第二十話 絆
そして、土曜日。運命の、とまでは言わないが、結構重要度の高い一日なりそうだ。相馬優希との集合時間が迫ったころ、俺たち三人はすでに部室に集まっていた。
「…………」
この三点リーダーは俺たち三人分のものだ。誰が発するでもなく、どことなく重たい空気が部室を占めていた。誰も口を利かず、何となく伏目がちで目も合わない。いやーな雰囲気が立ち込めていて、この部室内の空気を吸うと、気持ちまで滅入ってくる。早いところこの空気を断ち切ってほしいな。部室のドアが叩かれることを望んでいるなんて、今までの生活では考えられないな。これからもおそらく二度とないだろう。今日が最初で最後だ。
ま、何が起ころうとも、止まったりしないのが時間だ。ここで問題。座っているのに、たっているものとは?答えは言わないぞ。こんな問題、小学生でも解る。話の流れでも解るだろ。俺は気持ちを入れ替え、のんびり待つことにした。全くもって矛盾した話だが、気持ちを入れ替えてからは時間が止まっているのかと思うほど、のんびり出来た。
……そして刻は動き出す。
部室内にノック音が響き渡った。何度も言うが、ドアは鐘じゃない。響き渡るほど大きなノック音は出せない。しかし、鳴り響いたように聞こえたのは、待ちに待っていたというこちら側の事情を踏まえた結果だろう。
「諸君、おはよう」
古めかしく堅苦しい挨拶で、現代の高校生はおよそ使わないような言葉だったが、この人が使うと似合っていて妙だ。待ち人、相馬優希が参上した。
「空気を読めないと、よく言われる私だが、今のはさすがに解った。場違いな挨拶だっただろうか」
自覚があったとは驚きだ。だが、今気づいてしまう辺り、やはり空気が読めない人なのだろう。
「確かに場違いだったけど、少し安心したぜ」
「そうね。少なくとも自分を見失うような事態に陥っていないようね。大変喜ばしい事実だわ」
とんでもない皮肉を言う麻生と姫。年上相手になんて皮肉を言うんだ。さすがの俺でも非礼であると解るし、躊躇うセリフだ。だが、その効果もあり、この場は間違いなく和んだ。
「その様子じゃ、一応納得のいく結論を出すことが出来たみたいだな」
「まあ、そうとも言えるかな」
見事に歯切れの悪い言葉が返ってきた。ま、最初から解っていた。あと腐れなく、後悔なくみんな幸せな結末を迎えられるような事件ではないからな。
「約束どおり、今日警察に連絡を入れるつもりだ。一応聞くが、気持ちの整理は出来ているな?」
本当に一応聞いてみた、というセリフだった。必要ないかもしれないが、まあ形だけの儀式みたいなものだ。気持ちの整理も、心の準備も出来ているだろうと思っている。しかし、相馬優希の返答は、俺の予想の右斜め上を行った。
「気持ちの整理は、どちらかというと出来ていないな。だが、けじめはつけた」
「は?」
どういう意味だと、問いかけようとしたとき、優希は優しく、だが悲しそうに微笑んだ。
「暁には自首させたよ。自首とは言っても、私が無理矢理連れて行ったのだから、正確には違うのかもしれないが。どちらにしても、麻薬関係について、整理してもらった」
つまり、俺の手を煩わせることなく、二人の間で決着をつけたようだ。
「説得できたのか?」
「話し合いは出来たけど、説得するまでには至らなかった。私の気持ちは結局、弟に伝わらなかったようだ。もしかしたら薬の影響かもしれない」
そう信じたい。誰よりも信じてくれていた姉の言葉が、弟に届かなかったと思うのは、さすがにつらすぎる。
「そうか」
想いや言葉というのは、正確に伝わらないときもある。ましてや愛情なんて、形がないし、受け取る側からしたらただ鬱陶しいだけかもしれない。しかし、無償の愛っていうものの存在も信じたいし、そういうものはきっと届いていると信じたい。信じたって、バチは当たらないはずだ。
かける言葉を必死に探していると、不意に優希は振り返った。その顔は、まだ笑顔だった。
「やはりあいつはバカだったようだ。麻薬にのめり込むとは、本当に愚かだ。あいつを信じていた私も、本当に愚かだった」
俺は、こんなに悲しい笑顔を見たのは初めてだった。
「私もうすうす感づいてはいたんだ。だが、考えないようにしていた。信じたかったんだ。暁は悪いやつじゃないって。そこまで愚かじゃないって」
その笑顔は痛々しかった。それは裏切られた者の痛みを象徴しているかのように、誰もが悲しくなるような笑顔だった。
「確かにあんたは愚かだよ」
