第十六話 新たな始動
ここで話し合ってもいいのだが、さすがに路上でこんな変なことを話し合う趣味はないし、立ち話も何なので、俺は場所の変更を提案した。いつもなら俺の家に行くところだが、若干距離がある上に、少なからず気まずい雰囲気を抱えたまま、我が家で会合をするのは躊躇われたため、ここからさほど遠くないところにある俺の知っている喫茶店に行くことにした。
俺が先頭で店の中に入ると、以前来たとき同様店内はガラガラだった。この店はどうやって利益を出しているのだろうか。
「いらっしゃいませ」
俺たちに気付いた女店主が声をかけてくるのだが、
「あら?成瀬君じゃない」
以前何度か足を運んだことがあったため、俺のことを覚えていたようだ。
「お久しぶりです。その節はいろいろでしゃばってしまい、申し訳ありませんでした」
「うふふ。気にしないで。あなたのおかげでいろいろ助かったのよ」
「とんでもありません。俺は何もしていませんよ」
「またあなたはそんなこと言って……。まあいいわ。今日は来てくれてありがとう。ゆかりちゃんとは仲良くしているの?」
「いえ。最近はあまり話していません。それより、座っていいですか?」
「あ、ごめんなさい。好きなところに座って。相変わらずガラガラだから」
世間話が始まってしまいそうだったので、俺は適当に話を切ると、できるだけカウンターから遠い席を選んだ。
「何よ、あんた。店員さんと知り合いなワケ?」
今度はこっちかよ。来るところ間違えたな。どいつもこいつも好奇心が旺盛すぎて困る。別に後ろめたいことがあるわけじゃないが、話すのが面倒だ。ま、いろいろあったんだよ。察しろとは言わないが、黙って知らない振りしてくれ。
「まさか、ここを選んだのは彼女に会いたかったから、なんて言わないでしょうね。私は利用されるのが大嫌いなんだけど」
とんでもない誤解をしているな。
「違うから安心しろ。単純に店内がいい雰囲気で、うまいコーヒーが飲めるからだ」
「あんたさっき、お茶って言ってなかった?」
細かいことを気にするなよ。『お茶』ってのは緑茶・紅茶・コーヒーなどを飲みこと、という意味もあるんだ。ちゃんと辞書にも載っている。ちなみに『お茶を挽く』という言葉があるのだが、意味は特に用事があるわけでもなく、暇であること。つまり、ここのマスターは二つの意味でお茶を挽いているのだ。
「俺はコーヒーを飲むが、あんたは紅茶を飲むといい。ここのブレンドは中々味のある紅茶に仕上がっているらしい」
「あんた、飲んだことないでしょ」
まあな。
「一応言っておくけど、あの誘い方はおかしいから止めたほうがいいわ。勘違いするかしないかは別にして、どちらにしても不快に思われると思うから」
姫は一度ため息を吐く。何を思い出しているのか知らないが、失礼だぞ。
「まあ、あんたがどこでどんな女性とどんな関係を築いていても、私は興味ないわ。何となく想像つくし。それで、一体何なの?話って何?」
一体どんな想像しているのか、全く解らないが、話の線を元に戻してくれたのはありがたい。何やら不名誉な言いがかりをつけられそうだが、とりあえず話し始める。
「話って言うのは、これからのことだが、相馬優希には黙って捜査をしようと思う」
「は?」
全く理解できない様子の声を上げる姫。今説明するからちょっと待て。
「この前やった尾行だが、全く見つかった気配がなかった。それなのに、俺らの存在が相手に知られていた。しかも、姉である相馬優希が相馬暁のことを探っているという情報を得ていた。つまり……」
「ちょっと待って!」
結論を言いかけたところで、割り込まれた。何だよ。
「一体何の話?今回のことって、岩崎先輩のことじゃないの?」
は?あー、そういうことか。お互い勘違いしていたみたいだな。
「違う。今俺が話したいのは相馬姉弟のことだ。もしかしたら、姉の行動が弟に筒抜けになっている可能性がある。だからこれからは……」
「だから、待ってって言っているでしょ!」
何だよ、さっきから。調子よく話をしているんだから、腰を折るな。
「何が言いたいんだよ」
「話の流れから言って、岩崎先輩のことを話し合うべきでしょ!」
岩崎の話はもう終わったと思っていたのだが。話し合うことなんてないだろう。
「あいつの何について話し合いたいんだ?」
