サイレンスアロー
最後の直線で、エレオノールペルルの脚さばきは、衰えるどころか切れ味を増した。
2番手や3番手を突き放して前へ前へと進んでいく。どうやら、一般の強豪牡馬たちでは歯が立たないようだ。
小生もまた525メートルを通り抜けたところで一気にペースを上げた。大外から2頭を抜くと残り400メートルの地点で10番手の位置に付けた。
「行くよ!」
恵騎手に合図をすると、彼女は身を低く構えた。
今まで温存していた体力を爆発させ東京競馬場の名物であるダラダラ坂を駆け上がっていく。仔馬時代から鍛えた足腰が無ければ、ここまで都合の良いバネは持てなかっただろう。
坂を上り終えたとき、小生は3番手の位置につけ、残り270メートルの地点で2番手まで駆け上がった。
Dメルは少しだけ体を小生の方向に傾けていた。後続馬との距離を耳で測っているのだろう。世界レベルのジョッキーなら見なくても足音や気配だけで後続馬がどんな行動をしているのか、正確に把握しているという。だけど……!
小生はペルルの背中を睨みながら笑うと、マンデーサイレンスの走りを披露することにした。
ペルルと小生の距離は5馬身。
距離は残り250メートル。
ペルルと小生の距離は4馬身。
距離は残り220メートル。
ペルルと小生の距離は3馬身。
距離は残り190メートル。
ペルルと小生の距離は2馬身。ここでDメルは、ぎょっとした様子で小生を見てきた。
「……!?」
「…………」
「……っ!!」
彼は母国語で何かを呟いたが、真珠姫に敗北は似合わない。という言葉しか小生にはわからなかった。
Dメルはペルルを援護するように鞭を入れた。しかし、小生も負けてはいられない。大事なのはここからだ!
ペルルと小生の距離は1馬身半。
距離は残り150メートル。
観客席の声援はほぼ二分されていたが、僅かにペルルを呼ぶ声の方が大きい。
更に気合を入れると、小生の鼻腔からは鼻血が流れ出た。
「シュババ君……!」
新発田恵騎手は青ざめたが、小生は構わずゴールポストを睨みつけた。
気にするな恵お姉さん。たかが空気が吸えなくなっただけだ。走ることに何ら影響はない。ただ、脚さばきは乱暴になるから振り落とされないでね。
ペルルと小生の距離は1馬身差。
距離は残り120メートル。
ペルルと小生の距離は2分の1馬身差。
距離は残り80メートル。
小生の鼻から流れ出た血が風に乗ってペルルの体やDメル騎手の服についていく。
だけど、ペースが衰えることはない。
ペルルと小生は横並びになった。
距離は残り40メートル。
ペルルの額には血管が無数に浮き出て、目は猛獣のように小生を睨んで来た。
――貴方にだけは……貴方にだけは……!
小生は鼻腔にたまった鼻血を噴き出すことに成功すると、大きく息を吸った。
――絶対、勝ぁぁぁあつっ!
ゴールポストを今通過した。
1着はサイレンスアロー。2着はエレオノールペルル。着差は……僅か10センチメートルの薄氷を踏むような戦いだった。