俺の言葉に、笑顔が歪む。当然解っている。おそらく慰めて欲しかったのだろう。彼女が欲している言葉は、正反対の言葉だろう。しかし、俺は言いたいことを言わせてもらう。
「あんたは愚かだ」
俺の言葉に、優希の体が跳ね上がる。
「君に何が解るんだ!弟を信じて何が悪い。暁は、私のたった一人の弟だ。自慢の弟だ。その弟を信じて何が悪い!それのどこが愚かだと言うんだ!」
相馬優希はたまったストレスを吐き出した。しかし、俺はしゃべるのを止めない。相手の気持ちなんか知ったこっちゃない。俺は俺の言いたいことを言う。それが俺のスタイルだ。
「弟を信じて何が悪いって?悪いわけないだろう。むしろ、たった一人の兄弟を疑ったほうが悪い」
「……え?」
「あんたは今でも信じてやるべきだ。弟はちゃんと更正して帰ってくる。これからは立派に生きてくれる。そう信じてやるべきだ」
「でも。今君は私のことを愚か者だって……」
「何で笑っているんだ?ここは泣くところだ。泣いていいところなんだよ。本当は心が引き裂かれるほどつらいのに、強がって笑っているあんたは相当な愚か者だよ。それに、」
悲しい笑顔が急激に歪んだ。
「想像ばかりを話して申し訳ないが、暁はあんたの思いを裏切ってないと思うぞ」
連中は月に一度、大きな集会を催し、そこで麻薬の交換を行っていたみたいだ。だが、本来麻薬の交換は見つからないよう、陰に隠れて細々と行うものだろう。おそらくあの集会は運び人がどれほどの規模になっているか、というものを計るために企画したものなのだろう。本格的な麻薬取引は別の機会を設けていたという可能性が高い。そんな大規模な集会に見合うだけの麻薬を持ち運んでいたら、さすがにかさばるし、目をつけられたら最悪だからな。
「暁はその月に一回開かれる集会にしか行っていない。となると、扱っていた薬もごく少量のものだったのではないか。大人に対する不信感と姉に対するコンプレックスから、思いつきで手をつけてしまった麻薬だが、それほど染まっていなかったんじゃないか。尾行したのは一度だったが、あいつの友人は見た目と反してそれほど問題のない連中だった」
全部想像だ。だが、無理のない推測だ。
「普通はずるずる染まってしまうものだろう。だが、暁は自制できていた。それはあんたを裏切ってしまったことへの罪悪感が理由だと思っている。せめてもの罪滅ぼしのため、連中の仲間にならないことと、少量の薬しか使用しないことを誓ったんじゃないか」
俺自身大して信じていない推測なのだが、心が崩壊しかかっている彼女にはいい薬だ。気休め程度だとしても、きっと支えになるだろう。
「暁は道を外れていなかったのか?悪い人間ではなかったのか?」
太鼓判を押したいが、そこはやはり俺だ。
「おそらくとしか言えないし、やはり証拠はない。そうじゃないか、ってだけだ」
それでも彼女にとってはやはり嬉しかったようだ。一筋涙が頬を伝う。
「よかった……」
涙を流す彼女だったが、その顔はどことなく満たされた様子だ。間違いなく泣き顔だが、さきほどの悲しい笑顔よりは百倍いい。
「全く、重度のブラコンだな。見ているこっちが恥ずかしいぜ」
「本当。何だか、結果的に弟の自慢話をされたような感じだわ」
皮肉が止まらない二人。ひどいな。俺としては怒っていいレベルの皮肉だと思っていたのだが、対する優希は、
「そうだな。君たちの言うとおりだ」
と、涙を拭いながら笑うだけだった。何だか、涙を拭う仕草も、笑いすぎて涙が出てしまったのではないか、と勘違いしてしまうほど、和やかな雰囲気になっている。
それから涙の止まった優希は、悲しいことは全部忘れてしまったようで、ただのブラザーコンプレックスの権化に成り代わっていた。若干うんざりしていた俺たちを無視して、ひたすら暁の過去を語る彼女は、やはり空気の読めない人間だったようだ。
その後相馬暁の生い立ちトークは夕方まで続いた。集まったときは優希の体調を気にしていた俺たちも、解散するときは自分の体調を気にし始めていた。さすがの麻生も、
「夜から遊ぶつもりだったけど、今日はキャンセルだな……」
と珍しく弱気な発言をしていて、姫に至っては、
「あの人、ショックのあまり弟が捕まったことに関して、一部記憶喪失になっちゃったんじゃないの?自分で弟を警察に突き出した人とは思えないわ」
と失礼極まりない発言をしていた。それでも苦笑するだけで、本気で頭にきているわけでないことは一目瞭然だった。
これにて、相馬優希の依頼は達成を果たし、無事エンディングを向かえた。ハッピーエンドかどうかはそれぞれ意見が違ってきそうだが、俺個人は悪くない終わり方を迎えられたと思う。