「決まっているでしょ!先輩が悩んでいるのは明らかだわ。助けてあげなきゃ」
叫ぶな。ここは喫茶店だぞ。静かに午後のティータイムを楽しむところだ。何度も言うが、俺が飲んでいるのはコーヒーだ。
「あいつは悩んでいるが、困っていない。俺があそこまで怒鳴ったにもかかわらず、あいつは最後まで謝罪しなかった。つまりもう決意が固まったと言うことだろう」
もうこちらには戻れなくても構わない、という決意が。
「だけど、先輩は明らかに元気なさそうだった」
声を聞いただけで、それくらいの判断は可能だった。それほど、あいつの声はか細かった。加えて、あの悲壮な姿も見ている。いつもの無駄な元気さやバカでかい声とは比べ物にならないくらい。
それでも俺の考えは変わらない。
「だが、これで間違いなくあいつは俺たちを拒絶した。これ以上関わろうとすれば、それは嫌がらせにつながり、ひいては犯罪者扱いを受ける可能性も出てくる」
噂というのは、表面だけで伝わることが多い。岩崎に元気がない。俺たちが岩崎とケンカしている。つまり、俺たちのせいで岩崎が元気をなくしている。こんなうわさが飛び出しても、全く不自然ではない。それが村田たちの耳に届いたらどうなるか、考える必要もないほど簡単に答えが出るだろう。
おそらく頭で理解してしまったのだろう。納得していないにしても、理解してしまうと行動しにくくなる。その例に外れることなく、姫も黙り込んでしまった。
「俺だって、あいつの身に何か起こったであろうことは確信した。それがあいつの望んでいることでない事であることも、おそらく間違いないだろうと思う。ただ、俺たちに何ができる?」
あいつが今、どんな事件に巻き込まれて、どんな悩みを抱えているか。それが解れば、多少なりとも動くことは出来るだろう。しかし、何について悩んでいるのか、俺たちは知らない。あいつの友人に、片っ端から聞いたとしても、おそらく知っている人間は居ないと思う。ただ、一部の人間を除いては。
「おそらくさっきの三人は知っているだろう。だが、俺たちに教えてくれる可能性は、極めて低い。そして、俺たちが知らないことを、中学の連中が知っていると言うことは、あいつは俺たちではなく、中学の連中に助けを求めた、ということになる。あいつは、俺たちの助けを必要としていないということだ」
俺たちを巻き込みたくないがゆえに、俺たちを拒絶していると言う可能性は、かなり低くなった。なぜなら、中学の連中を巻き込んでいるからだ。ま、中学の連中が、岩崎の悩み事を知っているという確証はないのだが、中学の連中は先ほど俺たちと別れてから、岩崎のいる女子寮に向かっていった。つまり俺たちを拒絶していながら、あいつらのことは受け入れていると言うことになる。知っている可能性が高いだろう。
姫は黙り込んだままだ。俺の話に反論はないらしい。理解したと判断していいだろう。ショックを隠しきれない様子が、その事実を物語っている。口を開かない姫の代わりに、またしても俺が口を開く。
「俺は嫌われたかもしれないが、お前と麻生は嫌われたわけじゃないだろうし、あいつが悩みを克服したら、また元気になるだろう。そしたらいつもどおりに戻るはず。姫の言うとおり、あいつは人の好意を無下にするやつじゃない。メールでもしてやったらいいんじゃないか」
言って、俺はコーヒーカップに口をつける。慰めになっているのだろうか。普段あまり気を使う性格じゃないから、あまり慣れていない。似合わないことはするもんじゃないな。
「あんたはそれでいいの?」
しばらくして静かに口を開く姫。それで、がどれを指すのかよく解らないが、
「俺があいつの行動について、とやかく言う権利はない」
「さっきあんなに怒鳴っていたのに?」
しつこく俺の真意を問い質す姫。確かに疑わしいかもしれない。さっき、俺はあれほど怒鳴っていたのだから。もちろん俺自身、怒鳴った理由は明確に理解している。ただ、あれほど怒鳴ってしまうとは、予想外の出来事だ。つまり、咄嗟の行動だったのだと思う。理性を超えた感情と行動。滅多に出てこない自身の反応。この反応は誤魔化してはいけないものだったのかもしれない。必然的な行動だったのかもしれない。
何か妙なことを考え出した俺は、
「あいつの行動について、とやかく言うつもりがないのは本音だ。ただ、」
変なことを口走ってしまった。
