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第六話 閑話休題


 気がついたら、七月が終わろうとしていた。早いな。俺はまだ夏を堪能していないぞ。ま、おかげで宿題と呼べるものが粗方終わった。残るは自由研究と呼ばれる、何をしてもいいなかなか楽しげなものだけだ。俺は『奇跡と偶然の関係について』という論文を書こうと思う。もちろん奇跡は引き合いに出すだけで、俺は偶然の存在と意義について熱く語ろうと思う。一週間ぶりの部室で、論文の構想を練っていた。


 他の連中はまだ来ていない。もう十五分前なのだが、なぜだか俺一人である。こういうとき、真面目なやつって損しているような気持ちになる。俺も普通に遅刻できるような人間になりたい。


 時計の長針が十のところに差し掛かったとき、部室の扉が開いた。


「あ、成瀬さん。おはようございます。ずいぶん早いですね」

「まあな」


 岩崎だった。まあそうだろうと思った。岩崎は挨拶を済ませると、ててて、と俺のいる長机にやってきて、俺の正面に座った。


「昨日は、私のわがままに付き合って下さり、ありがとうございました」

「別に気にするな」


 本当に律儀なやつだな。


「話題も中学のころの話ばかりで、面白くなかったでしょう。もう少し私が気を遣っていればよかったのですが……。すみません、少し舞い上がってしまいまして」


 謝ることじゃないし、盛り上がってくれたほうが俺としても喜ばしい。これは村田にも言ったな。何の話題にしろ、俺が加わることはなかっただろう。気にかけるようなことじゃない。それに岩崎のせいではない。


「舞い上がるほど、楽しかったなら問題ない。盛り上がってよかったな」

「はい!」


 今日もテンション高目をキープしているらしい。中学の連中と遊ぶのがそれほど楽しいらしい。笑顔が眩しい。楽しそうで何よりだ。


「みなさんも楽しかったと言っていましたよ。成瀬さんとあまり話せなかったことが心残りだと言っていました。また会いたいと言っていたのですが、いかがですか?」

「また機会が合ったらな」


 出来れば止めてもらいたい。はっきり言って社交辞令以外の何者でもなかったのだが、今の岩崎に、俺の気持ちは解るまい。それほど浮かれてしまっているからな。万が一会うことになってしまったら、麻生がいるときにしてもらいたい。あいつがいなければ、今回も大変なことになってしまうだろう。





 しばらくして、麻生と姫が部室に到着し、全員がそろった。本来ならそこから部活が始まるのだが、始まったのはただの雑談だった。


「次の予定ですが、どうしますか?」

「悪いが、俺は旅行だ。来週の平日は全て旅行でつぶれる」


 麻生がいないとなると、中学の連中とは会えないな。何とかして予定をつぶさないと。


「そうなんですか。泉さんは来週どういう予定ですか?」

「月曜日以外なら空いているわ」


 ほう。とうとう姫にも予定が出来たか。喜ばしいことだ。俺がその思いを視線にこめて送っていると、さすがは姫だ、俺の視線に気付いた。


「何よ、気持ち悪いわね。二度と私のほうを見ないで」


 無茶苦茶言いやがる。俺は嫌われているのだろうか。まあいいか。


「成瀬さんは、まあ聞くまでもないですね」

「期待を裏切って悪いが、水木金は都合が悪い」


 とは言え、どうでもいいことだし、俺としてはかなり面倒で嫌なのだが。


「予定って何ですか?誰かとどこかへ出かけるんですか?白状して下さい。誰と、どこに行くんですか?」


 なぜそんなに食いついてくるのだろうか。いちいち報告するつもりはない。言う必要もないと思っている。


「あんたには関係ないことだ。あんたは、俺が水木金だけ都合が悪いということを知っていればそれでいい」

「よくありません。いいから答えて下さい。これは命令です」


 面倒なやつだな。なぜ俺だけここまで詰問を受けなければいけないのだろうか。麻生や姫はスルーなのに、俺だけこと細かく報告しなければいけない理由を教えてもらいたいね。もし、あるならば、だけどな。ま、ここまで粘る必要もないような、どうでもいい予定なので、さっさと吐いてしまおう。ただ、岩崎の言うとおりにしなければいけないことに、苛立ちを覚えるね。


