ボロソムリエと真丹木調教師
牧場でゆっくりと草を食んでいると、エレオノールペルルが歩いてきた。
「サイレンスアロー」
「なんだい?」
「見知らぬ人が来たんだけど」
僕はちらっと入り口を見た。
「ああ、あの人は真丹木調教師だよ」
「まにきちょうきょうし?」
「うん、お父さんが現役時代の時に身の回りのお世話をしてくれた人でね。お父さんが引退してから一念奮起して調教師の資格を取ったみたい」
「ふーん……」
ペルルにはこれしか説明しなかったけれど、真丹木調教師こそ僕が唯一無二のウマになるためのカギを握る人物である。
ペルルは真丹木調教師をじっと見ると、再び僕を見た。
「で、挨拶に行かなくていいの?」
「僕は今……忙しい」
鼻先を自分のボロへと近づけると、僕は何とも言えない気持ちになった。
このボロ。色も臭いも大きさも……どれをとってもイマイチだ。どれかのカテゴリーに弱いボロなら今まで何度も経験しているけれど、ここまでパーフェクトなダメボロは生まれて初めてである。
「こんなんじゃダメだ……僕は何が悲しくて、ここまでイマイチなボロしか出せないんだ!?」
「そんなのどうでもいいじゃない」
「いいや、良くない!」
僕はそう言いながらペルルに近づいた。
「いいかい。真に優秀な競走馬というモノは、いつでも、どこでも、誰とでも走れる……万全な体調管理を行えるものなんだ!」
ペルルが後ろに下がった。
「競走馬は見た目が良ければいいというものじゃない。本当に大事なのは体の中……特に胃腸だ!」
「わ、わかった……わかったから」
ペルルが引き気味になると、僕は父さんを見た。
「これは由々しき事態だ……お父さんに相談しないと!」
「……こんなことを相談されるお父さんも大変ね」
駆けつけたとき、お父さんの前には、柿崎ツバメ牧場長と真丹木調教師の姿があった。
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真丹木調教師
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「お父さん……深刻な相談がある」
「こんな時にどうした?」
ドドドが困り顔のままこちらを見たので、僕は率直に言った。
「今日のボロ……臭いも、大きさも、色さえもいまいちなんだ」
「お客さんが来ているときに、何を言っているんだお前は!?」
柿崎ツバメ牧場長は、恥ずかしそうに言った。
「こ、この仔が……ドドドとカグヤドリームの仔のサイレンスアローです」
真丹木調教師は頷いた。
「なるほど。出会って早々にボロの話が聞けるとは……興味深い仔です」
その答えを聞いたツバメ牧場長は、あーあ……と言いたそうな顔をしていた。
だけど、これは僕としては想定内の出来事である。いかにサイレンスアローが破天荒なウマか、今から知ってもらいたい。
「ウマ語を理解できるなんて……さすがはお父さんの元相棒だね」
そう話しかけると、真丹木は笑った。
「君もうちに来るかい? 3日持ちこたえたら……1勝できるかもしれないよ」
「あまりお勧めしないな。真丹木さんが悲鳴を上げることになる」
真丹木は口をおっという感じに開けた。僕がそう答えを返すとは思わなかったのだろう。
「おもしろいね……2年後にうちにおいで」
「1年半と、お詫びして訂正して欲しいな」
真丹木調教師は何も言わずに不敵な笑みを見せた。恐らく、1年半で行くことは不可能だと思っているのだろう。
間もなく調教師が帰ると、父さんは僕を見た。
「1年半とは……大きく出たものだな」
「これでも十分に、余裕を持ったスケジュールなんだ」
そう答えつつ、僕は牧場の隣にある訓練牧場を眺めた。
「あそこで習うことは、おおよそ予習済みだからね」
そう答えると、父さんは険しい顔をした。
「待ちなさい。お父さんは訓練牧場でだいぶ手こずったんだぞ。特に歩法という……」
「まあ見てて」
僕はお父さんの前で、観察の成果を見せることにした。
「常歩」
「…き、きれいなフォームだ」
「速歩」
「……」
「後肢旋回」
「…馬術では、高得点になる歩き方じゃないか!」
「足踏み速歩」
「…なっ……なっ!?」
「駈歩」
「……」
「踏歩変換」
「……」
「ハーブバウンド&襲歩」
そこまでやると、父さんはなぜか涙目になっていた。
「サイレンスアロー」
「なに?」
「何でお前は、こんなことができるんだ!?」
「さあ、なんでだろう?」
「お前は一体、何なんだ!?」
「いや……お父さんの仔としか……」
「こ、こうなったら……再教育だ!!」
「うわ、いいってば~~」
「走れーーーーーーーー!」
こうして、僕は芝コースを2周くらい走ることになった。
【キャラクター紹介:真丹木調教師】
美浦トレーニングセンターに所属する調教師。
1986年8月生まれ。
2020年に調教師試験に合格。
秋田厩舎の下積みの時代に、偶然にもウマと会話する能力に目覚める。
34歳という若さで超難関といえる調教師試験を突破した男性。
元々はグランパグループのトラック運転手だったが、グランパグループの会長(柿崎ツバメの父)と競馬を見ているうちにはまり、秋田厩舎で働くことを選んだ。
下積みを経験したのちにドドドドドドドドドの担当者となり、その競走馬としての生きざまに心を打たれて一念奮起した。
サイレンスアローの時代では、師匠である秋田調教師は既に引退し、真丹木はそのウマやスタッフたちを引き継ぐ形で現在に至る。