真丹木厩舎にて
小生は無事に3勝目を挙げると、その日のうちに美浦トレーニングセンターへと帰還した。
チャチャ姉さんとペルルは、小生の帰りが待ちきれなかったのか馬運車が到着するとすぐに姿を現してくれた。
「おめでとうございます。サイレンスアロー!」
「ただいま。苦戦したけれど……どうにか勝つことができたよ」
ペルルも微笑みながら言った。
「重賞を連取するなんてさすがだね。普段は体が小さいと弱音ばかり吐いているけれど、いざとなったときにはきちんと仕事ができるじゃない!」
「問題はこれからだよ。この後はグレードツーやスリーでも、ウマナミジミーのような強敵が姿を見せる機会も増えると思う」
「慎重なところも嫌いじゃないわ」
真丹木も、うんうんと頷きながら言った。
「さて、我らのサイレンスアロー君の今後の予定は?」
「東京スポーツ杯2歳ステークスに優勝したんだから、次はホープフルステークスに出るんでしょう? ステップ競技なんだし……」
ペルルが言うと、姉さんは少し視線を上げた。
「サイレンスアローに中山競馬場の坂は厳しいと思います。朝日杯フューチュリティステークスにしてみては?」
ペルルと姉さんが口にした大会は、年末に開かれるグレードワンの大会の名だ。
これは2歳チャンピオンホースを決めるような大会で、グレードツーやスリーを制したような実力馬や、それに準ずるようなウマばかりが集まってくる。
小生はここで、今までの戦いぶりを思い返してみた。6月の新馬戦。9月頭の札幌2歳ステークス。今終わった10月中旬の東京スポーツ杯2歳ステークス……
「…………」
一同がじっと小生を眺める中、ゆっくりと答えた。
「年初まで休暇が欲しい」
そう答えると、真丹木やペルルだけでなく、チャチャ姉さんまでアンタは何を言っているのといいたそうな顔をしていた。
「年初では大会……終わってしまいますよ?」
「それでいいんだよ。小生は来年の2月に行われるグレードスリー共同通信杯に出走しようと思ってる」
そう提案すると真丹木調教師は、アゴに手を当てた。
「……狙いを東京競馬場に絞るつもりかい?」
さすが真丹木と思いながら小生は頷いた。
「その通り。共同通信杯を走ったら次は青葉賞……3番目は東京優駿という形にしたい」
胸中の思いを打ち明けると、今までは不満そうだったペルルもため息をついた。
「グレードワンの大会を見送るなんて……前代未聞だよ!」
「グレードワンだからだよペルル! 特に東京優駿を制するためには、新馬戦から全てのレースを点ではなく線や面で見て行かないと勝ち取れない」
半ば無理やり話を纏めて納屋へと戻ると、今度は柿崎ツバメがやってきた。
「シュババ君。東スポ杯の優勝おめでとう!」
「ありがとう。ところで……真丹木さんから話を聞いた?」
そう確認してみるとツバメは頷いた。やはり年末のグレードワンの大会のことで彼女なりに思う所があったようだ。
「シュババ君。好きな方でいいから……出てくれない?」
「それは困るよ。予定にない出走をさせられると計画が狂ってしまう」
そう答えるとツバメも困り顔になった。
「実はこれ、お父さん……柿崎会長からのお願いなの」
「牧場のことは、ツバメお姉さんに一任しているんじゃなかったの?」
「普段はそうなんだけど……グレードワンの大会への切符を持っているのなら、出走して欲しいと強く言われてしまって……」
会長には、重賞戦を恵騎手で出走するときにお世話になっている。断わるに断れないな……
「わかった。朝日杯フューチュリティステークスの方に出よう」
そう答えると、ツバメはほっと胸をなでおろしていた。
「ありがとう……無理を聞いてくれて……」
「だけど、グレードワンの大会は結果が出ないことの方が多い。結果に関わらず恵お姉さんとのコンビは解消しないで欲しい。それが条件だよ」
「わかった。それは任せて!」
間もなく、柿崎ツバメはスマートフォンで会長に連絡をした。隣でシメシメという様子で笑っている姉さんとペルルのことは……とりあえず無視しておこう。
小生が難しい顔をしているこの時、滋賀県の栗東トレーニングセンターでも難しい顔をしている馬がいた。彼の名はシリウスランナー。寡黙でどこか凄みがある黒毛馬だ。