「それは理性を全面に出した本音だな。感情を全面に出した場合、全く逆のことを言うかもしれない」
例えば、さっき怒鳴ったときのように。
「…………」
全く言う必要のない発言だったと思う。なぜこんなことを言ってしまったのか。考える気も起きないが、あえて可能性のある仮説を例として挙げるならば、理性より感情が勝ったということだと思う。あくまで仮説の例なのだが。
俺の発言を聞いて、姫は一瞬目を見開いたが、直後じとっとした目で黙ってにらみつけてきた。そして、
「やっぱりあんたって最低ね。周りの女子、特に岩崎先輩がかわいそうだわ」
そのセリフは何度も聞いたが、今までで一番呆れたような口調だった。一体どんな心情で言ったのか、特に後半部分が全く理解できないが、姫の中で何かが変わったような、そんな言い方だった。
「それで、もし、もし仮にだよ、先輩がTCCに戻ってこなかったら、どうなるの?」
それは考えていなかったな。
「おそらく廃部だろうな。あいつがいなければ、生徒会がこの部を存続させる意味はない。相変わらず顧問がいないしな。もしかしたら今回の依頼が最後になるかもしれないな」
面倒な部活で、正直さっさとつぶれてしまえ、と思っていたが、本当になくなってしまうと思うと、少しだけ感慨深いな。ようやくあの部室も居心地がよくなってきたのに、間が悪いとはこのことだ。しかし、
「悩んでいても仕方ないだろう。話を戻すぞ。最後の依頼になるかもしれないんだ。すっきり終わらせて有終の美を飾ろうじゃないか」
俺が全く気持ちのこもっていない感じで言うと、
「似合わないセリフは止めなさい。それと、縁起でもないこと言わないで。私が来たばかりで、廃部になんかさせないわよ。占い研究部がなくなって、ここまで廃部になってしまったら、まるで私のせいみたいじゃない。絶対つぶさせないわよ」
と、少しだけ英気が復活した様子で呟いた。
こいつはアホか。全く岩崎のそばにいたから、おそらく毒されてしまったのだろう。言い分はともかく、要するにTCCに居場所を求めてしまったってことだな。気色悪い言い方をするならば、色に染まった、ってところかな。
「好きにしろ。話を戻していいか」
ということで、ようやく俺の話したい話題に戻すことが出来た。
「相馬優希に連絡を入れないことにした理由は、先ほど言ったとおりだ。これからは情報を共有する連中を出来るだけ少なくしたい。俺たち三人と、二ノ宮兄。この四人で捜査は行う。異論はあるか?」
「二兄は?あいつは戦力になると思うけど」
二兄とは弟の二ノ宮悠二のことだろう。兄貴を仲間にしてしまった以上、仕方がないか。多少は荒っぽいことになるかもしれないし、戦えるやつがいたほうが便利は便利だ。姫が推してくるくらいだ、信頼は出来るのだろう。
「ま、いいだろう。だが、あいつは全国大会の遠征中なんだろ?」
「まあそうなんだけど、一応ね」
意味ないかもしれないが、好きにすればいい。
「岩崎先輩は?」
こいつに限っては、先ほど言ったとおりだ。
「もう連絡はしない。意味を感じないし、来たとしてもおそらく足手まといだろう。必要ない」
「解った」
いつもなら何か言い返されそうな、辛辣な言い方をしたが、姫は何も言わなかった。
「それで、これから何するの?」
「とりあえず待機して、二ノ宮兄からの連絡を待つ。公園で脅迫してきたところを見る限り、後ろ暗い事情があるのは間違いない。ちまちま弟を尾行するより、何か起こったところを現行犯で捕まえるほうが楽だし、建設的だ」
俺の案に賛成だったのか他に案がなかったのか、とにかく姫は頷いた。これではいつ動き出せるか解ったものではないが、俺の予想ではそう遠くない未来、連中は動くだろうと思う。これに関しては、勘だけでない結構確率の高い推測に基づいた判断だ。
今までの話の中で、決定的なものは何一つないが、全く推測できないわけでもない。俺たちは警察じゃない。裁判をするわけでもない。だから捕まえるのは現行犯しかないわけだが、それは決定的な物証を必要としないというメリットもある。
つまりある程度可能性の高い仮説を立てることができれば、捜査は可能。当たっているか解らないが、俺の中では一つ、仮説が出来上がっている。そして、それに伴って、もう一つの仮説が、深い霧の向こうにうっすらと見え始めていた。