「実家に帰るだけだ」

「泊まるんですか?日帰りでもいいって言っていたのに」

「いろいろ手伝いをさせられるみたいだ。いちいちこっちに帰ってくるのも面倒だから、泊まることにした」


 それだけのことだ。一応納得してくれたみたいで、話はここまでで終わった。よかった。


「じゃあ今週は私たちだけでどこか行きますか?」

「私たちだけって、それ、私と岩崎先輩のこと?」

「そうですよ、泉さん。そういえば、天野さんたちと買い物に行こうという話をしていましたね。彼女たちに連絡とって、来週行きましょうか?」


 うむ、誘われなくてよかった。普通は誘わないだろうが、こいつのことだから解らない。しかし、今回は大丈夫であるらしい。


「あれ?嫌ですか?来週じゃないほうがいいですかね?」


 俺の安堵をよそに(どうでもいいか)、姫は返事を渋っていた。そういえば、先日話をしていたときも、悩んでいる雰囲気があったからな。まだ答えを決めかねているのだろう。


「別にどっちでもいい」


 結局出てきた答えは曖昧なものだった。何も考えずに行けばいいと助言したのに、まだ迷っているようだ。俺としてはどうでもいいが、このままずっと姫に友達が出来ないと、二ノ宮兄弟あたりが文句を言ってきそうだ。それは面倒な部類に入るだろう。ところが、俺の心配は当然のように杞憂で終わる。


「じゃあ行きましょう」


 岩崎が決定を口にした。どっちでもいい、と言った姫に反論する権利はないだろう。


「できれば天野さんと真嶋さんを交えて、詳しく段取りを決めたいんですけど、今日か明日来てくれませんかね?」


 それは俺に言っているのか?理由は解らないが、俺は適当に答えておく。


「そんなに暇じゃないだろう。七月中は忙しいと言っていたし」

「そうでしたねえ。三人でのメールのやり取りは意外に手間がかかってしまうんですよね。電話しましょうか」


 どうでもいいね。ま、あいつらならひょっこり現れそうな気もする。家が近いし、金持ちだ。暇な時間にプラっと立ち寄るくらいは難なくやってのけるだろう。俺たちが土日に来ていることも知っているしな。と、ぼんやり考えていると、


「おはよー」


 ノックなしにドアが開けられた。一体誰だ。まさか客じゃないだろう。そして、教師でもない。というか、話の流れからもうお解かりだろう。俺の勘はよく当たるということも、すでに周知かと思う。やってきたのは、天野沙耶だった。


「あ、天野さん。おはようございます。今、ちょうど天野さんの話をしていたところだったんですよ」

「へえ。妙な偶然もあるもんだね。で、何の話?」

「ええ。以前お話した買い物に行こうという件なのですが、来週行きませんか?」

「あー、そんな話したね。来週?いいよ、いつにする?」


 話がとんとん拍子に進むな。俺と麻生は完全に蚊帳の外だ。ま、麻生は漫画雑誌に集中しているし、俺も雑誌を開いているので、どうでもいいのだが。


「天野さんの予定に合わせますよ。真嶋さんにも聞かないといけないのですが、天野さんはご存知ありませんか?」


 そういえば、いつも一緒にいるイメージだった真嶋がいないな。今日は珍しく天野一人なのか。と思っていると、


「え?綾も来ているよ」


 などと言いやがる。どこにいるんだ?天野の後ろを覗いてみるが、誰もいない。少なくとも、俺には見えない。


「え?どこにいるんですか?」

「あれ?さっきまでいたのに。どこ行っちゃったんだろう」


 言って、天野は再び部室から出た。どうやら行方不明らしい。しかし、真嶋はすぐに見つかった。


「何してんのよ。はやく入ってきなよ」


 真嶋はTCCの部室のすぐ外にいたらしい。何をしていたか知らないが、話の流れから、天野と一緒に来たものの、一緒に入室しなかったようだ。


「おはようございます、真嶋さん。どうかしましたか?」


 聞いたのは岩崎だ。しかし、真嶋は俺のほうをチラッと見る。俺はその様子に、いや、真嶋自身に、違和感を覚えた。そして、すぐさま気付く。


「あれ?真嶋さん髪切りました?」


 それだ。もともとそれほど長くはなかったのだが、それでも十センチ前後は切っただろうか。肩に届かないところで、ばっさり切られていた。


「わー、いいじゃないですか。短いのも似合いますよ!どうかしたんですか?イメージチェンジですか?」

「べ、別にそういうわけじゃないんだけど……」


 確かにイメージがガラッと変わった。人は少し変わるだけで、ずいぶん印象が代わるものだな。真嶋は割と大人びた顔立ちをしている。髪型もそうだったのだが、短くなって若干幼くなったような雰囲気を感じる。鋭さがなくなったとでも言えばいいのだろうか。とにかく、柔らかい印象になった。すると、こいつは髪形を変えたから、部室に入って来なかったのか?子供じゃあるまいし、誰も深く追求しないだろうよ。


