プロローグ
この小説は、「偶然という名の奇跡」というシリーズの続編です。前作を読まなくても、楽しめるように書いてはいますが、より楽しんでいただくためには他のシリーズ作品を読むことをオヌヌメします。
さて。テストが終わり、じめじめとしていて嫌な季節の代表とも呼べる梅雨が終わろうとしていた。あとは、消化試合のようにやる気の出ない授業を適当にこなすと、高校に入って二度目の夏休みが待っている。俺は一人暮らしだが、実家とは大して離れていないので、帰省も大した行事にはならないため、おそらく暇な日々が待っているはずだ。さて、どうやって毎日を過ごそうか。一日中本を読んで過ごすのも、ボーっと過ごすのもいいだろう。宿題なんてものがしこたま出たが、そんなものは気が付いたときにでもやればいい。とにかく好きなことをして過ごせばいいのだ。
元来のんびり過ごすことを好む俺としては、学校に行く必要のないこの長期休暇は、楽しみとも呼べる行事だった。普通はそうだろう。夏休みが嫌いな高校生なんて、激しく厳しい部活に所属しているやつらくらいだろう。生憎俺は全国レベルの部活に所属していない。まあ、帰宅部ではなく、一応何某かの部に身を置いている身分ではあるのだが、その部は実に意味不明な活動内容であり、激しい内容とは無縁である。
俺は昨年同様、のんびりとした長期休暇を満喫できると、ほぼ確信していた。しかし、俺の予想はもはや当然のように裏切られた。もちろん悪いほうに、である。
「夏休みは一応毎日来て下さい。朝十時くらいでどうですか?」
意味が解らないし、笑えない。冗談だとしても、最低レベルのそれだろう。本気ならばなおのこと最悪だ。
「聞こえましたか?聞こえましたよね?」
一応俺の耳には届いたが、全く理解できなかったため、届いてないと言ってもいいだろう。理解できなければ、ただの雑音と同じである。
ちなみに今は午後二時にして放課後である。テストが終了して、授業が午前中しかなくなったのだが、誰に言われるでもなく部室に来ている。俺のほかに、あと三人いる。にもかかわらず、しゃべっているのはたった一人、我らがTCCの長、岩崎だ。なぜ誰も返事をしないのかというと、おそらく俺と同じ理由だろう。
「聞こえているなら返事くらいして下さい」
「…………」
「…………」
「…………」
無言を貫く俺を含めた三人は、確実にシンクロしているだろう。意味不明なやつが意味不明な寝言を発した場合、返事などしなくていいのだ。起きていようが寝てようが、寝言は寝言だ。返事をする必要などあるはずがない。しかし、相手もなかなかの強者だったようで、
「では反論がないので、けって……」
「「「ちょっと待て!」」」
俺たち三人は見事にユニゾンしてしまった。反射的に声を出してしまった。敵ながら天晴れだ。と、そんなことはどうでもいい。
「何だ、皆さんやはり聞こえていたんですね。返事くらいして下さい」
「それは謝る。だからちょっと待て」
謝ると同時に抗議をしたのは、俺の幼馴染(腐れ縁)麻生だった。普段は岩崎の言うことに、あまり反対しないやつなのだが、これに関してはさすがに我慢できなかったらしい。俺も同感だ。どんな会議だろうと、普通は賛同者を募るものだ。俺たちは反対もしていないが、賛成もしていない。なぜ決定してしまうんだ。何ゆえここにいるのに、欠席裁判みたいな扱いをされなければならないんだ。解るやつがいたら誰か教えてくれ。
「何ですか?麻生さん」
「何で夏休みにもかかわらず、毎日学校に来なきゃいけないんだ。しかも朝十時って早すぎるだろう」
今回ばかりは麻生に全面賛成だ。麻生の言っていることは百パーセント正しい。しかし、
「そうですか?」
と岩崎。
「いつも八時半に登校しているじゃないですか。それに比べたらずいぶんゆっくりできると思いますけど」
と、首をかしげる始末。本気で疑問に思っているらしい。変なやつだと思っていたが、俺の認識はまだまだ甘かったようだ。今日を境に厳しく改めなければ。
「ここに毎日来て何をするんだよ」
「ですから、相談者を待つんですよ」
「そろそろ現実を受け入れたらどうなの?」
「む」
