや、この場合あえて空気を読んでなかったというのが正しいのか。
「気にしなくていいです。俺たちは人の悩みを聞いて、行動を起こすために存在している団体ですから。とりあえず話を始めて下さい」
麻生がため息交じりに答える。かなり珍しい光景だ。もう十年来の関係である俺とて、もしかしたら初めて見たかもしれない。しかも当人はなぜこんな空気になっているのか、解っていない様子で、
「うむ。見上げた救済精神だな。聞けば、クラス中からいじめを受けていた少女を救ったそうじゃないか。これからの日本には君たちのような存在が必要だな」
この女剣士、相当な天然キャラに違いない。これがわざとだったら、俺は今すぐこいつを追い出す。絶対だ。ま、麻生に関してはまんざらでもないようなので、口には出せないが。
「とりあえず自己紹介からしようか。私の名前は相馬優希。剣道部で女子の主将を務めている。ここの事を聞いたのは、部室荒らしの件を解決したという情報を得たからだ」
女剣士と便宜上呼んでいたのだが、間違いではなかったようだ。ま、それは置いといて、気になることが一つ。
「その情報は誰から聞いたんだ?」
「横山大貴というクラスメートだが、違うのか?」
またしてもやつか。一度ならず二度までも。いい加減釘を打っておく必要があるな。
「いや、間違っていない。で、詳細だが」
「ああ。相談したいのは弟のことだ」
彼女には高校一年になる弟が一人いるらしいのだが、どうやらその弟の素行が、最近特によくないらしい。小さいころはとても大人しい少年だったようなのだが、成長していくにつれて、優秀な姉と比べられることが多くなった。弟はそんな周りの評価を振り払うように、姉とは違う道に走ってしまったらしい。
「そうなると、大人は弟を無視し始めた。両親も教師も彼にとやかく言わなくなってしまった。だが、どんなになろうと私にとっては可愛い弟だ。私はその分、優しく接しようと心がけていた。弟も、私の気持ちを知っているかのように、私に対しては心を許しいてくれていた」
それが今までの弟だ。しかし最近は違ってきているという。
「最近は私に対しても冷たくなってしまった。しかし、常に冷たいというわけではない。いらいらしていることが多くなったと言えばいいのだろうか。私にそのいらいらをぶつけてくることもあるが、楽しそうに話しかけてくることもある。とにかく以前までの弟ではなくなってしまったのだ」
とりあえず話は理解した。で、最終的な結論部分だが、
「それで、先輩は俺たちに何を望んでいるんですか?」
「弟の周辺を探ってくれ」
原因は周りにあるのではないかと予想しているらしい。ま、妥当な線だと言える。
「弟は、根は真面目なやつなんだ。だからきっと回りの悪い情報に踊らされてしまったのだと思う。理由が解れば私が説得する。私には、どうしても弟が進んで悪いことをするようなやつだと思えない。私たち大人がもっとまともな接し方をしていれば、こんなことにはなっていなかったと思う。もし、心ならず悪い連中と付き合っているなら、助けてやりたいんだ」
弟思いのいい姉だな。こんな姉を持った弟は幸せに違いない。事実、この姉が弟思いでなかったら、この弟はとっくに見放されているのだから、間違いないだろう。
だが、俺が巻き込まれるとなると、そう楽しい気持ちにばかりなっていられない。
「つまり、尾行して、弟がどんな生活をしているか探ってくれ、ということか?」
「そのとおりだ」
面倒ごとを当たり前のように言ってくれる。聞くが、尾行をしたことあるのか?かなり面倒なんだぞ。今は夏だが、冬にやったときは本当に凍え死ぬかと思った。尾行のターゲットが何か妙な行動を取ってくれればまだいいが、何もしてくれないと、本当に自分が何をしているのか解らなくなる。時間はかかるし、尾行以外何もできないし、正直罰ゲームとかペナルティじゃないかと思うくらいの苦行だ。もう二度とやりたくないと思っていたのだが、こうも簡単に頼まれるとは思わなかったね。
「あー、尾行か……」
俺と同じく経験のある麻生は、思い出しているのか、とても嫌そうな顔をしている。俺から言わせてもらえば、お前はまだましである。俺は一人で尾行したんだぞ。お前は二人だろうが。
「よろしく頼む。見返りは十分用意するつもりだ。来週からは私も参加できる。協力を惜しむつもりはない。警察も親も教師も当てにならないんだ。友人を巻き込むわけには行かない。君たちだけが頼りなんだ。よろしくお願いします」
深々と下げられた頭。その必死さが伝わる言葉。俺たちだけが頼りという言葉が本当とは思えないが、そう勘違いしてもおかしくないくらい真剣な言葉だった。岩崎がいたら間違いなく心が揺さぶられていたのではないか。
「いいでしょう。あなたの依頼、受けることにします」
言ったのは、猫かぶりモードの姫だった。おそらく相馬優希の言葉が姫の心に届いたのだろう。
「本当か?」
「ええ。きっとうちの部長がいたら、同じことを言ったと思います。今は訳あっていませんが、きっと全力であなたのお願いに応えてくれると思います」
どうやら俺と同じことを考えていたようだ。なぜだか知らないが、本当に岩崎の信者になってしまったのだろうか。
「ありがとう。今更だが、君は占い研究会にいた子だな。なぜここにいるんだ?」
「ヘッドハンティングだと思ってくれ」
姫が何か妙なことを口走る前に、言わせてもらう。実際は違うが、まあこう言っても差し支えないだろう。
「そうか。よく解らないが、そういうことにしておこう。では、お願いしようと思う。部長というのは岩崎さんのことだな。実は彼女の噂を聞いて、会いたいと思っていたのだが、残念で仕方がない。聞けば、彼女は私と同じ中学だったと言うではないか。私としてはとても興味深い存在だったのだが……。またいつか会えるだろうか?」
「ええ。きっと」
適当なことを言っているな。岩崎に会いたい?岩崎の噂を聞いて?何を言っているんだろうかと思ったが、まさか対外的にもTCCというのは岩崎の団体で通っているのだろうか。つまり俺たちは岩崎一味ということか。何とも嫌な感じだな。今すぐどうにかしたいが、もう手遅れであるような気がする。
「とりあえず了解した。土日はここにいるから、用があったらここに来てくれ。一応連絡先を教えておく」
「解った」
言って、お互いに連絡先を交換する。ちなみにこちらが公開したのは、俺の連絡先だ。誰かに文句を言いたいが、誰に言えばいいのか解らなかったし、言っても無意味だと思ったので、自重した。
「よろしくお願いする」
またしても深々と頭を下げると、如才ない雰囲気で立ち上がると、そのまま部室から出て行った。何とも厄介な人間が出てきたな。何というか、キャラクターが異質だ。変なやつが集まるこの部活だが、その中でも異様だな。
とにもかくにも、久しぶりにTCCに依頼が舞い込んできた。夏休みを楽しみたい俺としてはとても残念だが、逃げるわけにもいかないので、適当にこなすことにしよう。
このときは結構簡単に考えていた。面倒になるとは思っていたが、まさかあそこまで面倒になるとは思わなかったね。おそらく偶然だとは思うが。