「確かに変わったな。何か、丸くなった感じ?うん、似合っているよ」

「前の髪型も似合っていたけど、今のも似合っているわ」


 麻生と姫がそれぞれ髪形について、意見を述べる。両方とも俺と大して変わらない意見だった。


「でしょ?」


 なぜか誇らしげな天野。そして、


「……………」


 なぜか俺のことをじっと睨みつけてくる真嶋。何だよ、俺は何も言っていないぞ。それとも何も言っていないことに対して、文句があるのか?今度は俺の番ということか?


「似合っているぞ」


 俺は本心を言う。すると、


「あ、あんたの意見は聞いてないし、それにあんたのは嘘っぽいんだよ!」


 両頬に手を当てながら、そっぽを向いて吐き捨てるように言う真嶋。なぜ俺だけいつもこういう扱いなのだろうか。今のセリフ、嘘っぽかったか?俺としては偽りない本心からの言葉だったのだが。その疑問を解消するために、天野のほうを見ると、ニヤニヤ笑っている。麻生も同じようにニヤニヤ笑っており、なぜか岩崎は若干怒り気味。姫に至っては我関せずとばかりに、雑誌に目を落としていた。しょうがないので、真嶋に弁明。


「俺は真剣に言ったんだが」

「う、うるさい!バカ!」


 駄目だ、こりゃ。取り付く島もないな。バカって何だ。俺は適当に謝り、この場を収めることにした。


「悪かったな」

「謝られても困るし」

「俺はどうしたらいいんだ?」


 天野に問いかけると、


「別に何もしなくていいよ。気にしないで」


 ずいぶん適当な言葉だな。かといって、俺とて何もするつもりはない。というか、もうどうしていいのか解らない。よって俺は黙り込むことにする。すると俺の心情を察してくれたのか、天野が先ほどの話に戻す。


「それで、来週の予定だっけ?あたしは週末以外ならいつでもいいけど、綾はどう?」

「あ、えっと、あたしも平日ならいつでもいいよ」


 こうして、四人の予定は難なく合致し、このあとは恒例の雑談タイムとなった。


「それで、何を買いに行くの?」

「当初の予定では、水着でしょうか。まだ着る予定がないのですが」

「あ、そうなの?あたしもう買っちゃったよ」

「そうなんですか?じゃあ水着はまたの機会にしましょうか?」

「いいよ。今回はみんなに付き合うから。みんなはまだ買ってないんでしょ?」

「私はまだです」

「あたしも」

「私は買う予定がない」

「えー。じゃあ何、泉はスクール水着で海に行くつもり?マニアックだね」

「着ないわよ!私は去年買ったのがあるから、いらないの」

「高校生になったんですから、新しい水着を買いましょうよ、せっかくですから。安心して下さい。私が選んであげますから」


 女三人で姦しいのだから、四人集まるとどうなるのだろうか。俺は目の当たりにしていた。はっきり言って、やかましい。俺は完全に蚊帳の外。ま、会話に加わりたいわけでも、構ってほしいわけでもないのだから、何も問題はない。加えて、麻生もいる。俺一人が孤立しているわけではない。と思っていたのだが、


「いや、案外姫はスクール水着のほうが似合うかもよ。小柄だし、童顔だし。あ、いや、若く見えるし」


 麻生は、いつの間にか雑誌を閉じていて、ナチュラルに会話に加わっていった。こいつ、水着の話題にも食いつくのか。本当につわものだな。


「麻生さん、意外とマニアックですね」

「俺はストライクゾーンが広いのよ」

「麻生は友達としてはいいやつだけど、恋人にはしたくないな」

「同感」

「おい!そりゃひどくないか!」


 という感じで、結局麻生の代わりに姫が蚊帳の外に追いやられ、いつもどおり喫茶店状態になったTCCは、開店休業のまま一日を終えた。解散時刻はまだ日の高い午後五時。最近は下校時刻より早い帰宅となっている。ま、それだけ早くここに来ているのだ。何も問題あるまい。