思わず本音を口にしてしまったのかと思った。しかし、このセリフは俺の口から出たものではなかった。
「この部室、ほとんど知り合いしか来ないじゃない。喫茶店も同然だわ」
では誰のセリフかというと、今年の春から新しく加入した一年女子、泉紗織である。春先に起きた事件の関係者であり、その流れでうちに入ったのだ。そのとき、様々な理由から姫と呼ばれていたので、俺は今でも姫と呼んでいる。
「どうせ今までもほとんど来てないのでしょ?」
「そんなことありません!月に一人くらいの割合で来ています!」
そんなに来てないと思うが。
「月に一人しか来ないのに、夏休み毎日来るのはおかしいわ!」
「そうだよ、岩崎。ここに来るのは週に一回くらいで十分だ。夏休みは学校を休むためにあるんだぞ」
珍しい光景だな。姫はともかく、麻生が岩崎に噛み付いているのは。岩崎も慣れていないせいか、若干押され気味である。いつもは俺しか反論しないのだが、俺の出番はなさそうだな。
「そんなこと言って、我々がいない日に相談者が来たらどうするんですか?我々を頼ってここに来たのに、誰もいなかったら、とても申し訳ないです。仮にも年中無休を称しているのですから」
「ほとんど開店休業じゃない」
「むむ!」
またしても考えていることが口から漏れたのかと思った。うーむ、姫とは気が合うのかもしれないな。俺の言いたいことは伝わるし、かといって矛先は俺に向かない。いいこと尽くしだな。姫を入部させてよかったかもしれない。
「とにかく!少なからず相談者はいるんです!だから私たちは毎日ここに来るんです!」
追い詰められた岩崎は、最終的に力技に持っていった。俺たちはボランティア団体か。なぜ貴重な夏休みを他人のために使わなければならない。百歩譲って、毎日ひっきりなしに相談者が来るような、超人気団体ならまだいい。学校に来る意味を感じるし、ボランティアと呼べるだろう。しかし、九十九パーセント学校に来ただけで、特に何もせずに帰宅することが決まっているのだ。もはや誰のために時間を割いているのか、解らない。そんな行動はボランティアではなく、時間の無駄と呼ぶ。それに、
「俺はもう結構予定入っちゃってんだよね」
俺はともかく、麻生くらい人気者ならばそんなこともあるだろう。
「あんたも予定の一つや二つあるんじゃないか?」
「む」
「そうだよ。それにこれから誘われることだってあるかもしれないだろう。少しくらい予定を空けといたほうがいいぜ」
麻生の必死な言葉に、ついに岩崎が考え込んだ。先に言っておこう。
「予定のない人がここに来る、なんて言うなよ。そんなことにしたら、誰も来ないぞ」
「……解ってますよ」
本当だろうか。怪しいね。
「しょうがないですね。解りましたよ。みなさんは本当にわがままなんですから」
これはわがままなのだろうか。当然の主張だと思うが。
「じゃあ妥協して、二日に一回ということにしましょう」
「「「それでも多いわ!」」」
ということで、交渉を繰り返すこと数回。週に二日、土日だけ部室に来ることになり、メールが来たら、その日は臨時的に集まるということになった。まあしょうがないか。メールアドレスを公開するのだから、その日だけ来ればいいと思うのだが、妥当な妥協点と言えなくはない。ただ、一つ納得できないのは、俺のアドレスが公開されることになった、という点だ。部長は岩崎なのだ。自分のアドレスを公開すればいいだろう。俺の意見に対して、岩崎は、
「私はか弱い女子なのですよ。不用意にアドレス公開してしまったらとても危険です。ただでさえ美少女過ぎて危険なのに、そんなことできません」
だと。意味が解らなすぎて笑えてくる。
若干長くなってしまったが、ここまでがプロローグである。そう、ここまでは日常だった。俺の中で、ここまでは普通であり、何らいつもと変わらない会話をして、いつもと変化のない行動をしていた。ちょうどこの後からだろう。だんだんと日常から離れていったのは。最初はとても小さな傷がきっかけだろう。俺たちはその傷を小さいからと軽んじて、放置してしまった。しかし、その小さな傷はあっという間に拡大し、危機を感じたときには、それはとても大きな亀裂に変わってしまっていた。
今度の事件は、一体誰のせいなのだろうか。