第二十二話 感謝
翌日、日曜日。新聞のローカル欄に、小さく記事が載っていた。詳細なところは不明瞭だったが、どうやら最終的に一網打尽にできたようだ。これから入手経路を洗い出して、密売を摘発する動きを始めるらしい。俺たちのことはもちろん書いていない。書いてあるはずがないのだ。相馬暁は事実上自首しているし、他にも何人か捕まったようだが、全員自ら出頭してきたらしい。よって、誰かによって摘発されたわけではない。結果的には、な。功労者と呼んでもいい俺たちは、警察からは一切の謝礼を受けていない。俺たちの活動の一部が朝刊を揺るがしたのだが、幸か不幸か部長殿は関わっていない。真、運命ってやつは皮肉屋らしい。ま、運命を信じていない俺が言うのも皮肉な話なのだが。
そして、運命に対して、愚痴をこぼすやつがここにいる。
「ひどい話だよな。俺たちが摘発したようなもんだぜ。こんなことになるなら、俺が通報しとくべきだったなあ」
確かに尻尾を捕らえたのは俺たちだが、摘発したのも、一網打尽にしたのも警察だ。文句を言ってもしょうがあるまい。実際俺たちは何もしていないんだよ。これが妥当な評価ってもんだ。
「別にいいじゃない。私たちは依頼をこなしただけよ。それとも麻生は名誉のためにやっていたの?」
「そうは言わないが、感謝くらいはされたいぜ。結構苦労したんだから」
どうでもいいね。名誉も感謝もいらない。くれるって言うならもらってやってもいいが、別に欲しくも無い。金銭的な何かなら欲しいが。
「私の感謝だけじゃ足りないか?」
現在部室には俺、麻生、姫、そして相馬優希が来ている。部長はいない。落ち込んでいるのか、それとももう来ないつもりか。どっちでもいいが、それよって俺の評価は激変するだろう。
「先輩の感謝は受け取りましたよ。でも、感謝って言うのは、算数じゃないんですよ。大勢から感謝されても満足できないときもありますし、たった一人からの感謝だけで十分なときもあるんです。今回は、警察から何かもらえないと、納得できないんです」
こいつは何を語っているんだ?熱くなっている理由が解らない。加えて、麻生はそこまで勢力的に活動していただろうか。警察に感謝を求めるほど、活躍していたとは思えない。
「君の気持ちは解る。私が今現在そんな感じだからな」
「どういうことですか?」
「私は、君達にとても感謝している。だからこうして、足を運んだんだ」
「いや、それはもう伝わりましたよ」
「君たちは十分だという。だが、私は足りない。感謝とは絶対的なものではないということが、ようやく解った。要するに、感謝は人の数だけ必要なのだ。十人十色ということだ」
確かに、麻生の言うとおり、感謝されないのは腹が立つかもしれない。しかし、こっちもなかなか面倒なのではないだろうか。感謝し足りないとは、一体どうすればいいのだろうか。受験生の身分で、こうして学校に足を運んでもらい、さらに差し入れとして、弁当を持ってきてくれているのだ。十分だろう。これ以上何かを受け取ったら、逆に申し訳ない。加えて、
「特に成瀬君には、きちんとした形のあるもので感謝を伝えたい。君には世話になった。君の言葉のおかげで、私は救われた。ようやく心を解き放つことができたのだ」
意味が解らない。俺は言いたいことを言っただけだ。救われただの、心を解き放つことができただの、あくまで彼女自身の問題だろう。俺は一切無関係だ。
「その話はもういい。それより自分のことをしっかりやったらどうだ?せっかくの夏休みが半分以上過ぎてしまったんだぞ。いろいろやることがあるんじゃないか?」
受験生という事もあるし、他にも予定があったんじゃないか?高校生の夏休みは今年で最後なのだ。進学するのか就職するのか知らないが、今年しか出来ないことがたくさんあったはずだ。
「うむ。確かに君の言うとおりなのだが、一番重要な問題を解決した今、特にやることが見当たらないんだ。毎年恒例だった行事も、今年は中止になりそうだし」
どうやら俺と同じような高校生みたいだな。この様子では、部活も無事に引退を果たしたのだろう。
「へえ、毎年恒例の行事って何?」
優希の話に興味を持ったのは姫だった。事件を経て、どこと泣くうち解けた様子の優希に興味を持ち始めたのかもしれない。
「花火だ。うちの両親は花火フリークでな、学生のころは全国の花火大会を二人で回っていたそうだ。私たちが生まれてからはそうもいかなくなってしまったが、それでも近隣の県くらいまでは参加している。私は毎年、県内の花火大会全てに連れ回されているんだ」