「岩崎さん、元に戻ったね」


 学校から駅までの道のり、集団は自然と二つに分かれる。その分かれ方も実にシンプルだ。よくしゃべるやつと、あまりしゃべらないやつ。前五メートルほどを楽しそうに歩いているのは、麻生、天野、岩崎(五十音順)だ。そして俺の両サイドには、姫と、今話しかけてきた真嶋である。


「そういえば、そうだな」


 いつぞやから見え隠れしていた岩崎のまとう妙なオーラは影を潜めていた。ただ手放しで喜ぶことは出来ない。またいつ再発するか解らない、ということもあるのだが、


「でも、最近妙にテンション高いよね」


 姫の言うとおりだ。何しろテンションが高い。普段から高目を維持しているようなやつなのだが、最近は特に高い。少し興奮状態と言っても過言ではない。岩崎が興奮していようと発情していようとどうでもいいのだが、問題はそのギャップである。つい二週間ほど前は落ち着いていた。むしろ影を背負っているような雰囲気だった。それがここにきて、あのテンションである。いくらなんでも差が激しすぎる。これを気のせいだと位置づけるのは、さすがの俺でもいささか気が引ける。


「抱えていた問題から解放されて、少し舞い上がっているだけじゃないの?」

「それならいいんだが」


 俺の予感が警戒音を発していた。おそらくまた落ちると思う。このままいつもどおりの位置に落ち着くとは思えない。


「何か気になることでもあるの?」

「いや、具体的に何がどう気になるってわけじゃないんだが」

「じゃ、気のせいでしょ。どうせ杞憂に終わるのよ。そういうのって」


 俺だってそうあってほしい。こんな予感なら当たってほしくない。杞憂で終わってくれればどんなに気が楽か。


「どっちにしろ、今考えたところで何も出来ないでしょ。まだ何も起こっていないんだから。異変が起こってから動けばいいのよ」


 こいつは気楽でいいな。異変ってやつは表に現れたとき、結構な大きさに発展していることが多いんだぜ。出来ることなら、潜伏しているうちに発見したい。だが、現在情報も何も捜しようがないので、確かに何も出来ないのだが。


「何かあったら連絡してよ。あたしも手伝うから」


 そんな事態にならないことを祈りたいが、そう言ってくれると、かなり心強い。だが、


「そんなこと気にしないで、夏休みを楽しめ。来年は受験で遊べなくなるんだ。嫌っていうほど遊んどけよ」


 そんなに大掛かりな事件にはならないだろう。何が起ころうと、大人数を巻き込むつもりはない。ついてないのは俺くらいで十分だ。いや、別に悲観しているわけではない。


 俺の意見に、真嶋は不満そうだった。何か言い返そうとしているが、言葉が出てこない様子。前にも言ったが、協力を拒否しているわけじゃない。ただ無理したり、一生懸命になったりする必要はない、という話だ。


「あたしはただ、岩崎さんのことが心配なだけなんだけど」

「何かあったら、連絡くらいはする」


 その言葉に、さらに不満そうにする。ま、それほど岩崎を思っているということだろう。しかし、岩崎とて、他人を巻き込んでまで心配されるのは不本意だろう。ここは適当に誤魔化すのが得策だろう。


「せっかく髪切ってイメージ変えたんだ。夏休みを満喫することだけ考えろ。そっち方面では協力を要請するかもしれない」


 すると真嶋は、今まで前を見て会話していたのだが、一瞬だけ俺のほうを見た。その表情はとても驚いているように見えた。そしてすぐさま視線を正面に戻すと、先ほど以上に頬を膨らませて黙り込んだ。どうやら俺は失敗してしまったようだ。何かフォローをいれるべきだろうかと考えていると、


「今の髪型、本当に似合っている?」

「あ?ああ、似合っているぞ」


 誤魔化せていたらしい。その後も真嶋は岩崎の話題に戻ることはなかった。しかし、どことなく不満そうな表情だけは解除されることなく、駅で解散するときまで続いた。電車に乗らない天野と真嶋は駅前で解散し、方向が違う姫は改札で解散した。なぜか別れるとき姫に、


「あんた、わざとやっているの?」


 と言われたが、意味が全く解らなかった。






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