「じゃあ港の花火大会も行っているの?」
「ああ。だが、今年は無理そうだな」
それはそうだろう。暁に興味がない、とは言え、両親は両親だ。麻薬の件に関して、いろいろあるだろう。これからは無関心とは言っていられないだろうしな。
「あー、花火大会と言えば……」
思い出したように一人ごちた麻生。
「どうかしたのか?」
「ああ。二十五日の花火大会、俺行けなくなったわ。すまん」
そういえば、みんなで花火大会に行こう、と話していたな。すっかり忘れていた。
「何か用事か?」
「ああ。今更だけど、田舎に帰るらしい。はっきり言って、そんな場合じゃないんだが」
麻生の言う、そんな場合じゃない、を解りやすく意訳すると、宿題が間に合わないかもしれない、で間違いない。よくまあ毎年毎年同じ過ちを繰り返すよな。ま、本人は過ちだと思っていないのだろう。確かに価値観は人それぞれだ。好きにすればいいし、この中で一番夏休みを楽しんでいるのは誰だと聞かれたら、間違いなく麻生だ。
「というわけなんだ。悪いが、俺は不参加で頼む」
「ああ、解った」
「何だ、君たちも行く予定だったのか」
俺は忘れていたからどうでもいいのだが。しかし、花火大会か。夏らしいイベントで結構なのだが、混むだろうな。俺は人ごみってやつが嫌いでしょうがない。エレベーターや満員電車も相当嫌いである。なぜ好き好んであんな人の密集している場所に行かなければいけないのだろうか。場所取りなんかもしなくてはいけないかもしれないし、帰りのこととか考えると、今から憂鬱である。何とか人ごみを回避する方法はないだろうか。
「あんた、花火フリークなんだろ?」
俺が問いかけたのは、相馬優希だ。
「ああ。まあフリークなのは両親だが。私はそうでもない」
「だが、二十五日の港の花火大会は知っているんだろ?」
「もちろんだ。この辺ではあれが一番大きな花火大会だからな。かれこれ十年近く毎年行っている」
十分だ。
「じゃあ穴場とか、知らないか?もしくはベストスポットとか、要するに楽しむための情報がほしいんだが」 優希は考え込むような仕草をして、
「そうだな、私が両親から教わったコースでよければ、教えることは可能だ」
「十分だ。教えてくれ」
今更だが、こんなことを言ってみよう。
「さっき、感謝を形にしたいと言っていたな。だったら花火大会の情報を要求したい」
格好悪いことこの上ないが、優希は何でもないように、
「それは構わないが、これくらい無償で提供することだろう。やはり感謝し足りない」
おっしゃるとおりだ。だが、俺には他に要求するものがない上に、これ以上付きまとわれたくないという事情がある。なので、こんなことを言って、挑発することにする。
「提供してくれる情報の量と質で、あんたの感謝を判断するよ」
「……なるほど。それは、全力を注がなければならないな」
頷いた優希は、腕を組むと何やらぶつぶつ呟き始めた。どうやら、うまく行ったようだ。
「ずるいぞ、成瀬。俺も花火情報ほしい!ついでに一緒に行ってくれる女の子の情報も」
「私は花火と縁日とお祭りの情報がほしいわ。あと、セールやバーゲンも」
ここぞとばかりにわがままを言い始めるお子様二人。俺に言わないで、優希に言ってくれ。
「そういうことなら、私の感謝は情報提供で表現することにしよう。みんな、他に要望はないだろうか」
対する相馬優希も、なぜだが調子に乗ってきてしまった。本当にワケ解らない人だな。元来から人に頼られるのが好きな性格なんだろう。相馬暁本人も好きなのだろうが、年下全般を構ってやるのが好きなのかもない。もっとも理解できない考えの一つだが、目の前の光景や、昨日の光景を見ている限り、優希本人がとても楽しそうなので、何も言うつもりはない。迷惑承知でいろいろな要望を口々に発するお子様二人が気になるが、きっと今日はそういう日なのだろう。少なくともここにいる人間が不幸でないみたいなので、黙って見ていることにした。
最終的には、事件や夏休みと全く関係ないテストや女子剣道部やオータムバーゲンの情報にも、魔の手が伸びていた。それでも優希は笑っていた。誰にとっても、いい姉であるようなのだが、人のいい老人と、たかるあくどい少年を見ているようで、とてもじゃないが、いい光景には思えなかった。
次回最終話です。




